loading...

ウェブ電通報×WASEDA NEO 〜希望は、学びの先にある〜No.1

なぜか面白い企画のヒミツ

2020/09/02

次の時代を創るリーダーが、真のイノベーションを起こすための“共創の場”を提供する「WASEDA NEO」と、電通のニュースサイト「ウェブ電通報」が連携し、電通のクリエーターらを講師にした、社会人向けのオンライン講座「ウェブ電通報×WASEDA NEO 連携講座シリーズ」。第1回の講師は、電通のクリエーテイブディレクター・武藤新二氏です。


人を引き寄せる企画は、どんなプロセスで磨かれるのか?それが、今回、私がお伝えしたいテーマです。大事なことは、見栄えのいい企画書を書くこと、ではありません。こうなったらいいな、というゴールイメージへ向かって、チーム全員が希望あふれるプロセスを共有し、それを具現化していくことです。

今回ご紹介するのは、私が、というより私のチームが手がけた三つの事例です。いずれの事例も「テレビCMなどをつくる広告会社のクリエイターが、なんでそんな仕事をしているの?」というものばかりです。そこに、なんらかのヒントを感じていただけたら、幸いです。

ケース①:広告会社による「ダンス」事業

ことの発端は、仕事を通じて親交のある振付師のパパイヤ鈴木さんからの相談でした。2012年から学校の必修項目に「ダンス」が加わり、教育の現場が戸惑っているというんです。何しろ教える側も教わる側も初めてのことですから、いわゆる「教科書」がない。そこで、誰もが簡単に踊れる「譜面」のようなメソッドをつくって、それをiPhoneのアプリやYouTubeなどを使って発信していきましょう!という企画をスタートさせました。

アイデアのモチーフは、有名な玩具。ダンスの基本は「下半身の重心移動」。そこで、1〜4の数字を床に置き、リズムに合わせてその数字を踏んでいく、というアイデアから、メソッドの名前は「カズフミくん」と名付けました。
アイデアのモチーフは、有名な玩具。ダンスの基本は「下半身の重心移動」。そこで、1〜4の数字を床に置き、リズムに合わせてその数字を踏んでいく、というアイデアから、メソッドの名前は「カズフミくん」と名付けました。
パパイヤ鈴木さんによるデモ授業も行いました。教えるのではなく、体感させる。教わるのではなく、体験する。その喜びが、写真からも伝わってきます。
パパイヤ鈴木さんによるデモ授業も行いました。教えるのではなく、体感させる。教わるのではなく、体験する。その喜びが、写真からも伝わってきます。

その後、プロジェクトそのものが書籍化され、英語教育を手がける会社とのコラボが生まれ、ダンススクール事業開発へと発展し、14年には「パパイヤ式キッズダンスアカデミー」へとつながっていきました。すべての出発点は、教科書ではなく「譜面」があったらいいよね、という気づき。そこからアイデアが膨らみ、そのアイデアに人が集まってくる。さらに、ゴールイメージを掲げ、周りと共有することで、企画がカタチになり、事業にもなっていく。こうして、最初の気づきが磨かれていったんです。

ケース②:「一芸手当」という人事改革

こちらは静岡県で中古車買取・販売を営む「オーベル」という会社のケースです。先方から頂いたオリエンは「テレビCMを新しくしたい」というものでした。今流しているCMが古びてきたから、新しくしたい。確かにそれは、目先にある問題です。でも、そこにはもっと根本的な問題があるのではないか。そう思い立ち、先方の社長や社員の方々にインタビューを行いました。インタビューというよりは、雑談ですね。その結果、素晴らしい話、ダイヤの原石のような話が聞くことができました。

現場の社員の皆さんは、とにかく「お客さまにどうしたら喜んでいただけるか?」ということ考えて行動しているんです。音楽好きのお客さまには納車の際、好みの音楽ジャンルのおすすめリストをお渡しする。車の買取の際に、愛車との最後の記念写真を撮って、額装しプレゼントする。いずれも、音楽や写真を趣味や特技としている社員の方々が、日々、実践されている工夫です。瞬時に「一芸入試」「一芸入社」というモチーフが、頭に浮かびました。

社外の師匠のもとで、接客サービスに活用できる一芸を磨く修業を実施。その全てのバックアップを会社が行うことを「一芸手当」と名付け、やがて社員から社員へ一芸を伝授していく「社内師弟制度」へと発展していきました。この企画の骨は、単なる広告表現ではなく、プロジェクトそのものを「人事制度」に昇華させたことにあります。
社外の師匠のもとで、接客サービスに活用できる一芸を磨く修業を実施。その全てのバックアップを会社が行うこと「一芸手当」と名付け、やがて社員から社員へ一芸を伝授していく「社内師弟制度」へと発展していきました。この企画の骨は、単なる広告表現ではなく、プロジェクトそのものを「人事制度」に昇華させたことにあります。
社員の皆さんを起用したグラフィック広告。「車売るなら、感動接客。」というタグラインから、社員一人一人のリアルな情熱が伝わってきます。
社員の皆さんを起用したグラフィック広告。「車売るなら、感動接客。」というタグラインから、社員一人一人のリアルな情熱が伝わってきます。

車を買い取ったり、売ったら、そこでおしまい。ではなく、お客さまにどうしたら感動していただけるだろう?そのために、自分にはなにができるのだろう?そうした思いがこのプロジェクトを通して社内に増殖することで、社員の方々のモチベーションや会社へのロイヤルティー、接客サービスの向上や、広告、PR、リクルーティングまで全てにつながっていきました。現場で密かに行われていた工夫(磨けば光る原石)を発掘したことが、根本的な問題を解決し、さまざまな取り組みに広がっていった事例です。

ケース③:おじぃとおばぁのロックンロール

こちらは、沖縄県で映像制作会社を経営する狩俣さんという方からのある相談から始まった企画でした。「沖縄のおじぃ、おばぁが長生きなのは、歌と踊りにあるように思う。それを、沖縄を元気にする起爆剤にできないものだろうか?」と投げかけられました。確かに、三線の音色に乗って楽しそうに踊るおじぃ、おばぁの姿はテレビなどでも目にする。でも、単純に民謡を歌ってもらっても、オモシロくない。ならば、ロックンロールとかはどうですか?という話をしました。65歳以上のおじぃとおばぁに、ロックンロールを覚えて歌ってもらってはどうか?という提案です。

意外に思われるかもしれませんが、アイデアモチーフは「アイドルグループ」でした。歌って踊るアイドルグループを、おじぃとおばぁに「置き換え」たら、なにかが爆発するのでは?という発想です。目論見は当たりました。沖縄国際映画祭でのステージデビューをきっかけに、フェスにも参加。メディアにも取り上げられ2時間&17曲におよぶ単独ライブも実現。地方のCMにも出演。たった3人のメンバーから始まったプロジェクトが、今では60人のおじぃとおばぁの大所帯です。

アイデアの出発点は、常に荒唐無稽なもの。でも、その先にあるゴールイメージを想像してみんなが幸せになれるプロセスを逆算してつくっていく。そこに、いろいろな人のパワーが重なっていくことで、多くの笑顔が生まれる。そんなことを肌実感したプロジェクトです。

2016年に結成された、平均年齢70歳の歌って踊るロックンロールコーラス隊。ロックンロールを中心に、ポップス、ブルース、ゴスペルなど老若男女が楽しめるカバー曲を歌う。沖縄県下のイベントやステージ、ミュージカル、テレビCM、番組などで活躍中。

2016年に結成された、平均年齢70歳の歌って踊るロックンロールコーラス隊。ロックンロールを中心に、ポップス、ブルース、ゴスペルなど老若男女が楽しめるカバー曲を歌う。沖縄県下のイベントやステージ、ミュージカル、テレビCM、番組などで活躍中。

今回ご紹介した事例に共通するのは、「創造力」よりも「想像力」が大事だということ。目の前にある現象や事例に対する「発見」(気づき)を出発点に、ゴールへの「プロセス」を想像する。そのゴールから逆算して、モデルとなるモチーフを探す。企画を磨く。

そして、ここが一番大事な点なのですが、「かわいい企画には、旅をさせろ」ということ。企画をカタチにして、はい、おしまいでは小さな仕事で終わってしまう。より広く、より深く、その企画の価値に気づいてもらえる仲間を増やしていく。そこに「驚きと共感」が生まれる。それが、私の、というより私が愛するチームの流儀であり、「なぜか面白い企画」を実現するためのすべての仕事に共通するレシピなんです。

武藤新二氏による過去のコラムは、こちら

WASEDA NEOの公式サイトは、こちら

WASEDA NEOは、早稲田大が運営する“知の更新とアウトプット、応援し合える仲間づくりのための、未来に向けた前向きな学びのコミュニティ”で、東京・中央区に日本橋キャンパスを構える。同所では、各種セミナーやワークショップなどを開催するとともに、交流イベントなど、会員同士の交流の場も提供している。


(編集後記)希望は、学びの先にある。

連載を始めるに当たって編集部が設定したキーワードは「希望は、学びの先にある」というものだ。早稲田大総長を務めた大隈重信氏が、1909年に行った演説の一節「人間は希望によって生活している。希望そのものは人間の命である」にちなんだ。

個人も、企業も、不安や閉塞感を抱えている現代。特に、コロナ渦にあっては誰も、信じられない。何も、信じられない。メディアは、特にSNSは、しばしば、ストレスのはけ口として利用されがちだ。誰かを、何かを批判することで、自身の心を落ち着かせたい。でも、それでは、真の満足は得られない。

ステイホームを余儀なくされる中、私たちは「教養」というものの大切さを、改めて実感しつつあるように思う。こんなことで、どうして心が癒やされるのだろう?これ、実は苦手だったんだ。相手はどう思っているのだろう、どう感じているのだろう。などなど。そうした小さな気づきが、大いなる探究心を呼び覚ましてくれる。時空を超えた想像力の旅に、誘ってくれる。それこそが、「教養」というものの価値ではないだろうか。

学びたい、という気持ちが芽生えると、人は謙虚になる。他人に対して、やさしくなれる。先人を、心から敬うことができる。その気持ちが、生きていく上での希望に変わっていく。希望は、学びの先にある。この連載が、読者の方の「知の旅」へのチケットとなることを願って。