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東日本大震災から5年
「企業に今、期待すること」

2016/03/11

東日本震災後、これまで国や自治体、企業、NPOなど、さらに個人を加えた多様な連携によって多岐にわたる復興支援が行われてきた。現状復旧にとどまらず全国のモデルとなるような取り組みも生まれている。そのような中、復興を後押しするために「企業に今、期待すること」をテーマに、東北のメディア、そして経済界を代表する一人として、河北新報社社長で仙台経済同友会代表幹事の一力雅彦氏に、復興の現状や自社の取り組みも含め、話を聞いた。(聞き手:電通MCP局メディア・ソリューション室エリア・ソリューション部長 北出康博)

震災から5年「企業に今、期待すること」

 

復興は格差が広がる「まだら状態」

東日本大震災から5年がたちました。沿岸部のかさ上げ作業や水産加工場の建設など徐々に復興は進んでいますが、まだ道半ば。これからが正念場だと思います。例えば、避難者数でいえば、今でも全国で約17万4000人、宮城県では約4万6000人が仮設住宅などでの不自由な生活を余儀なくされています。災害公営住宅は徐々に完成していますが、仙台市では完成戸数率が86.8%と比較的進んでいる一方、石巻市では38.4%、気仙沼市では21.2%と格差が広がってきています。この差は土地の形状が大きな要因です。リアス式海岸の地域は硬い岩盤や急峻な高台が多く、災害公営住宅を建てられる土地が少ない。また、相続の関係で土地の入手が難しいといった問題もあります。逆に、仙台平野の地域は内陸に平地が多く、災害公営住宅の建設も進んでいます。そういった部分も含めて、被災地の復興の速度に濃淡が目立つ「まだら」な状況といってもいいでしょう。

災害公営住宅が完成したからといって、問題が解決するわけではありません。南三陸町から隣の登米市に移っている避難者に、「復興が進んだらふるさとに戻りますか」といったアンケートを実施したことがあります。結果は「戻る」が48.2%と、半分にも満たなかった。震災直後、避難所から仮設住宅に移った人は、「ふるさとに帰りたくても帰れない」という状況でした。しかし今は、自分の意思で「帰らない」に変わってきている。福島や岩手で調査したときも「帰“れ”ない」から「帰“ら”ない」への変化が明らかになりました。こういった状況では、もし災害公営住宅が完成しても、多くの空き家が生まれたり、高齢者しか入居しなかったりといった心配があります。

避難者がふるさとに帰らない理由の一つが、避難先で変わっていく意識の問題です。時がたつにつれ、子どもたちは学校に慣れてくるし、母親もコミュニティーにとけ込んでいきます。避難先で仕事を見つけた父親もたくさんいることでしょう。時間の経過とともに変化する現状に合わせて新しい方策を考え、ふるさとを離れた避難者にも支援を行うことが大事になると認識しています。時が解決する問題はたくさんありますが、解決してくれないこともあるのです。

 
 

企業には本業で勝負してほしい

そんな状況の中、2016年3月末には、国の「集中復興期間」が終了して、「復興・創生期間」という新しい段階に入ります。復興の在り方は大きく変わり、これまでのインフラ中心、国主導の復興から、より地域と民間が中心となった復興へとシフトします。建設事業が一段落すると、地域経済は一気に苦境に陥るリスクも抱えています。復旧・復興以外の需要創出が非常に重要になってきている。ハード中心から、「人」を中心とした段階に入るので、息の長い支援や応援が、今こそ必要であると訴え続けていきたいと思っています。

そこで、特に企業にお願いしたいのが、「本業で勝負してほしい」ということです。被災地だからといって遠慮はしてほしくない。寄付やものを送る支援を続けるには限界があり、いわゆる「応援消費」も継続した盛り上がりは期待しにくいので、「本業のビジネスで勝負してほしい」と訴えたいと思います。これまでは、CSR(企業の社会的責任)として被災地に関わってきた企業も、これからはビジネスを念頭に、被災地と企業が共に利益を受けられる仕組みを構築しなければ、関係は長く続きません。近年は、CSV(共通価値の創造)といった言葉も使われていますが、そういったポリシーがますます必要になると思います。

東北には、企業が新しいモデルの先頭に立ってビジネスで成功できる土壌があります。三陸には、世界三大漁場といわれる豊富な水産資源が存在し、農業では先進的な取り組みが展開される予定です。再生可能エネルギーに関しても、広大な土地があり、単にソーラーパネルを設置するだけではなく、蓄電技術を活用してその電気をそのまま地域で使うといった取り組みも始まっています。また、被災地だからイメージできる防災器具などのものづくりや、地震・津波速報システムの開発など、防災・減災を産業に変えていくような発想が求められています。もう一つは、観光、被災地ツーリズムです。15年の訪日外国人は1970万人を超えましたが、被災地にはほとんど来ていない。東北には震災の記憶を伝承する語り部がいて、3.11の再現ジオラマもあります。例えば研修の場として、被災地だからこそ見てもらうものはたくさんあるのです。

また、被災地で新しく事業を始めた企業と大手企業が協業するという方法もあります。企画・開発段階から加わるのか、マーケット段階で加わるのか、企業によって関わり方はさまざまでしょう。コラボをすることで販路を広げたり、独自の展開をしたりしていただきたい。企業にとって重要なのは、被災地でビジネスをしているということから生まれるブランディングと情報発信。情報発信においては、われわれメディアもお手伝いをさせていただきます。

 

メディアの「目利きの力」と「媒介力」が重要に

もちろん、私たち河北新報社もメディアという一つの企業として、これまで以上に復興を、そして復興に携わる企業を後押ししていきます。河北新報は被災地の新聞として、発災以来、被災者に寄り添う報道を貫いてきました。震災から丸5年という節目を迎えても、さらに被災地の苦悩を伝え続け、問題の本質を掘り起こしていきたいと考えています。同時に、情報発信だけではなくて、自ら行動することも重要です。そこで12年1月、有識者を交えた東北再生委員会として「安全安心のまちづくり」「新しい産業システムの創生」「東北の連帯」の3分野11項目の提言を発表しました。その提言の具現化に努めて、進捗を検証するなどしています。特に、被災地のメディアとして、つなぐ力、メディアの媒介力の拡大が重要と考えています。具体的には、被災地で頑張っているけれど資金や情報、ノウハウが足りないといった人や企業を、応援したいというスポンサーとつなぐ役割です。私たちが目利きの役割を果たして、将来有望な事業であれば新聞などで積極的に紹介する。そのためにも、目利きの力にさらに磨きをかけていきたいと思っています。

もう一つ力を入れているのが、人材育成です。復興には次の時代を担う人たちの活躍が不可欠。被災地を伝える若手を支援するために、大学生を対象にした「記者と駆けるインターン」といった取り組みも手掛けています。これは、震災翌年の2012年からスタートして、今年3月までに通算13回を数えました。参加者は249人に上ります。取材のテーマは一貫しており、「被災地の中小企業の実態」です。人手不足や風評被害など悩んでいる被災地企業の実相を、自分たちで取材して伝える。学生の書いた記事は、実際に夕刊やウェブサイトで発信しています。

今、被災地が抱えている課題は、近い将来、10年後、20年後の日本の課題です。医療、介護、福祉、教育、農林水産業、エネルギーなど、さまざまな分野で得た解決策は、全国展開にも生かすことができるでしょう。そして、それは結果的に企業の成長に結び付くと考えています。

聞き手:電通MCP局メディア・ソリューション室エリア・ソリューション部長 北出康博

河北新報社 震災・防災