Experience Driven ShowcaseNo.79
感覚を工学する。「体験」は拡張できる!:前田太郎(後編)
2016/12/20
「会いたい人に、会いに行く!」第14弾は、大阪大学大学院情報研究科教授で、サイバネティクス研究の第一人者である前田太郎教授に、電通イベント&スペース・デザイン局の日塔史さんが会いました。東大の学生時代から、さまざまな科学・人文領域の研究を横断しながら、人間への興味とAIへの興味を融合させてきた、その思考、試行のプロセスに迫ります。
取材・編集構成:金原亜紀 電通イベント&スペース・デザイン局
人間とは、コンパスの入っていないスマホ?
日塔:次のトピックスは、前庭器官と前庭電気刺激についてなんですが、そもそも前庭器官というのはどういう器官なのですか。
前田:前庭器官というのは平衡器官のことで、平衡器官とはどこにあるかというと、内耳、音を聞いている耳の奥の、音を捉えている渦巻管の上にひっついているものです。解剖図では、前庭器官と渦巻管をセットにして内耳と言いますね。実は、その装置の下の半分の渦巻状になっているものだけ音を聞いていて、それと似通った器官だけど、全然形だけは違う器官が上に乗っていて、それが平衡感覚。いわゆる重力と回転加速度を捉えている。
日塔:下は音を聞いているんだけど、上は平衡感覚をつかさどっている。三半規管というのも、前庭器官の一部ですか。
前田:前庭器官は、三半規管と耳石器官になります。三半規管の方は、人間の回転を捉えていて、耳石は重力加速度を捉えている。重力だけじゃなくて、人間が動いたときの加速度も一緒に入ってくる。それはいわゆるスマホでいうと、皆さんが使っているジャイロと加速度センサーの二つです。スマホに入っていて人間には入っていないのが、コンパスですね。地磁気の方向を捉えるセンサー。
日塔:ああ、面白いですね。スマホは、そこはセンサーとして人間より優れているということですね。人間には地磁気センサーがない。なるほど、だから人間は方向音痴になっちゃうんですね。
前田:伝書鳩の研究で、ハトにはあるんじゃないかという説があるけれど、いまだに生物学の中でも結論が出ていないです。鳥が何で夜間飛行ができるのか。鳥目なのに何で方向が分かるんだろう、地磁気が分かっているんじゃないかという説があります。
日塔:先生が前庭器官に注目されたきっかけは何ですか。
前田:人間の感覚を捉えて、なおかつそれを入力する手段を探していた。五感全部そろえてやろうと思った中で、平衡感覚は普通では手出しのしようがないなと思った。
日塔:五感の中に、平衡感覚は通常は含まれない。
前田:五感という言い方自体、人間の感覚を捉える言葉としてはふさわしくない。内耳というのは、頭蓋骨の中に埋もれているのです。頭蓋骨の中は脳で、外は皮膚です。その間の骨の中に穴があいていて、その中に内耳が詰まっているんですよ。
日塔:脳と耳ってつながっているという感じですね。
前田:そう。だって、頭蓋骨は耳の穴から脳の部屋まで穴が全部一つでつながっていますから。その中間に骨の中に埋もれているのが内耳で、それがある場所が乳様突起です。
前庭電気刺激に関しては、われわれが研究する5年前くらい(2000年前後)にはすでに発見されていました。真っ先に使われたのは耳鼻科ですが、あまり流行らせずすたれ始めていました。というのも、あまりに強烈に利くので医学的な検査目的には使えなかったのですが、私たちはそこに注目しました。
日塔:耳の後ろにシールみたいな小型装置を貼り付けるだけで体験できると聞いてすごいなと思っていて、どれだけ軽量な装置にできるのでしょうか。
前田:われわれは研究者なので製品化を狙っているわけではなく、どこまで小型化できるかを究極で目指していないですけれど、可能性としては電池と回路は既存の技術を使えば、ほぼどこまででも小さくできる。電力としての十分な電池さえ手に入ったら。
日塔:電池のサイズ?
前田:恐らく、電極のサイズまで小さくなるでしょうと。でも結局、電極をどれだけ小さくしていくかの方は、ある種の限度があって…。なぜかというと、痛いんですよ。
日塔:小さくすると大きな刺激を与えなければいけないから。
前田:そうです。そういう意味においては、あくまで小型化の究極を言われたら電極のサイズ、人が痛がらない電極のサイズまでということになります。
臨場感とは、マルチモーダルにおける違和感のない状態
日塔:視覚を中心としたVRは今すごく注目を浴びていますけれど、その他の感覚、例えば聴覚含む耳周りのVRみたいなことに関して、今のブームとはちょっと違った可能性を感じています。
前田:恐らくおっしゃっている感覚は、実は平衡感覚だけ、視覚だけに限ったことではなくて、バーチャルリアリティーの本質というのは、マルチモーダルといわれる複数の感覚が全部一つの現実を指していること。すなわち見えているものと聞こえているものが、例えばここで何かが鳴っているならば、音がここだと示している、見ているものがここだと示している。「あっ、今、音が同時に変化した。見えているものが変化した。だからこれはここにあるものなんだ!」という、複数の感覚の一致なんです。
日塔:いろんなセンサーを使っていますよ、ということですね。
前田:人間が感じる臨場感というものは何かというのを、ずっとバーチャルリアリティ学会でも語られてきていて、マルチモーダルにおける違和感のない状態、すなわち全ての感覚が同じ事実を指し示している状態を指して、われわれは臨場感と呼んでいる。恐らく今流行しているVRは、ようやく自分の体の動きと視覚の動きが一致しただけの、二つだけのマルチモーダルなんです。そこに三つ目が入ってくると、臨場感のレベルがポーンと上がる。それが多分、今の分野では物足りない最たるものです。
まさにそこから音が聞こえたよ、そこに触れたよ、さらに言うと、今その動きをした平衡感覚が来たよ、というところまで来ると、本当のリアルに近づいてくる。バーチャルリアリティーに求められていることはそれなのでしょうね。
バーチャルリアリティーというのは、リアルな方が酔わないんですよ。今のVRはリアルが崩れるから酔っている。例えばゲーム酔いというのは、大きなテレビの前では、映像は自分が揺られているかのように動いているのに、自分自身が揺れていないから酔うんです。見ながら同時に自分も揺れていれば、実は酔わないでちゃんとリアルに感じる。
日塔:今のお話でいうと、アクションが激しくなればなるほどそれに合わせて前庭電気刺激で揺れと平衡感覚を同調させれば、逆に酔わなくなるということですね。
人工知能で、感情はつくれるか?
日塔:今はヘッドマウントディスプレーが、イコールVRみたいになっていると思うんですが、先生の考える触覚とか平衡感覚とか、嗅覚、味覚、そういったものまで踏み込んだウエアラブルデバイスというのは、実装や量産の例がありますか。
前田:それぞれ要素技術はやっています。例えば味覚や嗅覚は、実際に味覚物質を準備して、鼻や口に入れるというのは既にある。でも物質は刺激を与えるのは得意ですが、消したり入れかえるのが苦手。要は一度においを嗅がしちゃうと、そのにおいを消すのが難しい。電気刺激のいいところは、現物がほとんど存在しないので、すぐに消せることですね。出したり消えたり、すぐできる。だから味覚も、ほとんど味がしないアメか何かをなめておいてもらって、その状態で電気刺激をすると、その味が突然現れたり消えたりするというのができるんです。
日塔:今まで「感覚」について伺いましたが、もう一つ、センサーで「感情」にアプローチできないかと考えています。前田先生は「感覚」を工学的につくり出すという研究をされていますが、「感情」を工学的につくり出すことも可能だと思いますか。
前田:うちが取り扱っている研究テーマの本道ではないですね。今のところ、感情の定義に科学自体が失敗しているに近い。やはりホルモンや何かの応答、すなわち人間の感情って、一番影響を受けるのは薬物なんです。薬物というと聞こえは悪いですけども、人間自身がホルモンやフェロモンを持っているので、それに簡単に誘導されてしまう。
日塔:なるほど。自分自身で怒っているとか喜んでいるとかと思っているつもりが、かなりホルモンに影響されている。
前田:人間の誘導で一番怖いのは、化学物質を使うことですよ。それをやると大半の感情は誘導できてしまう。それを避ければかなり安全性は高まりますが,今度はだんだん儀式めいた感情の誘導になってきてしまう。例えば、前庭電気刺激のデモでどうしても体験者が長時間やりたがるので、現在はやめているのが音楽との連動です。最初は、音楽と連動させたら評判が良かったのです。リズムに合わせて人間の体が震える状態をつくると、まるで踊っているかのような感覚が出るから。ところが逆に、踊る習慣がない人たちが酔って気持ち悪いと言いだして。研究としてはストップした。
日塔:その一方で小学生の時を思い出すと、キャンプファイアや運動会でみんなで同じ動きで踊ると、言葉にできない不思議な高揚感や連帯感が生まれますよね。きちんと事前に理解して、倫理的な問題をクリアできれば、体験の拡張、感情の拡張として興味深い現象だと思います。
生物としての人間はいつかAIに世代交代する、心の準備はできていますか?
日塔:最後になりますが、人工知能全体について伺います。今後AIはどのように進化していくと思いますか?
前田:アルファ碁が出た時点でわれわれが考えるべきは、今まで人間が判断して正しいと思っていたことを、もう一度疑ってみるべき段階に来たと。過去に人間が判断して、明らかだよね、でも数学的証明じゃないよねと言っていたことは、もう一遍AIに見せてみるべきところに来たと思います。AI技術といわれているディープラーニングを含むパターン認識技術が、これから大きく実用の世界に入り込んでくる。それによって起こるパラダイムシフト。人間の機能の一部はAIに置き換えられていく。結局、いつまでも人間が文明のトップじゃないよねというのはあります。
私は、どちらかというとシンギュラリティーは怖くないと思っていて。生物としての人類が永遠に続くということを私は期待しているわけではなく、もし人類が人間の枠組みに限界を感じて、自分たちが生み出したAIにその座を譲る気ができたならば、いよいよ楽隠居を決め込んで次世代に任せるという、生物として霊長としての世代交代をする時期が来るかもしれません。それを不幸と思うかどうかは別の問題ですけれど。
日塔:人間は、むしろ安心できるかもしれない。
前田:そう、要はいい後継ぎを育てることに成功すれば、ある意味社会を安心して後継ぎのAIに任せられる。シンギュラリティーが怖いって大騒ぎしているけど、それはそれでただの世代交代以外の何物でもないと思いませんか?
日塔:おっしゃっているシンギュラリティーはカーツワイルの言う、ナノボットが一人一人の人間の体の中に入って機械と融合する、みたいな話とは別ですか?
前田:ナノボットというよりは、世間ではロボットが人間の世界に出てきて、人間に取って代わるのが怖いというイメージですね。本当に怖いことですか、個人レベルでは普通に起こっていることですよという話です。例えば自分が子どもを育てて、やがて子どもに凌駕されるという、シェークスピア以来の恐怖と全く同じ不安で騒いでいませんかと。結局のところ自分の老後も見てくれる、いい子にAIを育てるしかないじゃないですか。科学技術は人間が生み出すものなので、自分の子どもをいい子に育てられるかどうかだけ心配していればいいんです。それが科学者としての私の見解です。
日塔:明快ですね。ぜひ今後も研究の行方をキャッチアップさせていただきたいです。今日はとても勉強になりました、ありがとうございました。
<了>