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電通報ビジネスにもっとアイデアを。

高崎卓馬×YouTube。動画と映像って、何がちがうんですかね。

2021/02/16

TRACKロゴ

緊急事態宣言が出てからよく歩くようになった。平均1万2000歩くらいをずっと維持している。

リモート社会になってガラッと変わった生活環境にジワジワ自律神経がやられていく感覚があって、こりゃヤバイなと意識的にリズムをつくるようにした。ルーティンはストレスを減らしてくれる。曖昧になりがちな1日の輪郭をつくってくれる。なぜか、痩せはしないけど。

リモートになって一番きついのが、プレゼンで外した直後の慰めタイムが消えたことだ。

仲間だけになったエレベーターで「でもあの企画好きですよ僕」とか「〇〇さんはいい反応でしたよ」みたいな優しい言葉に、どれだけ自分が救われていたか痛感する。

TeamsやZoomだと退出ボタンを押した瞬間にひとりだ。もう誰もなんにも言ってくれない。ただスベったという事実だけがズンと心を重くする。

自分より悔しそうにしている後輩や、すぐさま対応を考える仲間のなんと心強かったことか。「帰り道」みたいな無駄な時間がもっていたものを僕らは便利の代わりに失っている。無駄ってけっこう大事だったんだなあ。

プレゼン帰り道

あ、本題にはいらなければ。こんど電通のクリエーティブ局の若手数人とTRACKというプロジェクトを立ち上げた。これは主にインフルエンサーの映像コンテンツを考えるチームだ。わかりやすく言うとYouTuberの映像企画だ。

このプロジェクトの話をするとたいていのひとがなんで高崎が?という顔をする。そういう顔をするひとはたいていおじさんだ。新入社員の部屋に、もはやテレビがなかったりすることに驚いちゃうタイプのひとだ。といいつつ僕自身ちょっと前までそっちのタイプだったんだけど。

映像と動画の境界線はどこに?

最初の緊急事態宣言が出て、YouTuberのことを勉強しはじめた。このビジネスがどうして成り立っているのかあまり知らなかったし、これからどうなるのかなんて考えたこともなかった。

漠然とテレビ対YouTubeみたいな構造をうのみにしていた。自分のなかで動画と映像の違いはとてつもなく大きい。伝えたいものがあって構築されたものが映像で、撮れてしまった偶然の面白いものが動画、となんとなく線を引いていた。

だから自分のつくるものが動画と呼ばれることに抵抗を感じてもいたし、子猫たちが鍋のなかにギッチギチに入っているみたいなものは、つくっても勝てないからつくらないと決めていた。事実が面白くてそれを記録するのが動画の役割で、ノンフィクションの面白さと、フィクションの面白さは別のものだ、と思っていた。

フィルムとビデオの差とかウジウジ考え続けてきた人生だから、そのあたりなんとなく無理やり腑に落としてたんだろう。後輩たちとそのあたりの話をしてもなんとなくスルーされたから、まあどっちがどっちでもいいのかもしれない。

猫鍋企画

実際、YouTuberの動画を観てみるとなんだか昔の深夜テレビのようなものが多い。企画内容だけでなく最近はそこに芸能人が入ってきて余計その感じが強くなっている。やってみた系とか、大食い系とか、〇〇系というパターンが見える。聞けば、中身の想像がつかないものはクリックされないらしい。

つくり手としては寂しい気もするが、動画を見る側になるとそれはそうだなとも思う。あれだけの数があふれかえっているのだから、見る側からすると整理されていないと探せないし、探している時点で自分の欲しているものを自覚する。それにフィットしないものを見ようなんて気持ちには、まずならない。

昔お菓子のパッケージをつくらせてもらったときに「オシャレなデザインだと売れない」と言われたことがある。中身の写真がないと人は手にとらない、と。実際にそうだった。それを当時はデザインの敗北みたいに受け止めていたところもあるけど、買う側になったらそらそうだなとも思う。

説明過多デザイン

 
とある後輩プランナーは映画やドラマのあらすじを知らずに観るのは嫌だと断言していた。ある程度安心しないとディティールを楽しめないのだそうだ。ううむ。

ネタバレ上等

動画のなかにときどき、広告案件というものを目にする。ほとんどがいわゆるプロダクトプレースメントの延長にあるものだ。これだけ登録数もあって再生数も半端ないインフルエンサーを、企業やブランドはまだ活用しきれていない印象がある。

YouTuberは視聴者とダイレクトに向き合っているから、その期待に応え続ける必要がある。ひょいひょい広告案件をやっていたらチャンネル登録数は減っていくはずだ。だから彼らは広告案件には慎重になるという声も聞く。クライアントは自分たちの都合があまり反映できないとあきらめているという声も聞く。

そんな風景を眺めているうちにここが広告的に「未開の土地」に見えてきた。広告が向いていないのではなくて、広告がまだ浸透していないだけなんじゃないか?そんなふうに思うと風景が一変した。

そもそもテレビCMがどうして面白くなきゃいけなかったか?広告って邪魔なものだからだ。そうだ、僕らは企業の情報を、視聴者が見てよかったと思うものに変える「企画」という魔法を持っている。YouTubeの動画という領域にはまだ「広告の企画」が入っていないんじゃないか。

そう考えるとこれから面白くなっていく匂いがプンプンする。たぶんチャンスありだ。BumperとかTrueViewは、ここをメディアと考えてそこに広告を置く。でももっと企画は深入りできる。テレビとは違う形があるはずだ。プレースメント以上のことができるかもしれない。

クライアントもYouTuberも視聴者も幸せになるものはきっとある。動画じゃなくて、映像なものが。突然ワクワクしだした。動画の世界に、映像を持ち込むことができるかもしれない。動画と映像のちがいについてウジウジ考えてきた甲斐があったかもしれない。

え?必要な既視感ってなんですか?

さっそく若手の有志を集めた。普段からYouTubeに接している世代の感覚が大事なはずだ。

でも彼らは広告のスキルはあっても、この手の動画のスキルは知らない。きっと僕らの知らない動画の作法や秘訣があるはずだ。動画の世界のルールをしっかり学んでおくのは大事だ。そこでUUUMのみなさんに何度かレクチャーの会を開いてもらった。実践形式で企画を出して、コメントをもらった。これが実に面白かった。

一番面白かったのが、「既視感」と「過ぎたもの感」の違いだ。まったく既視感のないものを視聴者は選ばない。サムネイルで中身を想像してクリックするからだ。想像がつかないものに時間を割くひとはいない。

でもだからと言って、それがなんだか古い印象を連れてくるともうダメになる。動画の賞味期限は思うよりずっと短い。

腐りかけが一番美味なり

鮮度という基準を僕たちは普段そこまでは意識していなかった。広告の場合はもう少し長いスパンで考える。アウトプットのジャンルによってそのあたりの速度がちがうのはよく考えたら当たり前だけど、この30年まったく意識したことのない感覚だったから面白かった。テレビの放送作家さんのほうがこのあたりは近いんだろうな。

それからさらに、YouTube独特のアルゴリズムの洗礼をうけて、最終的にクリエイティブ系の電通各局から5人の若手が仲間になった。原央海、萩原陽平、与座郁哉、真子千絵美、春田凪彩だ。

そして、心強いビジネスプロデューサーの3人、武士壮、山内伸浩、岸田雄也を加え合計9人。

これが今回のプロジェクトTRACKのメンバーになる。

TRACKって、跡とか轍とか小道みたいな意味だ。僕らがかきわけたそこがいつか道になるといいなと思って。

TRACKメンバー

このTRACKは、UUUMと企画業務の提携をした。YouTuberの動画企画をしながら、僕らは今までのYouTube動画にはなかった新しいものをつくる。しつこいけど、映像を。

企画というスキルをつかって僕らにしかできないものを。スポンサーとインフルエンサーのすてきな関係はきっとつくれるはずだ。学習しながら、検証しながら、この山をしばらくみんなで登ってみようと思う。このウェブ電通報でもまたレポートしていこうと思う。

というわけで、広告関係のみなさま、クライアントのみなさま、インフルエンサー×映像で、なにかやろう!というときはぜひお声かけください。学びながら新しくて効果のあるアウトプットをつくっていきますので。 


文とイラスト:高崎卓馬
TRACK ロゴデザイン:堀田さくら