loading...

PR資産としての企業ミュージアムのこれからNo.22

「飽くなき挑戦」をストーリーで表現するマツダミュージアム

2023/02/22

シリーズタイトル

広島に本社を構えるマツダ。同社が運営するマツダミュージアムも同じ敷地内にある。原爆が落とされ壊滅的なダメージを負った地で、そのわずか4カ月後には三輪トラックの生産を再開させたマツダ。本稿では、その不屈の精神と飽くなき挑戦、クルマづくりに対する思いをストーリーとして伝える同館について考察したい。

取材と文:武知 茉莉亜(電通PRコンサルティング)


マツダミュージアムは、1994年に設立され、2005年の創業85周年を機に一度リニューアルされた。さらに創立100周年となった2020年1月に2度目のリニューアルオープンを予定していたが、コロナ禍の影響で延期され、2022年5月に公開された。同ミュージアムは、マツダスタジアム数十個分という広大な本社敷地内にある。2階建てで延べ床面積が3645平方メートル。本社工場の一部とも隣接し、ミュージアムの展示エリアに生産ラインが含まれている。以前から、クルマづくりに対する思いや企業活動への理解を深められる場として、また、教育現場のニーズに応える社会・地域貢献施設として機能していたが、創立100周年のリニューアルにより、マツダの価値観や思いをより感じられる場に変化したという。

来場者は本社ロビーに集合した後、専用バスに乗り、「マツダの今」ともいえる多くの工場建屋を目にしながらミュージアムまで移動する。集合、移動。ここから、来場者のミュージアム体験が始まる。その途中に、後ほどミュージアムで見ることになる「戦前の工場」の写真と全く同じ屋根と壁を有した建物が並ぶ。この土地で築いたマツダの歴史を肌で感じることができるひとときでもある。

エントランス(筆者撮影)
エントランス(筆者撮影)

マツダの始まり

1920年、経営難に陥ったコルク会社救済のために松田重次郎氏(以下、敬称略)をはじめとした地元財界人たちが「東洋コルク工業株式会社」を広島のコルク会社救済のために松田重次郎と共にを創立したことがマツダの始まりである。

翌年、2代目社長に就任した重次郎は生産を軌道に乗せるが、1925年に工場が大火災に見舞われる。13歳のころから大阪の鍛冶屋で修業をし、高い技術を身に付けるためにさまざまな工場を渡り歩いてきた重次郎は、東洋コルク工業の工場再建を経て、「工業を通じた社会への貢献」を目指すようになり、1927年、東洋コルク工業株式会社を「東洋工業株式会社」に社名変更した。1931年には郷里に近い府中村(現:府中町)に新工場を建設し、三輪トラック「マツダ号DA型」の発売とともに自動車業界への進出を果たした。重次郎は、1923年に起きた関東大震災後の輸送手段の需要に応えるため、人々の手が届く範囲で活用できるものを世に送り出すことを使命とし、高価な四輪トラックを選ぶことなく、あえて三輪トラックを生産した。

その後、太平洋戦争が始まり軍需工場の指定を受けたものの、1945年の終戦から3カ月後には民需転換が認可され、その1カ月後、この三輪トラックの生産が再開されている。ただし、ここは広島。同年8月には原爆が世界で初めてこの地に投下され、街は壊滅的な状況であった。その中での再開である。こういった「不屈の精神」や「飽くなき挑戦」は、創業時から変わらず今もマツダに深く根付いている。

渡り廊下の先にあるのは実質的な創業者である松田重次郎の時代の光景が広がるZONE 1(筆者撮影)
渡り廊下の先にあるのは実質的な創業者である松田重次郎の時代の光景が広がるZONE 1(筆者撮影)
三輪トラック(筆者撮影)※終戦から4カ月後に生産が再開された三輪トラックはGA型で、展示車はGB型(終戦後に初めてフルモデルチェンジして発売したクルマ)
三輪トラック(筆者撮影)※終戦から4カ月後に生産が再開された三輪トラックはGA型で、展示車はGB型(終戦後に初めてフルモデルチェンジして発売したクルマ)

クルマではなくストーリーを展示

助光浩幸館長がこのミュージアムのリニューアルの大きなポイントとして強調するのは、100年前から続くストーリーを展示することである。“マツダの技術はすごいだろう”ではなく、“マツダはこんな思いを持ってクルマをつくっている”ということを感じてもらうことを意識しているという。

ミュージアムは以下10の ZONEに分かれており、マツダが提供してきたクルマや未来のクルマ通して、モノづくりへの思い・ストーリーを伝えている。ZONE 1~6が過去、ZONE 7と8が現在、ZONE 9は生産ライン、ZONE 10は次の100年に向けたマツダのビジョンに関する展示である。

ZONE 1 1920-1959 ものづくり精神の原点
ZONE 2 1960-1969 総合自動車メーカーへの躍進
ZONE 3 1970-1985 時代の変化に対応しながら国際的な企業へ
ZONE 4 MOTORSPORTS 企業と技術の威信をかけた世界への挑戦
ZONE 5 1986-1995 さらなる飛躍を期した「攻め」の拡大戦略
ZONE 6 1996-2009 ブランド戦略を重視し新たな成長路線へ
ZONE 7 2010-TODAY 世界一のクルマを造る技術とデザイン
ZONE 8 TECHNOLOGY 人を第一に考えるマツダのモノ造り
ZONE 9 ASSEMBLY LINE 皆様のクルマはこうして生まれる
ZONE 10 TOWARD THE NEXT 100 YEARS 人と共に創る

各ZONEでの展示物の説明はキャプションだけにとどまらず、「世相」を表す写真、経営層や従業員が語った「言葉」、社員の“クルマづくり”の様子を収めた「映像」などを、展示物の時代に合わせて配置している。

ZONE 1「ものづくり精神の原点」から続く「過去」を展示するZONE 2〜6。クルマたちが、世相を表す写真や社員の姿・言葉をバックに展示されている(筆者撮影)
ZONE 1「ものづくり精神の原点」から続く「過去」を展示するZONE 2〜6。クルマたちが、世相を表す写真や社員の姿・言葉をバックに展示されている(筆者撮影)

展示の説明をするスクリプトにもストーリー性を持たせている。例えばユーノスロードスター(1989年に発売され爆発的に売れたライトウェイトスポーツカー)であれば、「スポーツカーは速ければいいというものじゃない。運転する歓(よろこ)びを肌で感じながら楽しく移動できなくてはいけない」といった当時の開発リーダーの思いを紹介している。

ZONE 7で描かれる技術とデザインにおける「モノ造り革新」の序章の展示にもストーリーがある。幾度もの困難を乗り越えてきたマツダの直近の大きな転換期は、リーマン・ショック後。「モノ造り革新」を掲げ、技術とデザインによりブランドが生まれ変わったといっても過言ではない。

ZONE 7には、マツダ車の特徴的な赤いボディカラーで目を引く車種3台が並ぶ。この空間の入り口に「CREATING THE WORLD’S BEST CAR」の文字とともに、たくさんの部品に囲まれた一人の人物の写真が設置してある。2022年6月に副社長を退任した藤原清志氏。この3車種を含め、今の世の中に何を提供すべきか「もう一度創ろう。もう一度発明しよう」という思いから、インスピレーションを得るためにあえて、数万点の部品からなる車を分解し、その真ん中に座ってイマジネーションを働かせている様子だという。

ZONE 7の入り口にある壁“CREATING THE WORLD’S BEST CAR”(筆者撮影)
ZONE 7の入り口にある壁“CREATING THE WORLD’S BEST CAR”(筆者撮影)

広報など複数の部署が共同でリニューアル設計

こういったストーリーを展示するリニューアル設計には、「企画進行の主体を総務部、展示内容の検討を各展示に関係する部門、展示方法の監修をデザイン本部」が担当する体制で臨んだそうだ(展示内容の検討は、ZONE 1~7が広報〈社史編纂事務局〉、ZONE 8が開発/生産部門、ZONE 9が本社工場、ZONE 10がデザイン本部)。マツダはデザインについて「クルマに命を吹き込む」という表現を使っており、このミュージアムを記憶に残る体験に仕上げている点にも、非常にマツダらしさを感じる。

「飽くなき挑戦」の「象徴」と生産の「裏側」

マツダには創業時から「飽くなき挑戦」の精神が根付いている。数々の飽くなき挑戦を経て素晴らしいクルマを世に送り出してきたが、その「象徴」と「裏側」をそれぞれ紹介したい。

まず「象徴」として紹介したいのが、ル・マン24時間レースで1991年に総合優勝した「787B」である。ZONE 2~6は、総合自動車メーカーとして躍進した時期から、バブル崩壊後の経営危機を乗り越え、ブランドメッセージ“Zoom-Zoom”(英語で「ブーン、ブーン」という自動車の音を表す擬音語。子どもの時に感じた動くことへの感動を象徴)が誕生した時期までの展示となっている。マツダが世界で初めて量産化に成功した自動車用「ロータリーエンジン」も、このZONEで紹介されている。

ロータリーエンジンはローターの回転から動力を得るもので、通常のレシプロエンジン(シリンダー内のピストンの往復運動を回転運動に転換するもの)と比較すると燃費の悪さというデメリットはあるものの、コンパクトかつ軽量、小排気量にかかわらず高出力という特徴がある。マツダは、ロータリーエンジンを進化させるため「飽くなき挑戦」を続け、「ル・マン24時間」レースで「ロータリーエンジンで世界初、日本メーカーで初めての総合優勝」を成し遂げた。その車体「787B」が、搭載されていたロータリーエンジンと一緒に展示されている。

ル・マン24時間レースで1991年に総合優勝した「787B」(筆者撮影)
ル・マン24時間レースで1991年に総合優勝した「787B」(筆者撮影)

「裏側」として紹介したいのは、ZONE 8で展示されているゼブラ灯と「魂動砥石(こどうといし)」である。デザイン部門が生み出した魂動(※)デザインをより多くの人に届けるための、つまりは「量産」するための、デザイン部門と生産部門による垣根を越えた取り組みが紹介されている。

デザイン部門が創ったデザインを量産用金型にする際に生じる“ブレ”をなんとか減らせないかと考えた生産部門から、「生産部門が作った量産合板モデルが、デザイン部門が意図したデザインになっているか、デザイン部門が活用しているゼブラ灯で照らして確認するのはどうか」という提案があったという。

ゼブラ灯とは細長い照明が並んだものである。そのゼブラ灯で照らした「ゆがみのある合板」と「ゆがみのない合板」が展示されており、ほんの少しでもゆがみがあれば直感的に視覚で確認できることが分かる。さらに、ミクロン単位のブレもない意図通りのデザインが人の感情を揺さぶることから、量産用の金型を絶妙に「手で」磨いていく砥石(といし)、「魂動砥石」をつくったそうだ。最高で最良の「魂動砥石」を生み出すために、1万2000個以上試作したという。ゼブラ灯や魂動砥石の展示の横で、そのデザイン・金型を磨き上げる従業員の方々の様子を収めた映像が公開されており、ますます「熱い実直さ」が伝わってくる。

※魂動:2010年9月に発表された、マツダのデザインテーマ。見る人の魂を揺さぶる、心をときめかせる動きを“魂動(こどう)- Soul of Motion”と名づけ、強い生命力と速さを感じさせる動きの表現を目指している。
 
初代魂動砥石(筆者撮影)
初代魂動砥石(筆者撮影)
ゼブラ灯を当てた合板に当てることで、このようなゼブララインが浮かびあがる(筆者撮影)
ゼブラ灯を当てた合板に当てることで、このようなゼブララインが浮かびあがる(筆者撮影)

小・中学生に向けた工夫

広島の小・中学生にとって、地元の日本を代表する企業のミュージアムが見学できることは非常に恵まれた環境といえる。コロナ禍前は年間約7万人の来場者のうち、小・中学生、高校生が半数近くだったという。100周年を記念したリニューアル後、現在は毎月第1土曜日に、開発部門を中心とする現場の社員が来場者に直接説明するパートや、「エンジン着火体験」を提供したり、社員と来場者が直接触れ合う機会を設けている。

小・中学生を対象にした地域貢献という役割を担うための工夫が、前述のエンジン着火体験以外にも施されている。一つ目は、エントランスに展示されている現在発売中の車種の乗車体験である。コロナ禍以降も、感染状況に応じて対策を徹底し、子どもたちが乗車できるようにしているという。「ディーラーやご家庭にある車は“危ないから運転席に乗っては駄目”と保護者の方がおっしゃるのは当然。でも、だからこそ安全に乗ることが保証されているミュージアムで、乗車のワクワクを切り捨てることはできない」と、チームで悩んだ末に決めたそうだ。「走る歓び」「動くものに触れた時の感動」「初めて乗り物を自分で動かしたワクワク感」を大切にするマツダらしい決断である。

二つ目は、現在の開発から生産までの工程を解説するZONEである。ここでは、進行方向左側では大人向け情報、右側では子ども向け情報が提供されている。子ども向けには、地球環境に優しいクルマづくりの解説、コンピューターによる設計やデザイナーによるデッサンを含め開発がどういったものであるかを説明したパネルが、開発過程で利用される工具と一緒に展示されている。見学コースとしては次に生産ラインが控えており、見学する小・中学生は、生産するためには何がどんなステップで必要なのか、どれだけの人が関わっているのかを理解した上で進むことができる。

現在の技術や開発から生産までの工程を紹介するZONE 8(筆者撮影)
現在の技術や開発から生産までの工程を紹介するZONE 8(筆者撮影)
入った右手には、子どもにも分かりやすい展示物が並んでいる。(筆者撮影)
入った右手には、子どもにも分かりやすい展示物が並んでいる。(筆者撮影)

三つ目は、マツダキッズチャンネルである。これは、開発から販売、そして環境に対するマツダの考え方までを非常に分かりやすくまとめた子ども向け情報サイトだ。 写真・イラスト・アニメーション動画・社員インタビューを織り交ぜ展開されている。なお、創立100周年リニューアルを期に、オンラインミュージアムも開始しており、ドローンで館内を撮影した映像もウェブサイトで見ることができる。

車好きもマツダ好きもそうでない人も

ZONE 9はいよいよ生産ライン。多品種混流生産のラインなので、コンベアにのる車種は千差万別で、さまざまなパーツが次々と組み合わされていく様子は圧巻だ。このZONEは、やはり来場者が最も盛り上がるところである。「クルマ好き、マツダ好き」は興奮する。実際、来場者の中にはファンが多いようで、「愛車(マツダ車)を一晩中運転して来ました!」「R360クーペで運転免許の試験を受けました」「初代ファミリアのCMに子役として出ていました」「妻が叔父さんの運転するルーチェで嫁入りしてきました。思い出深いクルマです」という声も寄せられたそうだ。

ZONE 9にある生産ライン(写真提供:マツダ株式会社)
ZONE 9にある生産ライン(写真提供:マツダ株式会社)

ただ、「クルマ・マツダ好きではない人」が家族や友人に連れられてくる場合も少なくない。ZONE 10では、洗練され美しいデザインの陶芸・ソファなど、車以外のものが展示されている。こういった展示や館内の落ち着いた空間を体験した、“連れてこられた人”からも「とても心地よくなる設計・デザインです」といった感想をもらうという。このように、さまざまな人が楽しめるミュージアムになっている。

マツダのデザイナーとイタリアの家具職人によって共同制作されたソファなども展示(筆者撮影)
マツダのデザイナーとイタリアの家具職人によって共同制作されたソファなども展示(筆者撮影)

「飽くなき挑戦」が見えることで、共感が深まる

マツダは、環境保護や安全・安心な車社会に寄与する取り組みに加え、アカデミアと共に運転の継続が認知機能の維持・向上に効果があるか検証するなど、まさに創業期を支えた松田重次郎の言葉「工業の力で社会に貢献する」を実践している企業である。デザインを極め続けることもその大きな要素で、このミュージアムにいると、クルマに乗らない人にも、マツダに乗らない人にも、マツダが存在することでワクワクしてほしいという気持ちが伝わってきた。マツダで働く人々が「飽くなき挑戦」を続けていることが深く理解でき、ストーリーによって来場者は共感を深めていくことになる。この広島の地で、マツダの世界をぜひ体験していただきたい。

100周年記念カラーのMAZDA MX-30(コンパクトSUV)の前に立つ助光浩幸館長とミュージアムスタッフの沖田祐璃(おきた・ゆり)氏(筆者撮影)※100周年仕様車の販売は終了している
100周年記念カラーのMAZDA MX-30(コンパクトSUV)の前に立つ助光浩幸館長とミュージアムスタッフの沖田祐璃(おきた・ゆり)氏(筆者撮影)※100周年仕様車の販売は終了している

【編集後記】(ウェブ電通報編集部より)

メカのことは、正直、分からない。でも、デザインの良さは、直感的に分かる。これは、多くの人に納得していただけることではないだろうか?マツダという会社のすごいところは、そこにあると思う。まず、デザインで人の心を引きつける。ああ、こんなクルマに乗ってみたい、こんなクルマを操ってみたい、と思わせる。その後に、メカのことは分からないものの、このクルマ、なんだか性能もいいぞ、ということを体感させる。ひとりのマツダファンが生まれる。そのような流れだ。

人の行動は、直感的なものでまずはじまる。この人、信じられそうだ、とか。この店、なんだか良さそうだぞ、とか。で、入ってみる。思ったとおり、すてきな雰囲気だ。サービスも行き届いている。理屈は分からないが、とてもおいしい、という具合だ。

エンジニアにしろ、料理人にしろ、心の奥底にある矜持(きょうじ)は、技術力だと思う。このネジ一本、この包丁さばきに人生をかけてきたのだ、という。でも、そこはあえて初めから提示はしない。さあ、これまでに経験したことのないワクワクを味わってみませんか?という空気感、たたずまいといったほうがいいのかもしれない。マツダという会社のこだわりは、そこにあるのだと思う。

tw