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大﨑洋氏「吉本の本質は『家族的』、これから100年も」第3回

2013/12/20

【第3回】 転がる石に苔(こけ)はつかない

平凡な人間にしかできないこと――ひたすら相手の声に耳を傾ける

エンターテインメントビジネスは、才能豊かなタレントあっての商売です。それを生かすも殺すも、現場のマネージャーをはじめ、われわれバックヤードにいるスタッフの力が問われます。

僕自身がラッキーだと思うのは、吉本には昔から自由な社風があったことです。前にも触れたように「毎日が文化祭」のようなものですから、ちょっとした思いつきで上司に提案したことでも、「やってみたらええやん」と言ってもらえた。

僕が若い頃に大阪の「心斎橋筋2丁目劇場」の運営を任されて、それまでの吉本の伝統的なお笑いのカラを破って、ダウンタウンを輩出することができたのも、吉本の「自由な社風」のおかげです。その後、低迷していた吉本新喜劇再生の仕事に回されたときには、「半年間でうめだ花月に18万人の観客が来なければ新喜劇はやめる」という「新喜劇やめよっカナ!? キャンペーン」なんて思い切ったこともできた。

決して謙遜して言うわけではないのですが、僕自身にユニークな発想力があったわけではありません。僕は、よく女性誌に載っている才能見極めテストみたいなものをやると、きまって「普通」タイプになる、そういう男なのです。天才型でも秀才型でもないし、かといって才能のかけらもないというわけでもない。平均的。中庸。中くらい。平々凡々…。

そういう人間なので、いつもどうしていたかというと、タレントの声にひたすら耳を傾けていたのです。

当時よく話をしていたのは、さんま君や紳助・竜介、のりお・よしお、オール阪神・巨人…みな僕と同世代ですが、彼らは、一人一人個人事業主として人生を懸けているので、ボルテージがもともと高い。だから、「大﨑さん、今度こんなことしたいんや。どう思う?」とよくアイデアをぶつけてくる。ただ、僕はなにせ「普通」なものだから、キラリと光るような言葉で返せるわけではないでしょう。だから、「いいやん、いいやん」とか「やったらええんと違う。一緒にやろうや」などと、ただ相づち打っているようなものでした。

「そうは言ってもなぁ」とは絶対言わない

でも普通は、マネージャーという立場では、「そうは言ってもなぁ」という言葉が口をつくこと多いのです。相手がさんま君だったら「もともと落語家の弟子なんやから、たまには落語もしいや」とか、紳助・竜介には、「そんなボソボソしゃべっていてもあかん。漫才はちゃかちゃんりんで、舞台の袖からばーっと出てきて、『どうも、ようこそいらっしゃいましたァ~』、これや」とか言うわけです。

でも、僕はあまり余計なことを考えずに、「あ、それ面白いやん。やろやろ」と言ってしまう。心斎橋筋2丁目劇場で、ダウンタウンの松本人志や浜田雅功、今田耕司、東野幸治、木村祐一、板尾創路とか、当時のまだ18、19歳の連中と一緒にやって、つくづく思ったのは、才能ある人間には、やっぱりその才能を発揮できる場が何よりも大切なんだということです。その「場づくり」が僕らの使命で、彼らがここでハリセンが欲しいといえばすぐにでも作るし、コントにどうしても山高帽が必要だと言われれば1時間掛けてでも買いに走る。

「やろやろ」と言った手前、それは当然ですよね。「そうは言ってもなぁ」とか「そんな、聞いてへんわ」なんて絶対言えない。それが「普通」の人間なりの、能力の発揮の仕方とでもいえばいいのか。タレントのマネジメントは、結局、彼らにどれだけ寄り添えるかですから、僕の場合、「普通」であることが、彼らの才能を受け入れる素地をつくってくれたのだと思います。

人材の多様性こそが、新しい時代の「面白い」を生み出す

タレントのマネジメントに限らず、人が集まるところ、つまり組織は、人の才能が生かせる場があってこそです。それは、性別、年齢、学歴も関係ありません。吉本は今春から、中卒・高卒の新卒採用枠も設けました。芸人だけでなく、社員についても、人材の多様性こそが、新しい時代の「面白い」を生み出す原動力になると考えているからです。最近、総務の担当者が「うちもそろそろ定年延長を」という話をしてきましたが、年齢の多様性という意味では、それもええことやと思います。

吉本は今年で創業101年になります。社員も800人になりました。これだけの歴史と従業員規模を持つようになると、社長の思いつきのひと言で「そら、行けぇー」というわけにはいきません。社員一人一人が、それぞれの役割と才能に応じて力を発揮できる「場づくり」が欠かせません。そのためにも、人材には多様性があった方がいい。

以前聞いた話ですが、幼稚園や保育園と老人ホームを併設すると良いことがあると。お年寄りは、午前中から子どもたちがはしゃいでいる声を聞くと、それだけでその日一日元気に過ごせる。子どもたちは、近くにおじいいちゃん、おばあちゃんがいると、自然にお年寄りを敬うようになる。つまり、異なる世代が、互いに良い刺激を受けるようになるということです。それが、なんといっても多様性の大きなメリットです。

会社という組織も同じやと思います。

年齢の幅があるほどに、世代ごとに刺激を受ける機会が増える。子どものようにやんちゃに振る舞うやつもいれば、老練な技や知恵をもつシルバー世代がいてもいい。学歴が中卒でも、大学卒の社員にはない視点と発想があるはずです。優秀な才能を持つ人間がいる一方で、そうでもないやつもいるのが組織です。たとえ、他より能力が劣るやつがいても、その能力を生かせる場が用意されているのが理想の組織だと思います。

マネジメントの最大の役割は、才能を秘めている人間のための「場づくり」

要は、多様な人材に応じた適材適所の「場」が用意されているかどうか。事務能力はイマイチでも、愛想はピカイチの女の子が、劇場のもぎりをする。その愛想につられて、お客さんが帰り際に「今日のあのネタ良かったで」とひと声掛ける。その声が、女の子からマネージャーや芸人に伝わる。「よっしゃ、明日からもこれでいこう」と芸人が自信を深める。そんな連携とチームワークが、多様な人材の適材適所から生まれるんやと思います。

もちろん自分はこうしたい、こんな仕事をしたいと思っている人間には、トライできる場を与えることも大切です。特にエンターテインメントビジネスでは、タレントが隠れた才能を発揮するための「場づくり」は大切やと思います。ダウンタウンの駆け出しの頃は、誰も面白いとは言わなかった。でも、僕は正直、面白いと思っていたので、彼らにも「いいやん、いいやん」と言っていた。タレントって不思議なもので、一人でも「面白い」と言う人間がいると、それががんばりや自信につながることがあるのです。

ビジネス社会の一般論としていえば、マネジメントする人間は、才能を秘めている人間の「場づくり」が最大の役目ではないかと思います。これは、クリエーティブの世界でも同じでしょう。その場づくりができてこそ、多様な人材が生きる。

本質を変えないために、常に変わり続ける

創業100周年を迎えたときだったか、ある機会に「吉本の本質を変えないために、変わり続けなければならない」と、なんや禅問答みたいなことを言ったんです。社長に就任して、これまでとはまったく違う吉本興業をつくろうなんて気はさらさらありませんでした。営々と築いてきた吉本の屋台骨というか本質的な部分は胸を張れるものがある。しかし一方で、時代の趨勢に合わせて変えていかなくてはならない点も多々ある。それを言いたかったのです。

転がる石は苔(こけ)をつけない。つまり、石はかたくなまでに石のままでいい。だけど、その石が苔むしてきますと、磨かれた石も台無しになってしまう。だから、常に転がり続けて、表面につきやすい“苔”を振るい落としていかなくてはならないのです。

ならば、その石の正体、「吉本の本質」って何だろう? 

そう考えて、あらためて自分でも得心したのは、「家族的」という言葉でした。もうベタベタの価値観ですが、しかし、この「家族的」という言葉の他に、吉本の本質を語る言葉はない。良くも悪くも「家族的」であったからこそ、多少の困難があっても、100年続いてきた。

そしてこれからの100年を考えたときにも、働く場に「家族的価値観」があることは、決して悪いことではない。むしろ、時代はそれを求めていると言ってもいいかもしれません。つまり、吉本がこれからも受け継いでいくべき大切な価値観が「家族的」である。私はそう確信しています。その家族的組織を守り続けていくために、変わり続けていく戦略分野が「デジタル」であったり、「地方」や「アジア」なのではないかと思います。(完)