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Dentsu Design TalkNo.10

蜷川実花×後藤繁雄

「写真」をクリエイトする

2014/01/24

Dentsu Design Talk 第85回(2012年8月21日実施)は、写真家で映画監督の蜷川実花氏を招き、映画『ヘルタースケルター』の制作話から写真の仕事についてまで、蜷川氏のクリエーションの秘密についてお話をうかがった。聞き手は蜷川氏の写真展プロデュースや写真集の編集も手がけている編集者の後藤繁雄氏が務めた。

(企画プロデュース:電通人事局・金原亜紀    記事編集:菅付事務所 構成協力:小林英治) 

 

蜷川実花氏
蜷川実花氏(写真家/映画監督)
後藤繁雄氏
後藤繁雄氏(編集者/アートプロデューサー)

  

どれだけ自分が物語や登場人物にシンクロできるか

トークはまず、当時公開中の映画『ヘルタースケルター』の話題からスタート。普段は写真の仕事をしている蜷川氏が映画を撮るときに重視しているのは、「どれだけ自分が物語や登場人物にシンクロできるか、命がけでできるか、私でなければできないことがあると思い込める作品か」という点だという。『ヘルタースケルター』では、もともと大好きだった岡崎京子さんの原作マンガに「男が論理的には分かっても、生理的には女じゃないと分からないこと」が描かれていると捉えた。さらに映画製作の現場には女性が少なく、異業種から来て女性の気分のままで映画を作れることが逆に自分の強力な武器であると意識していたため、「女性の映画監督として、女性の原作者で、女性が主人公で、“女とは”ということを作品で深く掘り下げています」と語った。

自分を掘り下げて向かい合った怒りとコンプレックス

1990年代の岡崎京子さんの作品を2010年代に映画化することについては、「マンガを読んだ若い時にシンクロしていたものと今シンクロしているものとはまた違うのでは?」との後藤氏の問いに対し、蜷川氏は、若い頃は“女とは”ということにシンクロしていたが、もうひとつの関心として当時から今に至るまで、「圧倒的に消費される東京という街の中で、消費される側と消費する側の温度差みたいなものがずっと引っかかっていた」という。「普段の仕事で、どれだけ華やかに見えても裏では大変な思いをしているモデルや女優さんの姿を身近で見ていましたから、それに対して自分の身を隠して無責任なことを語る人々に辟易し、怒っていたと思います。それに自分のことを考えてみても、女の子写真ブームのなかでデビューして、ものすごく消費されやすい状況だったし、蜷川幸雄の娘ということで常に見られる風圧のなかで活動してきて、消費される側の怒りみたいなものが自分の中に蓄積されていました。映画を1本撮るということはものすごく自分と向き合うことなので、自分の中を掘っていくと、こんなに私は怒っていたのかと気づきました。私は、“人としてはイケていても、女としてはイケてないんじゃないか”というコンプレックスがずっとあって、その集大成が『ヘルタースケルター』でもあるんです。そこから逃げずにそういうコンプレックスを見つめて掘り続けて、それが最終的にある人たちとつながる共通言語になると信じてこの映画をつくりました」

映画と写真の表現の出発点は違う

それを受けて後藤氏は、「蜷川さんの写真には、表面だけを見るときらびやかで派手なところがあるけれど、中心には健気でしなやかなものがあります。そういうものを保ちながら消費社会の中で作品をつくっていくことはとても大変ですから、そこでの違和感や怒りのようなものが溜まっていて、今回勝負してやろうと気持ちで『ヘルタースケルター』を選ばれたのですね」と述べた。その上で、「それは映画でしかできないことだったのですか?」と写真の表現との違いを尋ねると、蜷川氏は、「写真を撮るときは、幸せを紡いで撮ってきた感覚があるような気がします。アイデアの出発点が違っているんだと思います。ただこの映画が終わって、これから写真家としてどうなっていくかということと、改めてしっかり向き合わなければいけない時期だと思っています」と力強く答えた。

選択すべきか否かは企画書の1行目のワードで分かる

後藤氏は、蜷川氏のクリエイションについて、「作られた嘘を人々が見たときに現実より生々しかったり、リアルだと思わせることで勝負するクリエイター。虚構の中の生々しさ、その逆説が非常に面白い」と評す。また、『ヘルタースケルター』でも証明されたように、マーケティング云々ではなくアーティストとしての想いから始まって作られた映画が大ヒットしている点にも注目。その成功する企画を選ぶ力、時代を読む力はどこからくるのか問いかけた。それに対して蜷川氏は、「企画書の1行目に出てくるワードで判断する」として、1行目が「面白そうじゃん!」と思えるかどうかを大事にしていると答えた。「『ヘルタースケルター』なら、“蜷川実花×沢尻エリカ×岡崎京子”という座組みが、いいなと思いました。大きなことをやる時は、1行目の印象が駄目だと結局駄目だと信じています。それから、全てにおいて私自身が欲しいかとか見たいかとかいうことも大切にしていて、自分が欲しくなかったらグッズは作りません。そういう判断は消費者と近い感覚というか。素人っぽさもすごく大事にしていますし、“蜷川実花”というブランドをつくるための決断の客観性は高いと思っています」と自己分析した。

自分がやりたいことを純度高くやること

その選択眼は、キャスティングにも当てはまると後藤氏。実際、『ヘルタースケルター』では、映画を観た今でこそ主人公役は沢尻エリカさんしかいないと誰もが考えられるが、企画当初は周囲から「本当に彼女とやるのか」と何度も聞かれたという。「自分が“良い”と思う本質だけで私は突き進めるんです。時代を先取りしたり、その後に続く道を作るのであれば、あらかじめあるデータを使っていたら明らかに遅いわけです。ある種の冒険は必要ですが、それを冒険と思ってないのが私の特徴だと思います。“真っすぐ斜めに成長した”と自分では言っているんですが、最初の角度が違うから、屈折はしていないのですが気づくと違いが大きくなってるんです(笑)。革命を起こそうとか新しい表現をしようとか思ったことはなくて、自分がやりたいことをちゃんと純度高くやろうと思っています」

「5年以内に中国で映画を撮る」

「自分がやるべきことや向かうべき場所がはっきり分かっている人は強い」と後藤氏。では、蜷川氏が『ヘルタースケルター』を作ることによって見えてきたものとは何だろうか? 蜷川氏は、写真で次にやるべきこととして、「これまでのように写真集や展覧会単位で写真を撮るのではなく、一枚の写真で勝負したい」と語った。そして、『ヘルタースケルター』が成し遂げたような、自分の傷を開いて覗き込む「身を削った写真」ができないかと考えてもいるという。映画に関してはまだ何も具体的な予定はないというが、「5年以内に中国で映画を撮ることは決めています」と宣言し、中国を被写体に撮りたいというより、日本でやっているような仕事を中華圏でしたいと意気込む。「東京でやっていることが、そのまま分母がアジア圏になればいいなと思っています」と展望を語った。

アートプロデュースの仕事などで海外との仕事も多い後藤氏も、「自動車やITなど産業界の輸出は進んでいるが、日本の海外進出で最も遅れているのは文化の伝播」だと指摘。既に海外の大手出版社からも写真集を出し、映画もアジア圏をはじめとして受け入れられている蜷川氏は、そういう意味でも可能性を感じるポジションにいる存在だという。「(生み出すクリエーションのプロセス全てを)自分で選んで、自分で責任をとって生きていく」という強い信念を持つ蜷川実花氏。自らの信じる道と欲望に忠実に、日本に留まらず新しい地平を切り開いていく今後の活躍がますます楽しみだ。

〈了〉