映画「余命10年」制作裏話(前編)
2022/05/26
累計動員数は225万人を突破、興行収入も30億円を目前にし、今年公開された邦画実写でNo.1となった(5月初旬時点)話題の映画「余命10年」(2022年3月4日公開)。
日本アカデミー賞で最優秀賞3部門を含む6部門受賞をはじめ、実力と年を兼ね備え、日本で最も多忙な監督の一人と言われている映画監督・藤井道人氏と、原作の映画化権を獲得し、映画のプロデューサーを務めた電通・川合紳二郎氏、制作メンバーの一人として支えた電通・北川公也(ともや)氏が、この映画に込めた思いや制作秘話などについての対談を行った。
映画「余命10年」の制作舞台裏だけでなく、15秒・30秒のCMをつくり、スポーツイベントなどを仕切るといったイメージの強い広告会社が、映画制作に加わることで生まれる可能性。そうしたことを、現場で共に汗をかいてきた「仲間たち」が大いに語りあう、とてもワクワクする時間。その内容を、「前編」「後編」に分けてご紹介したい。
小坂流加さんの故郷「三島」への訪問が転機に
北川:まずは制作にまつわる思い出を語っていただきたいと思います。最初に原作小説を映画化し、その監督を藤井さんにオファーすることになった経緯、そしてオファーを受けた瞬間の藤井監督の気持ちや感情について、お二人に伺いたいたいと思います。
川合:ワーナーさんと電通の2社の会議で、監督案を出し合おうという話になったんです。そうしたらちょうど、ワーナーさんのプロデューサー、そして私の方から「藤井監督に撮ってほしい!」と偶然にも一致しまして、その会議終わりで、オファーさせていただきました。個人的に監督の作品をいろいろ見させてもらっていて、特に「青の帰り道」という映画の単なる青春モノではない、10代特有のみずみずしさと苦々しさの同居した映像作品に感動しまして、ぜひこの映画を撮ってほしいと思いました。
北川:藤井監督としては、オファーを受けた際はどういうお気持ちでしたか。
藤井:やっぱりメジャーの舞台で作品をやるっていうことにすごく意欲があったので、喜んで最初はいきましたね。やったーようやくメジャーだ、みたいな。ただそこでやっぱり「余命10年」っていうタイトルを聞いて、なぜ自分に恋愛映画のオファーが?という気持ちになりました。当時、「新聞記者」を撮り終わったばっかりで、やっぱりモードがそこまで恋愛っていうものに興味がなかったので、斬新だなぁと思いました。
北川:当初少しびっくりもされたということでしたが、最終的にこの作品に取り組む覚悟が決まるまで、どんな過程があったんでしょうか。
藤井:実は最初はメジャー作品ならではの“分業制”みたいな部分に戸惑いがあり、この中で自分からコンセンサスをとりながらつくれるんだろうかという不安感は、最初の半年間ぐらいは結構ありました。
そんなとき、川合さんがいいタイミングで原作者の小坂流加先生の故郷である三島につれていってくださったんです。小坂さんのご家族とお会いしたときに、すごく温かく迎えてくださって。生きてきた小坂さんの歴史をすごく涙ながらに話してくださったことが、やっぱり自分の心にはすごく強く残りました。そこで思ったのはやっぱり原作を単に映画化するんじゃなくて、この小坂さんが生きた証を、映画としてしっかり残したいなということでした。
北川:川合さんは監督と三島に訪問された時のことを振り返っていかがですか?
川合:あの時期は、こちらの責任なのですが、制作が少し停滞していた感じを受けていました。ただ、この映画の企画である「小説の物語」と原作者である「小坂流加さんの人生」の交差するハイブリッドな映画、ということを実現するには、藤井監督には、ぜひご家族に直接会っていただきたいと思っていました。藤井監督に三島に行っていただいて、一気に制作が進展し、おっしゃるように小坂さんの生きた証が映画に吹き込まれていく様子に感動していました。
北川:本作の制作過程にもさまざまなドラマがありました。今振り返って最も大きなターニングポイントだったと感じるのはどの場面でしたか?
藤井:やっぱり自分の中では茉莉が和人と恋に落ちる桜のシーンです。この映画は王道な方がいいかな、という自分の中でもある種の責任みたいなものがあって、脚本をつくっていく段階で、茉莉が明確に和人を好きになった瞬間っていうのを描くべきだと考えていたんです。ただ、脚本にすると文字づらだけになってしまうので、それでビジネスを判断する人たちは心配だと思うんです。でもそれを説明するようなナレーションを入れたくないんです、と突っぱねていたんです。この桜が舞ったという偶然を一緒に共有するということを、映像で伝えたい。どうしても伝わらなかったらナレーションを入れてもいいです、と言ったシーンでした。だからその桜のシーンを撮る時は、実はすごい緊張していたんです。全然微妙だったらどうしようみたいな(笑)。そういうプレッシャーはすごくあったんですけど、結果すごくいいものになりました。
北川:川合さんは印象に残っているシーンはありますか?
川合:象徴的だったのは、結婚式のシーン。箱根で収録していたのですが、撮影中も大雨で(笑)。茉莉と和人のシーンの直前に、雨がやんで虹が、パーっと出て。あの虹を見たときに、この映画は祝福されたものになると思いましたね。
藤井:うん。朝までずーっと、雨が降っていて。結婚式のシーンで。終わった、きっつ、と思っていたら茉莉と和人のシーンで雨がやんで、虹がぶぁーっと出て。
北川:めちゃめちゃ青空でしたよね。天候だけでなく、コロナの影響も受けながらも最小限にとどめられましたよね。
藤井:恵まれました。今までつくった映画でもいろいろな困難があって、それを乗り越えてっていうのがあったけれど、今回のは、いい苦難。それをみんなで乗り越えてきた、という気持ちがすごくある。つらい、もう嫌だ、一生思い出したくない、っていうことが「余命10年」に関しては1回もなかったです。
北川:今回の作品は、原作者の小坂流加さんが主人公「茉莉」のモデルとなっていますよね。フィクションとノンフィクションの間、という難しい作品づくりとなったと思いますが、最も通常の作品と異なる点、気を使った点などを教えてください。
藤井:循環をつくりたかった。ただ単に原作を映画化すると塗り絵みたいなことになってしまう。もしかしたらそういう時って、原作の方が面白かったりとか、比較対象になっては良くないなと思った。
原作に描かれなかったこと、原作を書いている人間が思い浮かぶように、そして、今回は小坂流加さんという人が生きた証しを描きたい、三島で小坂家の皆さんに実際にお会いしたときに、この人たちの物語をちゃんと描きたい、彼女が生きた証しとして遺(のこ)した「余命10年」を、またみんなが読んでくれて、それを書いた小坂流加さんという作家に捧げたこの映画に戻ってきて、という循環ができたら、新しい映画化っていう形にトライできるんじゃないかっていうことが、根底にもありました。
そして、小坂さんのご家族にお会いしてから、どんどんそういう方向になってきましたね。小坂さんが生きた証し、「余命10年」っていう小説を生み出すまでの、もしもの話にちゃんとなったかなと思いますね。
北川:川合さんは一緒につくっていく中で、何か気にされた点とかありますか。
川合:そうですね。藤井監督に三島でご家族に会っていただいてから、さらにご家族も協力的に、前向きになっていただいたと感じてました。監督がおっしゃった、小坂流加さんの生きた証にするんだという責任感は当然持ちながら、寄り添う姿勢で制作していった、そこがこの映画独自の物語をつくっていった、という気はしますね。
成功体験は過去の成功であって未来へのトライではない
北川:本作では、プロデュースに加えて宣伝部分でも電通の戦略クリエイティブチームが入り、ワーナーさんの宣伝部と共同チームをつくらせていただきました。広告会社が映画の製作・宣伝に入ったことで感じたこと、また現状の映画宣伝で課題と感じられていることについて率直にお伺いさせてください。
藤井:電通だから、広告会社だからどうっていうのはあまりなくて、川合さんっていう人と一緒にやれたというのが大きかったと思います。小坂家の皆さんのケアだったり、すべてのことをやってくださったので。「映画」っていう名の下に大きい会社、小さい会社もなく、みんなフラットだなと思っているところに、川合さんの人柄もあって純粋にモノをつくるパートナーとして一緒にできたのは、とてもよかったと思います。
川合:ありがとうございます。僕としては今回、映画化権を獲得して、一緒に企画して、映画化するということをワーナーさん、そして藤井監督とご一緒できたことは、何か大きなご縁に導かれたなあと思っています。これまで映画宣伝には多く携わってきましたので、「余命10年」の宣伝についてもきちんとやらせてもらおうと思っていて、事前に社内のメンバーと一緒に準備はしていました。
藤井:宣伝に関しては、どの業界にもいえることだと思うんですけど、成功体験や慣例にとらわれ過ぎてしまっていると思うんです。でもそれって数年前の成功であって、未来に対してのトライではないんですよね。TikTokやYouTubeみたいなものがなかった時代のやり方やルールが、いまだにそのまま使われていたりしますよね。安定が大事なのはわかるけど、安定に安住した人間たちの未来ってどこにあるんだろうと、いつも思っています。例えば、宣伝チームはもっと制作の早い段階から入るべきだと思うんです。海外では監督の交渉段階から宣伝も一緒に入って、主演は誰々に決定とか、そういったこともすべて話題をつくる要素として使っていくんです。
川合:映画宣伝には型のようなものがあって、やっぱり前例を踏襲してしまう、みたいなところの難しさは今までの仕事でも感じていました。ところが今回、例えばRADWIMPSの野田さんが脚本を読んだだけで、つくっていただいた主題歌「うるうびと」のデモ音源を聞きながら、役者さんの衣装合わせをして、役者さんも主題歌を聴いて役作りをされたり。また、撮影カメラマンの今村さんがスチールも撮って、それを宣伝にも使わせていただいたり、藤井組は新しいことを次々とやってました。
そんな新しいことを、ひるまずにやる藤井組の良い流れが、宣伝にも良い影響を与えたのではと思っています。ワーナーさんの宣伝チームが、電通の戦略クリエイティブチームをフラットに受け入れてくださったんですよね。例えば、この映画の宣伝戦略「悩めるすべての人に寄り添う物語」というのも、こちらが若者などの実態を想像しながらマーケティングデータをみて、ファクトから一緒に考えて、ディスカッションしながらつくってくれて。
藤井:全部が多分、前例のないことでしたね。
【後記】北川公也(電通)より
藤井監督の言う「前例がないこと」は、実は宣伝にもつながっている。この映画の宣伝チームは、さまざまなことを、手数多くかつ効果的に手掛けている。特別予告編で、藤井監督と野田さん、主演の小松さんや坂口さんが、この映画や音楽に対する思いと舞台裏を語るという映像があるが、こうした映像をつくること自体、前例はあまりないと思う。藤井組の皆さんの「前例のないこと」にチャレンジする姿勢は僕らのような広告会社で働く人間にとっても新鮮だったし、なにより、多くのことを学ばせていただいた。