「好き」を力に、日本の伝統文化の魅力を伝えたい
2025/05/08
自分の「好き」を力にして仕事と向き合う──。今回、ゲストとしてご登場いただくのは、「日本の伝統文化」を若い世代にも広げていくべく活動している、狂言師・小笠原弘晃氏と、電通のプランナー/プロデューサー・大岩亮介氏。
家を継ぐことを義務付けられていない環境で狂言師を続ける小笠原氏と、「日本の伝統文化が好き」という気持ちを力にイベントのプロデュースなどを手掛ける大岩氏が、仕事の場で実際に取り組んでいることとは?
本記事が、従業員の「好き」を力に、企業文化を変革していくヒントになれば幸いです。

「日本の伝統文化」が好きで、「自命感」を持って活動している
──はじめに、大岩さんから自己紹介をお願いします。
大岩:電通のプランナー/プロデューサーとして、さまざまなクライアントさまのマーケティング戦略の立案やPRプランニング、イベントや空間のプロデュースなどを担当しています。文化に関する仕事により深く関わりたいと考えて、2025年1月に東京から京都へ移住しました。また、「好き」を起点に社員同士で交流し、互いのナレッジを見える化して仕事につなげる電通内のプロジェクト「BUKATSU」(詳しくはこちら)に参加し、「日本の伝統文化部」に所属しています。
──大岩さんが、日本の伝統文化に興味を持たれたきっかけは何でしょうか?
大岩:大学3年次に交換留学でパリに滞在していた際、カフェで偶然隣の席に座ったフランス人に自宅の茶室に招待され、そこで初めて茶道の魅力に気づかされました。その後、東京で茶道宗徧流正伝庵(そうへんりゅうしょうでんあん)に入門し、日本の伝統文化の魅力にのめり込んでいきました。今では、いけばなや能楽の大鼓、坐禅など、日本の伝統文化のお稽古や体験に通うことが趣味になっています。
──ありがとうございます。では、小笠原さんのご経歴を教えてください。
小笠原:2001年生まれで、能楽師狂言方和泉流野村万蔵家所属の狂言師として活動しています。日本の小学校を卒業後、フランスに留学し、パリの公立中学・高校を経て、現在はパリ第1パンテオン・ソルボンヌ大学に在学。狂言と同時並行で学業にも取り組んでいます。
──中学入学時にパリに渡った理由は何でしょうか?
小笠原:私は3歳で狂言の初舞台を踏んだのですが、子どものころから狂言の世界に入る子は、狂言以外の経験として、中学・高校時代は部活動に専念する人が多いのです。でも父は、私に「違う個性を持たせよう」という考えがありました。
フランスは父にとって初めて訪れた海外の地です。太陽劇団(※1)主催・アリアーヌ・ムヌーシュキン氏のARTA(※2)から招かれて1991年に初めてフランスに行き、役者たちと3カ月のスタージュ(研修)を行いました。
滞在期間中にアリアーヌをはじめとした、その当時黄金期を迎えていたフランスの名だたる演出家の作品を見て回っていたのですが、当時のミッテラン政権の下で建設されて間もなかった劇場、オペラ・バスティーユで観劇中に、大規模なデモが起こりました。観客が舞台に上がり、火炎瓶や横断幕を掲げデモをしたのですが、役者は機転を効かせてアドリブで対応し、拍手喝采(かっさい)が起こったそうです。湾岸戦争、多国籍軍への参加などの決断をしたミッテラン政権の下で建設されたオペラバスティーユという劇場が、デモの会場に選ばれたことに、父はカルチャーショックを受けたようです。
形骸化している能・狂言の世界にはない、芝居も社会の一つのギアとして回っている環境に大変刺激を受けたようで。父はそのままフランスで学びたかったのですが、そんなわけにもいかず、その夢をある意味託された形でした。
──狂言の世界は、伝統芸能として代々家を継ぐケースが多いのですか?
小笠原:そうです。例えば、うちの本家である野村万蔵家は300年の歴史があり、子から子へと芸が受け継がれます。その中で私の父は特殊なケースで、自ら狂言の世界に飛び込みました。父は初代です。私は3歳で初舞台を踏んだものの、父からは「家を継ぐために狂言をする必要はない」と言われていました。ですが、狂言が好きなので、3歳から狂言師として活動を続けています。
大岩:社会人になってから、プライベートで何度かパリに渡っているうちに共通の知人から小笠原さんを紹介していただいたのですが、お互い「日本の伝統文化」が好きで、「自分がやらなきゃ誰がやるんだ」という勘違い半分の使命感、というか「自命感」をもって活動しているところが共通していると感じます。

狂言は、懐が深くて「人間力」がある
──狂言の魅力とは、何でしょうか?
小笠原:懐が深くて「人間力」があるところだと思います。日常生活で起こる失敗談などをありのまま見せて、「人間ってそんなものだよね。失敗するのはしょうがないよね」と、笑いをもって人の行いを肯定してくれる優しさがある。加えて、見ているうちに「このシチュエーションに似たようなことを自分も経験したことがある」と感じさせてくれる。そして、人間というものを考えさせてくれる。
もう一点、狂言は見ていて「心が疲れない」のも魅力です。これは、大岩さんが取り組まれている茶道も同じだと思いますが、お茶をたしなむ時間は心が落ち着くというか、心を豊かにしてくれますよね。
大岩:おっしゃる通りですね。狂言や茶道に限らず、日本の伝統文化は、「優しさ」が根底にあると感じます。
小笠原:そうですね。狂言には、人間というものを客観視しつつ、和んで楽しめる「人を幸せにする笑い」がある。狂言の代表的な登場人物に「太郎冠者(たろうかじゃ)」がいますが、そのキャラクターは、善人になるときもあれば、悪人になるときもあって、演目によって大きく異なります。人は善も悪も内包している存在であることを伝えてくれるのですよ。
大岩:押し付けがましくないというか、「余白」みたいなものがありますよね。それは芸を極めていく道にも感じます。型を教わるだけでなく、自分なりにその道を追究することが求められている。道そのものである流派のお家元から、型を通じてその道筋を学びますが、茶道では客人をもてなすときの室内の装飾や茶碗、菓子などは、相手のことを考えながら、そのつど自分で考えます。型を身につけたうえで、表現の領域は自分で決められる余白がある。
小笠原:おっしゃる通りですね。狂言を堅苦しいイメージで捉える人がいらっしゃるかもしれませんが、様式を用いて表現をすることによって、ある意味で「ニュートラル」な演技をするので、お客さまが自由に想像して楽しめるようになっています。
狂言に限らず、見る人も演じる人も想像力を生かして楽しめるのが日本の伝統文化の良さだと思います。俳句も限られた文字数で表現するわけですが、文字に表れていない余白に想像力を働かせる。ですから、人々の想像力がより豊かになれば、日本の伝統文化への理解度も上がるのではないでしょうか。
大岩:それは、なかなか難しい問題ですよね。今の世の中は、「分かりやすさ」が求められたり、エンタメでもじっくり文脈を味わうものより、すぐ笑えたりするものが増えている。そういった状況の中で、日本の伝統文化の良さを伝えていくには、工夫が必要だと感じることがあります。

伝統文化は、「出合い方」をうまく作ることが大事
──小笠原さんは、フランスで長く過ごされていますが、現地でも狂言師として活動されているのでしょうか?
小笠原:日本とフランス、両国で活動しています。フランスで狂言を披露すると、多くの人がとても楽しんでくれます。「新しい芸能」と言われることもありますし、「コンテンポラリーダンス(特定の形式に捉われない自由に身体表現できるダンス)より、コンテンポラリー(現代的)だ」とも言われます。
──日本人とは反応が違う、と。
小笠原:日本人は、「狂言は伝統芸能で格式が高いもので、面白いとかそうでないとかを自分で判断できないもの」と思われている感じがしますね。
──なぜ、フランスでは反応が良いのでしょうか?
小笠原:狂言が何かを全く知らない人が多く、先入観がないからだと思います。日本でも、地方公演に行くと、子どもたちからは笑いが起こります。やはり何も知らない状態で見て、純粋に面白いからでしょうね。
大岩:私は、子どもだけじゃなく大人も、「伝統文化のもの」として出合うときと、そうじゃないものとして出合うときで見方が変わるのかもしれないと思うんですよね。
2024年の秋に京都の東映太秦映画村で、太秦江戸酒場「宵の紅葉狩」というイベントをプロデュースさせていただきました。これは、映画村の中で江戸時代の京都の風情に包まれながら、お酒の入ったお猪口(ちょこ)を片手に時代劇の世界や日本の伝統文化を体験していただけるイベントです。文化の日に秋の江戸酒場を開催することが決まったので、それなら京都の文化をどっぷり体験できる「文化の祭典をやりましょう!」と。イベントのメインコンテンツとして「文化共宴」と題し、能楽、いけばな、浮世絵、活弁劇という異分野の文化人のコラボレーションによるパフォーマンスを実現しました。

大岩:お客さんにとっては、食事やお酒が楽しめる空間の中に、日本の伝統文化がひょっこり存在している感じで。そのときパフォーマンスを見たお客さんは、能楽やいけばなを格式の高い伝統文化としてではなく、村の中で行われている一つのライブイベントと捉えていたのではないでしょうか。実際、多くの人が楽しんでおられました。その様子を見て、狂言だけでなく伝統文化は、「出合い方」をうまく作ることが大事だと感じました。
小笠原:狂言や能は、「しっかり見なくちゃ」とお客さまが真面目なモードに入るから、本当の楽しさを感じてもらいにくくなっているのかもしれませんね。
狂言や伝統文化の魅力をもっと伝えたい
──日本の伝統文化の魅力を多くの人に伝えるために、どのようなことに取り組んでいきたいですか?
小笠原:引き続き、日本だけでなくフランスでも狂言を普及する活動を続けていきたいですね。海外で狂言が人気になり、それによって日本の人が魅力に気づいてもらえるとうれしいです。
一人の芸人としては、狂言師はただ型を守って演目をやるだけの存在ではないことを示したい。表現者として、自身の幅を広げるために、パリに留学してから約10年間、西洋音楽や演劇を学び、現在はソルボンヌ大学で美術史や美術哲学を学んでいます。2026年に、狂言師の卒業論文とも言われる「釣狐」を演じるのですが、私たちは「靱猿(うつぼざる)」という演目で猿の役を3歳くらいで演じて狂言師デビューをして、「狐」の演目で一応一人前になります。
そんな話をフランス人の演出家バンジャマン・ラザール氏としていたところ、狂言の修行過程や、日仏の過去と現在の文化/時代の「交差点」に生きている私に興味を持ってくださり、彼と現在進行形で「交差点に生きるとは何か」をテーマに作品作りに取り組んでいます。今後は、芸人としての自分と表現者としての自分を両立させていきたいですね。
──狂言の魅力をもっともっと広げていきたい、と。
小笠原:狂言という伝統芸能を絶やさないように、伝えられるものは全部伝えて、次代へのつなぎというか、中興の祖になるような意識を持っていたいですね。
大岩:そういう熱い思いが持てるのは、やはり狂言が好きだからですよね。
小笠原:好きなだけではやっていられないですね。大岩さんが冒頭でおっしゃったように「自分がやらなきゃ」という「自命感」ですかね。時代によって「型」にさまざまな「意味」が伴うように、「意味」に伴わせる「型」も時代によって変わり得ると思っています。科学と文明が昔と比べものにならないほど進化した「現代」の狂言師として、先人たちの「極めてきた芸」を正しく継承するための研鑽を重ねながらも、そのエッセンスを「現代語」に翻訳して伝えていく。これが私の「自命感」かもしれません。
──大岩さんは、いかがですか?
大岩:私は、小笠原さんのように伝統芸能の道のプロではないですし、伝統のある家に生まれたわけではありません。でも、「日本の伝統文化が好き」という気持ちを力にして、電通にいる自分にしかできない道を探していきたいと考えています。電通のプランナー/プロデューサーとして、伝統文化の見せ方、新しい出合い方を模索してきたいですね。
