大﨑洋氏「吉本の本質は『家族的』、これから100年も」第1回
2013/12/16
今年、就任5年目になる、吉本興業・大﨑洋社長。創業100年を超えた"お笑いの老舗企業"を率い、さらに「次の100年」を見据えた、新しいプロジェクトを次々に立ち上げている。エンターテインメント界のコンテンツビジネスの未来を、どう見定めているのか。自らを「普通の人間」と言いながらも、その時代への嗅覚と人間観にはトップリーダーならではの非凡さが光る。笑いのパワーをビジネスに仕立て上げていく秘訣。3回に分けてお送りする。
【第1回】 人間、誰もが「いい感じ」で働きたい
創業100年に掲げた三つのキーワード
吉本興業が創業100年を迎えた昨年、僕は「デジタル」「地方」「アジア」と三つのキーワードを掲げました。
「デジタル」に関しては、その重要さはいまさら言うまでもありません。エンターテインメントビジネスでは、音楽も映像も、これからは「パッケージから配信」の時代になる。お笑いの世界も例外ではありません。吉本興業ではデジタルコンテンツの制作会社とレコード会社を立ち上げて、"配信の時代"に備えてきました。
コンテンツビジネスというと、制作者や出演者の権利処理など難しい問題がいろいろあるのですが、自社のタレントやアーティストを使って一からつくり上げるなら、コンテンツホルダーとしての優位性を発揮できます。吉本興業には800人の所属芸人がいる。これは公表の数字ですが、実際のところは年収数百円という芸人も含めれば4500人くらいいます。人=コンテンツと考えれば、大きな財産であることは間違いありません。
地方に行っても「地方」に目が向かないもどかしさ
一方、「地方」と「アジア」は、日本国内か海外かという違いはあっても、エリアビジネスという意味では似ている側面もあるかと思います。「地方」については、僕自身の個人的な体験もあって、かなりこだわりがあります。
かつて僕はマネージャーとしてタレントさんと一緒に地方の営業によく行っていました。20代の後半だったと思いますが、新幹線に乗っていて、地方都市の街並みや田園風景をながめていて、ふと「ここに住んでいる人たちはどんな生活をしているんやろう?」と思ったのです。ぼんやり「兼業農家が多いのかな」とかいろいろ考えるのですが、問題はそこから先。働いている人の姿や顔が思い浮かばない。リアルに想像することができないのです。これはショックでした。
考えてみれば、大阪という中核都市に生まれて大学まで過ごし、吉本興業に入って2、3年目には東京に転勤。地方出張も多かったのですが、たいていは1泊2日のとんぼ返り。その土地を肌で感じる機会なんてまずない。「地方」を意識するとすれば、帰るときに、「駅弁、どれにしよか」くらいなものです。
あのときは、とても情けない気分になったのをいまでもよく覚えています。その引け目意識のようなものを、心の片隅でずっと抱えていたのではないかと思います。
それから、もやもやとした思いが続いていたのですが、ある日、テレビをボーッと見ていたとき、「地方の学生の就職先がなかなか決まらない」というニュースが流れた。そのとき、「あ、これや!」と思ったのです。
野武士のような現地採用マネージャー。その入社式でうるっときた
地方の若者の働く場所がない。ならば、吉本興業が少しでも役に立てることがあるんとちがうか。その思いに背中をポンとたたかれて始まったのが、「あなたの街に“住みます”プロジェクト」です。これは、創業100周年を迎えた吉本興業の特別プロジェクトとしても位置付けられました。
47都道府県に一組ずつ、その土地にゆかりのある若い芸人が住み着いて、地域に根差した活動をする。イベントでもテレビ・ラジオの出演でもいい。もともと、東京や大阪にいても、そんなに仕事があるわけじゃない。ならば、故郷に錦を飾ってひと暴れするチャンスです。さっそく若いタレント候補生に声を掛けました。
「おまえ、実家はたしか長野やろ?」
「は、はい」
「自分が使ってた子ども部屋、まだ残ってる?」
「はぁ、ありますけど……」
「よし、分かった。そこ、明日から吉本の事務所や」
そんなふうに始まったプロジェクトでした。
一方、マネージャーは現地採用です。47都道府県で一人ずつですから、採用は47人。大企業のように何百人、何千人の雇用創出効果があるわけではありませんが、彼らが芸人と一体となって、自分の生まれ育った地域を元気にする役割を担う。そこに大きな意味があります。
意気に感じたのは、マネージャーとして現地採用した47人を東京に集めて、その年の大卒新規採用の十数人と一緒に入社式をやったときのことです。現地採用組はみな中途採用で、野武士のような顔つきをしてる。あいさつするときも、「吉本の看板やのれんを守って、地方のために、私の出身地のために頑張ります!」と、驚くほどボルテージが高い。実はその年の入社式は、あの東日本大震災からまだ1カ月もたっていないときで、47人の中には、当然、東北出身者もいたわけですが、彼らも声を大にして決意を表明する。それを聞いて、思わず目がうるっときました。
"住みますプロジェクト"は今年で3年目になりますが、芸人の活動もあちこちで成果が出てきています。愛知県では、犬山市に「サムタイムズ」という漫才コンビが住み着きましたが、犬山城の城下町で人力車を引っ張ったりして、テレビや新聞に取り上げられた。地元の人たちの注目も集まるようになって、一時20万人を切っていた犬山城への年間来場者が、一気に40万人を超えたといいますから大したものです。
他の地域の連中も頑張っています。芸人は1年間くらいで交代することもあるのですが、これまで222人が地方の観光大使などに任命してもらい、地域振興のために活躍しています。
人は誰もが、自分の大切な人のために働く
"住みます芸人"や、一緒に汗を流している現地採用の社員の働きぶりを見ていて、そもそも働くってどういうことなのかと、この年であらためて考えるようにもなりました。
3・11以降、家族の絆とか結び付きを強く意識する人が増えたといわれていますが、そもそも「働く」という行為は、家族との絆を強く意識した営みですね。ここでいう家族とは、もちろん、血縁や性別にとらわれない多様なカタチの家族も含めてです。広告代理店の人も、八百屋のおじちゃん、おばちゃんも、そして芸人やそのマネージャーも、自分が大好きだったり大切にしている人のために働いているはずです。たとえ独身であってもお客さんのために尽くしていたり、上司や部下のために身を粉にしていることがあるはずです。結果的に誰かのために汗水を流す。それが、働くことの本質ではないでしょうか。
そう考えたら、働くというのは、働く人間にとっても、その恩恵を受ける人間にとっても、とても「いい感じ」の営みであるはずです。そう思いませんか?
"住みますプロジェクト"の芸人や社員の働きぶりを見ていると、みんなそのいい感じがとても伝わってきます。東京や大阪で芸人としてまだ独り立ちできていなかった若手が、自分のふるさとに帰って、仕事を通じて思わぬ楽しみを見つけることもできた。商店街のおじいちゃん、おばあちゃんを訪ねて、「吉本ですねん」と言うと、「え、あの吉本が来たんか」と歓迎されるわけです。
吉本の名刺を持って、町長さん、市長さん、知事さんのところに「すみませーん」って言いながら気軽に訪ねていくこともできる。僕ら、世間常識に縛られる大人世代は、とてもそんなまねはできません。でも、彼らにとっては、それが「いい感じ」。しかも、そんな調子で働ける場がどんどん広がっていくわけです。「お、吉本か。実はこんなことしたかったんや、相談に乗ってくれるか?」「分かりました!」って二つ返事で応える。地元の人にかわいがられながら働く喜びをひしひしと感じているはずです。
好きな人や大切にしたい人のために働いて、働くほどに人に喜ばれる。これは、「働く」の理想形ですね。私も社会人になったばかりの頃、今は他界したおふくろからよく言われたものです。「ひろし、みんなにかわいがられて働くんやで」と。ただ、入社してからの現実はといえば、僕自身がハミ出し社員だったせいもあって、そう簡単にかわいがってはもらえませんでしたが(笑)。でも、なんだかんだいっても、今日があるのは、自分なりに「いい感じ」で働いてこられたからだと思います。
〔 第2回に続く 〕