「engawa Serendipity day」レポートNo.3
engawa Serendipity dayレポート#03
2021/06/02
Serendipity(セレンディピティ)という言葉をご存知だろうか?「偶然の出会いをきっかけに、予想外の価値を発見し、幸運をつかみ取る能力」を表すこの言葉が今、ビジネス界で注目を集めている。スリランカの寓話から生まれたとされるSerendipityの正体とは、何なのか? 2021年4月15日に開催されたウェビナー「engawa Serendipity day」に、そのヒントを探ってみよう。大いなる発見と幸福な出会いが、きっとそこにはあるはずだ。
(文責と分析:ウェブ電通報編集部)
3回連載となる本稿#03では、ウェビナー第三部で披露された京都精華大学学長であるウスビ・サコ氏×脳科学者・茂木健一郎氏による「共創を生むコミュニティとは?」というテーマでのディスカッションの内容を取り上げる。
Serendipity(セレンディピティ)の核となるのが「共創」。いまさらながらの注釈ではあるが、「競争」ではなく「共創」。その仕組みを、英語、フランス語、中国語、バンバラ語、さらには関西弁を自在に操るサコ氏は、グローバルな視点から解説してくれた。連載最後となる今回をもって、Serendipity(セレンディピティ)なるものの正体、その全貌と未来が、読者の皆さまにとって明らかなものとなるにちがいない。
日本に、惚れた。だから私は、今、ここにいる
茂木氏からの「子どもの頃から、抜群に勉強ができたんでしょ?」との問いかけに、サコ氏はこう答えた。「必要な勉強に加えて、必要以上な遊びをしました」。空間人類学を専門とするサコ氏だが、元々は建築計画に携わっていたのだという。「アカデミズムとは何なのか?ということを突き詰めると、どの切り口から入っても人類学へと行きついてしまう」というサコ氏。
その観点からすると、日本の中でも京都、そしてそこに暮らす人々は、サコ氏にとって魅力的なものなのだそう。「京都の人は、空間に対してとても敏感。それは、建築という観点からしても、人と人との距離感ということから見ても、です。どこまでが気遣いなのか、どこを超えたらイケズとなるのか。その紙一重の感じが、とても面白い」
たとえば、京都ならではの町家。セミパブリックな空間の奥には、一見さんお断りのとてつもなくプライベートな空間が待っている。だれを、どこまで入れるか。そこに京都人の持つ美意識がある、とサコ氏は指摘する。
京都が持つポテンシャルとは?
京都の人は、音頭をとるのが苦手なのだ、とサコ氏は指摘する。「打ち水もそうですが、他人に対してさりげない心配りをするのが、京都ならではの美徳。だからこそ、ビジネスに対してはパッシブなんだと思います。なにより重視されるのは、協調性。でも、それだけではグローバルな時代には立ち向かえない。グローバルとはなにか?それは、自身の考えをスピークアウトするということで、訓練が必要。そのためにすべき訓練とは、自身の足元に対する理解を深め、それを外に対してアピールすることだと思うんです」
例えば、日本という国に惚れた外国人のほうが、茶というものの本質を見事に説明してくれたりする。日本語を流暢にしゃべり、箸を上手に扱うだけでなく、日本の文化にまで精通している、ということに我々は驚いてしまうのだが、彼らに言わせれば「アナタガタハ、ニホンノ美トイウモノニタイシテ、ホコリモキョウミモナイノデスカ?」ということになる。
一方で、トラストビジネスとか、トラストエコノミーという言葉が、ビジネス界では注目されている。このトラストとは、一体なんなのか?サコ氏によると、それは京都でいうところの「気遣い」なのだという。「実際、京都では、おカネはもちろん、地位といったものも機能しませんからね」。サコ氏の母国であるマリ共和国は、一言でいうと「迷惑をかけあう国」なのだ。その価値観は、日本、とりわけ京都に見られるのだそう。「他人に頼ることができない人間は、他人から頼られない人間だ、ということなんです。その意味で、京都という街も人も、とてつもないポテンシャルを秘めていると思いますね」
アンビギュアス(曖昧さ)こそが、Serendipity(セレンディピティ)の鍵
多様性の本質は、アンビギュアス(曖昧さ)にある、とサコ氏は指摘する。「京都の人に『ええ感じで、お願いします』と言われて、なにがええ感じなのか、最初はさっぱり分かりませんでした。でも、その曖昧さを理解できるようになると、不思議と世界が広がっていくんですね。町家の奥の奥まで踏み込んでいけるようになる」
サコ氏の指摘は、さらに続く。「その曖昧さをビジネスに昇華するためには、ネゴシエーションが大事。日本人は、とにかく謝ってから話を始めるでしょう? その美徳は、海外では通じない。大切なことは、自身の立ち位置をアピールするということ。ここから先は絶対に譲れない、ということをアピールしてはじめて、ネゴシエーションが成立する。そのためには、アピール力よりも何よりも、自分が立っている位置、つまり、日本という国の風土とか文化といったものを理解していることが重要なんです」。Serendipity(セレンディピティ)とは何か。自らが手にした「落ち穂」を「ダイヤ」に変えるために必要なこととは、一体、何なのか。サコ氏の指摘には、大いなるヒントがあるように思えた。
1時間を超える講義の内容を、最終回となる今回もあえてぎゅっと要約してみた。
3回の連載をもってSerendipity(セレンディピティ)なるものの正体を見極めた今、読者にとって必要な行動は、目の前にあるそれを拾い上げるということだけ、だ。
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THE KYOTO ・京都BACクリエーティブディレクター/THE KYOTO編集長・各務亮氏紹介のサイトは、こちら。