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農業を起点に、インクルーシブな社会を耕す。世田谷区の挑戦とは。

2024/02/07

「障がい者の社会参画」と「農業の担い手の確保」。視点の異なる2つの課題に対応した「農福連携」の取り組みが、今、全国で広がっています。

東京都世田谷区では、2022年から一般社団法人や電通グループら企業と共同で農業振興と障がい福祉の推進、そしてコミュニティづくりを重視した農福連携事業が始まっています。電通グループは地域の障がい者を雇用して農園を運営。また農作業体験会の開催や、収穫した農産物の加工を地域の福祉施設に発注するなど、地域全体の障がい者の生きがい向上に向けた取り組みも行っています。

農業と福祉を掛け合わせることで、それぞれが抱える課題の解決にどう寄与していくのか。同事業を進める世田谷区経済産業部都市農業課長の黒岩さや香氏、障害福祉部障害者地域生活課長の須田健志氏、電通グループで障がい者雇用を推進する濱崎伸洋氏、さらには長年農福連携の研究に取り組む千葉大学園芸学部教授の吉田行郷氏による座談会を開催。

世田谷区で進められるユニークな事例を基に、農福連携の有効性や今後の可能性などについて意見を交わしました。

<目次>
社会福祉法人・NPO法人から、企業へ。広がる農福連携の担い手。

世田谷区が直面する、「農地の減少」「障がい者の就労環境」という課題。

農園運営を軸に、地域のさまざまなステークホルダーとの協業を。

企業の力で、障がい者の経済的な安定、その先の生きがいにコミット。

誰もが自らの「かけがえのなさ」を耕せる、それが「ファーム」の可能性。

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写真左から世田谷区 須田健志氏、黒岩さや香氏、千葉大学 吉田行郷氏、電通グループ 濱崎伸洋氏

社会福祉法人・NPO法人から、企業へ。広がる農福連携の担い手。

濱崎:吉田先生は「農福連携」という言葉が社会に浸透する以前から、「障がい者雇用」と「農業の働き手の確保」といった観点に注目し、研究や取り組みを推進してこられました。まずはそのきっかけについてお話しいただけますでしょうか。

吉田:私は以前、農林水産省(以下、農水省)内で行政部局から農林水産政策研究所(※1)に異動しました。同所に所属してしばらくは米や麦の研究を行っていたのですが、ある時、NHKで横浜にある社会福祉法人が農業に取り組む様子を特集する番組があり、その中で障がい者の方々がイキイキと農作業をしている姿を目にしました。実は私にも障がいのある息子がおり、さらに農業の研究に関わる仕事をしていたため、こうした世界を広げるための研究は自分がやるべきだと考えました。

当時農水省では「就農・女性課」という部署が、農家や農業法人に障がい者を雇用してもらう取り組みを進めていましたが、苦労しながら就職活動のサポートをしても、やっと一人が採用されるといった状況でした。ある時、私がテレビで目にした番組内の社会福祉法人で20人ほどの障がい者がワイワイ楽しく作業をして、しっかり農業も実践できていました。取り組むならこちらの方がいいのではないかと考え、農水省に障がい者の就農に関する研究をしたいと申し出たんです。これがきっかけとなり、農業を行う社会福祉法人・NPO法人に関する研究に取り組むことになりました。

ただ、当時は「農福連携」という言葉もなかったことに加え、周囲の理解もなかなか得られず、試行錯誤の日々でした。そうした中で、人手不足に困っている農家の下に、福祉事業所から障がい者と支援員が「施設外就労」というカタチで出向いて農作業を行う取り組みが増えていることを知り、こうした働き方について研究をするようになりました。また各地で行われている障がい者の就農に関する先進事例を調査し、セミナーなどで講演するようにもなりました。


※1 農林水産政策研究所:農業経済学、一般経済学、法律学などを駆使し、国内外の食料・農林水産業・農山漁村の動向や政策に関する総合的な調査研究を行う機関。

 

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濱崎:「農福連携」という言葉はいつ頃生まれ、どのように全国的に広がっていったのでしょうか?

吉田:2010年に鳥取県が農福連携の支援プロジェクトを立ち上げており、公的な発信としてはそれが最初ではないかと思います。同年に農水省の農林水産政策研究所が「障がい者の就農の場をつくるには農業と福祉の連携が必要」という提言をプレスリリースとして発表し、その後、農林水産省の行政部局も「農福連携」という言葉を使うようになりました。

濱崎:2010年以降に、この概念が全国的にも浸透していったということですね。

吉田:そうです。また、ちょうどその少し前に、企業側でも容易にアウトソーシングできる清掃やクリーニングなどの業務だけでは、障がいのある方を新たな人員として雇用することが難しいとの声が上がり始めて、企業に雇用された障がい者が携わる「仕事」としての農業に注目が集まり始めていました。

濱崎:障がい者雇用の観点から、企業が積極的に農福連携を検討する場面が増えていったのですね。

吉田:企業が手掛ける農福連携で最初に成果を上げたのは、文具メーカーのコクヨの事例です。2006年に設立された同社の特例子会社(※2)である「ハートランド」が、水耕栽培事業において8人の障がい者を雇用して成功し、他企業でも同様の取り組みが増加しました。

さらに、農福連携の新たなモデルとして注目を集めたのが、伊藤忠テクノソリューションズの特例子会社「CTCひなり」による取り組みです。静岡県浜松市で障がいのある社員と支援員がコンビになり、人手不足で困っている大規模農家をお手伝いしてまわるという仕組みを確立し、成功しました。このケースでは、農家に喜ばれることで障がいのある方々に「誰かの役に立った」という実感が得られるだけでなく、地域農業にも貢献できることもあり、農福連携の取り組みが企業でさらに広がるきっかけになったともいわれています。

現在、農業が盛んな県では、福祉事業所が取り組む作業としての農業はメジャーな位置づけになりつつあり、就労継続支援事業所(※3)が行っている作業を見ても、長野県では41%が、新潟県では36%が農業となっています。

※2 特例子会社:障がい者の雇用の促進および安定を図るために設立する、障がい者の雇用に特化した子会社。
 
※3 就労継続支援事業所:障がいのある方々がサポートを受けながら作業に取り組む、就労を目的とした施設。一般企業よりも働きやすい環境が整えられ、手厚い支援員の配置があることも特徴。

世田谷区が直面する、「農地の減少」「障がい者の就労環境」という課題。

濱崎:国や自治体で農福連携が推進されつつある中で、2022年、世田谷区でも農福連携事業のプロジェクトが立ち上がりました。そのきっかけというか、農業・福祉の分野ではそれぞれどのような課題を感じていたのでしょうか?

黒岩:農業について言うと、世田谷区はじつは東京23区内で2番目に農地の多い区で、街の魅力の一つとして農業振興に取り組んでいますが、相続や農業従事者の高齢化や後継者不足などにともない、農地は減少し続けています。

農福連携を検討するきっかけとなったのは、2009(平成21)年に約117haあった農地が2018(平成30)年に約86 ha、つまり10年間で約30 ha減少したという状況への危機感、さらに1992(平成4)年に農地の8割を占めていた生産緑地の「2022年問題」への懸念(平成4年に指定された生産緑地が、指定から30年経過すると規制が解除され、他の用途への転用が可能になるという問題)などがありました。

このように、区として農地保全に向けた取り組みが喫緊の課題としてある中で、農地を有効に活用するために、区がこれまで行っていなかった新しい取り組みの一つとして、農福連携を進めることとなりました。

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濱崎:障がい者福祉の観点ではどのような課題感、考えから農福連携に取り組まれたのでしょうか?

須田:福祉施設の多くは、企業から依頼された作業をすることで工賃を得ていますが、本プロジェクトの話が立ち上がったのはちょうどコロナ禍の最中で、当時は企業からの依頼が急激に減少している状況でした。また世田谷区の工賃水準は東京都全体よりも少し低く、その向上は大きな課題です。こういった経緯もあり、農福連携の取り組みは、障がい者が働く上で就労機会の提供や選択肢の拡大、工賃アップなどにつながっていくのではないかという期待感があり、都市農業課と一緒に進められたらと考えました。

農園運営を軸に、地域のさまざまなステークホルダーとの協業を。

吉田:世田谷区では、農業が盛んな地域とはまた別の、都市農業ならではの課題があったのですね。現在、このプロジェクトでは、どのような取り組みが行われているのですか?

黒岩:このプロジェクトでは、障がい者の就労をともなう農園運営、圃場(ほじょう)で農産物を育て、収穫することを軸としつつ、地域の障がい者を対象とした「農作業体験」の実施、福祉施設への発注を通じた工賃向上、地域事業者・地域団体との連携などを進めつつ、農福連携そのもののPRに取り組んでいます。当初は農地を貸借しての運営でしたが、2022(令和4)年に区が買い取りました。

濱崎:農園の運営は、世田谷区と電通グループが共同で取り組んでいます。私は電通グループの特例子会社に出向していた時に、障がいのある社員向けの仕事として「農業」を立ち上げた経験があります。その際、知的障がいや精神障がいのある方と農業の相性のよさを目の当たりにしたことが、この事業を推進するモチベーションとなっています。

現在は、電通グループで地域の障がい者8名(2023年12月現在)を社員として雇用し、農園管理に従事していただいています。また「農作業体験会」では、障がいの重さも特性も異なる多様な方々が20~30人ほど集まって、みんなで農作業を楽しんでいます。

収穫した農産物は地域の福祉施設に加工を発注し、「さつまいもジャム」や「ドライたまねぎ」といった商品を製造しました。販売面ではJAさんと連携するなど、地域のさまざまな方々との協業に取り組んでいます。

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(写真上・下左)農園での作業風景。化学農薬や化学肥料を使わず、地域の事業者から提供された残渣(ざんさ)を肥料に使用するなど、持続可能な農業を実践しているのも特徴。(写真下右)農作業体験会の様子。障がいのある人もない人も、力を合わせて作業し、新たなつながりが生まれている。

吉田:この福祉施設に加工発注し、対価をお支払いする部分が、先ほどお話に挙がった工賃向上に寄与する仕組みになっているのでしょうか?

須田:そうです。今後は商品に付加価値をつけながら、より一層の工賃向上につなげていけたらと思っています。

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(写真左)農園で栽培したさつまいもから、地域の福祉施設に加工を発注し、製造したオリジナル商品。(写真右)地域のビール醸造所から提供される「麦かす」。肥料として使用し、収獲した野菜をビアバーに納品している。

濱崎:このプロジェクトでとくに力を入れているのが、農園を起点としたインクルーシブなコミュニティづくりです。2023年10月には「オープンファーム」を開催。地域住民や関係者の方々に農園を一日開放して、障がいのあるスタッフ自らが農福連携の取り組みを紹介したり、ご家族連れに収穫を体験していただいたり、地域の福祉施設や事業者とコラボレートしたお菓子やキッシュを販売するなど、地域一丸のイベントになりました。

黒岩:地域の方々と農福連携の取り組みを共有し、応援してもらうことはこの事業を進めるうえで大切なことであり、イベントでそのつながりづくりができ、皆さんに喜んでもらえたことは大きな成果でした。

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(写真左)オープンファームでは、九条ねぎの収獲体験がご家族連れに大好評。(写真右)マルシェのコーナーにずらりと並んだコラボ商品の数々も、当日中に完売。

企業の力で、障がい者の経済的な安定、その先の生きがいにコミット。

濱崎:国内にはさまざまな形の農福連携がありますが、吉田先生から見て、世田谷区で推進されている農福連携事業の強みや特徴はどこにあると思われますか? 

吉田:やはり企業との連携を上手に行い、その力を生かせているところだと思います。例えば、各地域には、自然とのふれあいや農業への理解、環境教育などを目的として「農業公園」が整備されるようになってきて、ここを活用した農福連携も行われ始めています。しかし公園法の下でのさまざまな制約もあり、「農業公園」で農作物を作っても販売することは難しく、そのため、参加者が作った農作物は個々で持ち帰り、余ったら福祉施設などに寄付するようなカタチになるため、事業として取り組みを拡張していくことはできません。

「きちんと働いて、物を作って、売る」喜びにつなげるという点で、世田谷区の農福連携事業はうまくブレークスルーしたように感じます。そして、企業の行動力や販売力が非常に重要だったと思います。企業はさまざまなノウハウや販路を持っていますよね。冒頭の話でふれたコクヨは文房具メーカーなので、スーパーへの営業網を活用して、特例子会社「ハートランド」の事業における販路を開拓できました。世田谷区のケースも企業と共同で取り組むことで、先ほどのような幅広い取り組みが可能になったのだと思います。

須田:今回、農作物を福祉作業所で加工してもらうことで、施設の障がい者の工賃に反映していく仕組みができました。その意味では、農園や農作業に直接は関わらない障がい者にもうまく成果が還元できたと思います。

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吉田:そういった仕組みづくりや、販路づくり、商品開発などは、自治体や福祉事業所だけの力では限界があります。そのため、企業と連携することで、新たな可能性が広がると思います。企業側にとっても事業性だけではない、メリットもあると感じますが、その点はいかがですか?

濱崎:企業側にとっては、やはり法定雇用率の順守という点で、行政と組んで障がいのある従業員がより働きがいを感じられる環境を整えられるメリットは大きいです。一方で、就労面だけの支援では障がい者の生きがい向上に限界があるのも事実です。障がいのある子をもつ親の多くは、自身がいなくなった後のわが子の身の振り方に不安を感じています。そうした声を聞くにつけ、きちんと「雇用」し、賃金を払う企業の役割の大きさを実感しますし、さらに生活そのものの安定のためには、地域とのつながり、行政との連携が不可欠だと思います。

農福連携に取り組む企業は多いですが、私たちのように就労以外の領域でも行政と組んで、地域全体のインクルージョンを推進している事例は少ないのではないでしょうか。それこそが、世田谷モデルのユニークネスだと思います。

誰もが自らの「かけがえのなさ」を耕せる、それが「ファーム」の可能性。

濱崎:今後に向けて、世田谷区でさらに取り組んでいきたいことや、現状の課題と感じている点がありましたらお聞かせください。

黒岩:この事業が区内全体の農地保全にもつながるような展開ができればと考えています。例えば農園での交流や作業など「世田谷区農福連携事業」をきっかけに、農家さんと障がいのある方がつながることができて、ゆくゆくは区内のさまざまな農地でお手伝いをしたり、雇用されたりすることで、人手不足に悩む農家さんへの支援となれば理想的ですね。引き続き、農家さんの現状や意向を把握しながら検討を進めていけたらと思います。

吉田:農家の“お手伝い”には2種類あります。多くの農家では一年を通してというより、種まきや収穫などの繁忙期だけ人手が欲しいのが実情です。大規模な担い手農家(認定農業者)や農業法人ほど人手不足に悩んでいます。そのような需要に対して農福連携はぴったりマッチするんです。ふだんは福祉施設で封入や梱包などの仕事をしてもらい、農業の繁忙期には農作業をお願いするということが可能です。

もう一つのケースとしては、後継者不足や高齢化が理由で、農業を続けるかどうか悩んでいる農家さんに向けたアプローチです。障がい者が農家さんの代わりに重いものを運んだり、一緒に作業をしたりすることで、「もう少し頑張ってみよう」と農家さんのやる気を後押ししたり、あるいは障がい者との間に信頼関係が生まれることで、その農家さんが引退する際に、農地を障がい者が所属する福祉施設に託し、その施設が農業を始めるといったケースもあります。

濱崎:そんなケースもあるんですね。

須田:今のお話を聞いていて、さまざまな可能性が広がっていると感じました。福祉施設側としては、工賃向上のため請け負う仕事の新規開拓をしたくても、障がい者はそれぞれ、特性やハンデが異なっているため、なかなか合った仕事が見つからないという現状があります。とはいえ、この「世田谷区農福連携事業」では、農作物の加工業務を企業と開拓することで新たな展開が生まれました。今後はそこからもう一歩踏み込んで、農家さんとの関係構築で新たな雇用機会の創出などにつなげていけたらと考えています。

濱崎:そうですね。農家さんとのつながり強化は今後取り組んでいきたいです。
農園で障がいのある方々を見ていて感じるのは、みんな「誰かに必要とされる」ことを求めている、ということです。収穫した農産物を近隣のカフェに納品する際、障がいのあるスタッフに声をかけてくれるお客さまもいらっしゃるのですが、「いつも楽しみにしているよ」と言われると、みんな収獲を切らさないようにと作業にも力が入るんですね。農家さんをお手伝いして「ありがとう」と言われることは生きがいになりますし、そうしたことの積み重ねで、障がいのある方々が地域の農業にとってもかけがえのない存在になっていけたらと思います。

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吉田:さらに言うと、世田谷区さんには日本の農福連携の可能性を広げていく役割を果たしてもらいたいですね。欧米、とくにオランダでは、“ソーシャルファーム”とか“ケアファーム”と呼ばれる施設があちこちに存在して、障がいがある方だけでなく認知症や依存症の方々に労働や生活の場を提供しています。日本でも、認知症や引きこもりの方、犯罪歴のある方が農業を通じて社会復帰する試みが始まっていますよ。

濱崎:ソーシャルファーム、いいですね。じつは本プロジェクトでも、引きこもりの方を支援する団体との連携が始まっていて、農園で収獲した野菜をイベントなどに提供しています。

黒岩:この事業と別のところでも、区内には病院に協力して農作業プログラムを実施している農家さんもいらっしゃいますが、一方でそのような活動を継続する難しさについても伺っています。

濱崎:世田谷区って、日本が直面するさまざまな課題が顕在化しやすい地域だと思います。そういう意味で、世田谷区の農福連携は、障がい者にとどまらず、社会的弱者と呼ばれるさまざまな方が自らの「かけがえのなさ」を耕せるファームを目指したいです。「農業」と「福祉」ではなく、「農業」と「幸福」の連携ですね。

吉田:世田谷の農福連携事業が今後どのように展開されていくのか、私も楽しみです。期待しています。

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