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ウソと現実のハザマで、人は生きているNo.1

錯視とは、そもそもどういうことなのか?

2024/12/04

テクノロジーの進化により、私たちの社会は大きく変化しつつある。「仮想通貨」「仮想空間」といったものも、もはや現実だ。そうなると、ウソと現実の境目(ハザマ)がどこにあるのかが、分からなくなってくる。この連載は「ウソと現実のハザマで生きる」ことを余儀なくされている私たちが、これからどこへ向かっていくのか、いくべきなのか。そのヒントをさまざまな分野のスペシャリストに授けていただこう、というものだ。第1回となる本稿では、「錯視」をテーマに明治大学の杉原厚吉先生にお話をうかがった。

 (ウェブ電通報編集部)

だまし絵

「錯視」というものをご存じだろうか。だまし絵などが、真っ先に頭に浮かぶと思うのだが、実は、この「錯視」というもの。なかなか、奥が深い。そのカラクリを知れば知るほど、僕らが暮らしているこの世界は、僕らが正しいと思っているあの現象はすべてが錯覚なのではないか、と思ってしまう。でも、錯覚なら錯覚で、いいではないかという気持ちも一方ではある。人生を捧げた(かのような)大恋愛にしても、錯覚といえば錯覚なのだから。

立体錯視を専門とされる明治大学の杉原厚吉先生は、そのメカニズムをこう話す。「外の世界というものは、3d(空間)で出来ていますが、目はそれを2d(平面)でしか捉えられません。つまり、脳が『奥ゆき』を勝手に想像して、『こういう立体だ』と分かったつもりになる。これが、人が立体を認識する基本的な仕組みで、立体錯視という錯覚が起こる原因です」

明治大学 研究特別教授 杉原厚吉氏 明治大学 研究・知財戦略機構 先端数理科学インスティテュート 研究特別教授、工学博士(2019年3月、明治大学特任教授を退任。同年4月より、現職)

明治大学 研究特別教授 杉原厚吉氏
明治大学 研究・知財戦略機構 先端数理科学インスティテュート 研究特別教授、工学博士(2019年3月、明治大学特任教授を退任。同年4月より、現職)

例えば、脳が奥行きの想像を間違えるために、同じものなのにある方向から見ると丸に見え、別の方向から見ると四角に見えることがある。これが立体錯視である。ここからがオモシロイのだが、脳が四角い立体だと間違える現実の立体は無限にあって、この無限の可能性を使って立体錯視をつくるというのだ。

 

杉原先生による立体錯視をつくる具体的なメカニズムは、こうだ。「まず対象者が見る視点を固定します。その視点から、網膜が見る平面の図形になる立体は、脳が想像しないだけで、数学的には無限にあるわけです。次に、どんな立体があるかを明らかにする方程式をつくるんです。例えば、立体を構成する頂点の位置を未知数として、その頂点をどう置くと現実に立体が成り立つかという式を設定する。これが方程式になります」

錯視のメカニズム解説図

さらに、と杉原先生は続ける。「方程式で解かれる立体の中から、脳が想像しやすい立体の裏をかくわけです。その際に重要なのは、人間の脳は『直角』が大好き、ということなんです。『直角』が多い立体を想像しやすい、ということですね。だから、おかしな現象を起こすためには、方程式の解の中から直角ではない面や角を組み合わせた立体をつくればいいんです。このテクニックを使うと、例えば、こんなおかしな現象をつくることができます」

 

方程式である以上、むろん「解がない」という答えにたどり着く場合もある。「それは、そんな立体はつくれない、ということなので、突き詰めることはしません。でも、あれ?この方程式には解があるじゃないか、ということになるとこのような現象がリアルに起きてしまう」

鏡に映すと姿が変わる変身立体

2つの視点の方程式を組み合わせる。いわゆる「連立方程式」だ。別の視点から見ると違う形に見える(鏡に映すとハートがスペードに見える)、もしくは、向きや姿勢が不条理になる(鏡に映しているのにハートが同じ方向のまま見える)という不思議な現象は、連立方程式を解くことで目の前にリアルな姿を見せる、ということなのだ。

それにしても、連立方程式? 中学のとき以来、久しぶりにそのような単語を聞いた。でも、あっちを立てて、こっちも立てる、といったコミュニケーションは日常の家庭での暮らしでもビジネスの場面でも、僕らは普通にやっている。人生とは、複雑な連立方程式を解くことの連続、といってもいい。などと思考を深めていると、杉原先生の話はさらに続く。

「大きさや色が違って見えるなどの古典的な平面の錯視は、誰かに種明かしをされないと気づかないんです。それに対して、立体錯視は、鏡に映すとか、ボールを転がすだけであり得ないことが起きますから、教えられなくても見れば自分が間違えていることに気づけます。見ただけで変だ、という感情を相手に起こさせることができる、それが立体錯視の特徴です」

なーんか、ヘンだぞ。でも、そのヘンの理由が分からない。色だとか、線だとかが、ゆがめられているけど、現実の立体をゆがめているのは、自分の脳。ウソじゃないけど、ウソのようなリアルな現実。ああ、これは広告の世界にも通じるかもしれない、と思った。

広告表現において「ウソをつくことと、人を傷つけることは、絶対にしてはならない。でも、逆にいえばそのモラルさえ持っていれば、基本的に何をしてもいい」というのが鉄則だ(と、いまこの連載を編んでいる僕は、駆け出しの頃、そう先輩から教えられた)。

そんな話を杉原先生に向けると、逆にお尋ねしますが……という質問が来た。「スーパーなどで売られているみかんは、よく、オレンジ色のネットで包まれていますよね?あれは、色の同化という錯視を利用して、オレンジ色を、より鮮やかに見せています。あれは、ウソになるのですか?」

ネットに入ったみかん

一瞬、答えに窮したが、オレンジ色のネットは演出の範囲ではないでしょうか。ただ、産地を偽るというようなウソは、許されることではありません。と、お答えしたのだが、杉原先生の表情は微妙だ。

「なるほど。何がウソで何がそうでないか、定義は難しいですよね。錯視はあえてこちらが用意しなくても、日常にあふれているし、使いこなしてもいます。例えば、わたしたちが化粧や服装でよく見せる工夫も、錯視です」。実際の映像などをいくら見返してもそのカラクリは分からないのだが、先生の最後のコメントには、なんだか深くうなずいてしまった。


【編集後記】

杉原先生にお話をうかがうにあたり、編集者として1つの仮説を立てた。「人は、ウソの記憶(曖昧な記憶)に支配されている」というものだ。「記憶はしばしば、ウソをつく」と言い換えてもいい。例えば、初恋の記憶。曖昧ではありませんか?あるいは、過去のツライ体験や失敗談ほど、おもしろおかしく人に話したくなるようなこと、ありますよね?

杉原先生の研究がかくもおもしろいのは、人の目や脳の「曖昧さ」をものの見事にリアルに見せてくれるから、だと思う。マジシャンや役者、あるいは詐欺師によるウソではない。工学者が披露する「ウソのようなホントの世界」。心と脳の両方が瞬時に揺さぶられる、不思議な体験だった。

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