
日々進化し続けるCX(カスタマーエクスペリエンス=顧客体験)領域に対し、電通のクリエイティブはどのように貢献できるのか?電通のCX専門部署「CXCC」(カスタマーエクスペリエンス・クリエーティブ・センター)メンバーが情報発信する連載が「月刊CX」です(月刊CXに関してはコチラ)。
今回は、2025年4月に三井住友フィナンシャルグループ(以下、SMBCグループ)がオープンした、こどもたちの居場所拠点「アトリエ・バンライ-ITABASHI-」についてご紹介します。電通はブランディングやクリエイティブディレクションに関わりました。
約4000冊の蔵書がある図書スペースを併設しているほか、数々の体験プログラムやイベントが楽しめる本施設。取り組み内容や地域への貢献が評価され、第19回キッズデザイン賞「消費者担当大臣賞」も受賞しています。本施設は、どのようなきっかけで始まり、どのような体験設計が盛り込まれているのか。なぜ、SMBCグループがこうしたこども向けの施設をつくったのか。施設のコンセプト設計やアートディレクションを担当した電通の熊谷由紀氏に話を聞きました。
【熊谷由紀氏プロフィール】
電通
CXクリエーティブセンター/アートディレクター
デザインを起点に、広告企画・ブランディングから、イベント企画、顧客体験設計まで携わる。地域の課題解決や復興/防災関連の企画にも多く参加。カンヌ、アドフェスト、スパイクス、広告電通賞総合賞、グッドデザイン賞など受賞。
※所属・役職は取材当時のものです。こどもたちの人生を豊かにする「好奇心という資本」を提供
月刊CX:「アトリエ・バンライ」とは、どのような施設なのですか?
アトリエ・バンライオープニングイベントムービー
※画像をクリックすると、動画を見られます熊谷:「アトリエ・バンライ」は、小学4~6年生を対象に、放課後の学びと体験を支援する施設です。三井住友銀行 板橋中台出張所の跡地を改装して開設し、館内には漫画や小説など約4000冊を備えた図書スペースを設けています。さらに、多数の企業と連携した体験プログラム(お金・食・音楽・プログラミング等)を提供し、毎週「こども食堂」も実施しています。こどもたちが安全に通い、興味関心を広げながら実社会に触れられる機会を継続的に提供します。
利用は登録制で、2025年10月時点で近隣小学校の児童300名以上が登録しています。スタッフ3名が常駐し、入退館時のQRコード読取により保護者へ「コドモン(保育・教育施設向け業務支援ツール)」経由の通知が自動配信される仕組みで、安全管理を徹底しています。
月刊CX:建物の中にどのようなスペースが用意されているのか、具体的に教えてください。
熊谷:1階の壁には、テーマ別にセレクトした本を並べてあるほか、イベントを開催するためのメインホールや自習や作業をするためのスタディーステーション、ゆっくりと過ごせるリラクゼーションゾーンが設けられています。
壁一面に並べられた本
スタディーステーションで勉強中熊谷:2階は調理機能を備えた厨房に加え、こども食堂や食育体験のプログラムなどを行うダイニングスペースになっています。銀行の跡地であると感じられるように、貸金庫や金庫の扉が残されているスペースもあります。
食堂スタジオ月刊CX:さまざまなスペースが用意されていて、大人でも楽しめそうだなと思いました。
熊谷:ありがとうございます。堅苦しさを感じる紋切り型の学習施設ではなく、ひと目で「明るい」「楽しそう」と思ってもらえるように、ロゴや施設内のデザインにこだわりました。安全面を考慮しつつ、目にも楽しいユニークな形の家具を設置したり、本棚の間にちょっとしたスペースをつくったりと、活発なこどもも、ひとりでいるのが好きなこどももリラックスできるような空間になっています。
ちなみに食堂スタジオでは、大手総合食品メーカーのカゴメが主催で同社のコーポレートシェフを招いた大人向けのソーシャル会「大人の夜会」が開催され、体験プログラムを実施いただく企業様の交流の場として活用いただいたこともあります。
月刊CX:この施設が生まれたきっかけは何だったのでしょう?
熊谷:SMBCグループは以前からこどもたちの教育や体験の格差解消に取り組んできており、こどもたちに体験機会を提供する場所をつくりたいという思いがあったそうです。私自身も電通でさまざまな空間づくりのプロジェクトに携わる中でお声がけをいただき、培ったノウハウを生かしつつどのような空間にしていくかをチームで相談しながら体験設計していきました。
月刊CX:こども向けの施設は他にもあると思いますが、この施設ならではの特徴はどのようなところにありますか?
熊谷:本施設の特徴は「人生を豊かにする体験や好奇心をもっと。」をコンセプトに、「好奇心という資本」を提供している点にあります。何かを面白がる好奇心がこどもの中に芽生えると、目に映るものすべてに興味が持てるようになり、人生の可能性がどんどん広がります。さまざまな体験プログラムを実施する「アトリエ・バンライ」を入り口に、人生を切り拓く好奇心を育んでほしいという思いで施設を運営しています。
施設の名前は、あらゆるこどもたちに開かれた場所である「千客万来」と、体験の財産を貯める人生の銀行「Bank of Life」の略称をかけた“バンライ”という言葉に、創造の拠点となる「工房」を意味する“アトリエ”を組み合わせて「アトリエ・バンライ」と名付けました。
月刊CX:小学校4年生〜6年生を限定的に対象としている理由が気になります。
熊谷:こどもたちと親が直面する「小4の壁」が大きく関わっています。
放課後や夏休みなどにこどもたちが居場所として通う「学童保育」は、その多くが小学3年生までを対象としています。つまり、小学4年生というのは、これまで当たり前にあった学童保育がなくなって居場所を失ってしまうこどもたちが増えるタイミングです。同時に、クラブ活動や習い事が活発化し、こどもそれぞれで分化していくため、学習や体験の機会の差がつきやすくなってしまうという問題もあります。
また、小学4年生からは学習内容も難しくなり、勉強に悩みを抱えるこどもたちが増えていきます。精神的にも成熟して、他人と比較してストレスを感じやすくなったり、反抗期の扉を叩きはじめてしまったりするこどももいます。それら環境の変化をまとめて「小4の壁」と呼ばれています。
親もこどもの居場所づくりまで面倒を見ることが難しくなりますし、そうした小学校4年生から6年生の多感な時期に、自分の好奇心を探求できる居場所があればいいよねとクライアントと電通チームで意見をすり合わせていきました。
私自身、6歳の息子を育てる親でもあるため、こどもが大きくなったときに当事者として利用したいと思える施設になるように、細かなところまでケアしていきました。クライアントもお子さんがいらっしゃる方だったので、コンセプトの目線合わせはスムーズでした。
月刊CX:施設を訪れたこどもたちや保護者の反応はいかがでしたか?
熊谷:4、5年生を中心に、非常にたくさんのこどもたちが訪れてくれています。友だちと連れ添ってわいわい話したり、ひとりで読書に没頭したり、こどもたちがそれぞれの興味関心に沿って共存している様子がすごく素敵だなと思います。こちらから体験を押し付けるのではなく、ひとりでいる自由さも守れるような空間にしたかったため、意図した形で楽しんでくれて感激でした。
4年生のほぼ全員が登録してくれている小学校もあるそうで、学校内では「今日アトリエ行く?」といった会話がされているようです。こどもたちからは、友だちと約束をしていないときも「アトリエ・バンライ」に行けば誰かがいるし、学校の先生や友だち以外で話を聞いてくれる大人がいてうれしいという声があがっていると聞きました。
保護者からは、人と何かをすることが苦手だったこどもがプログラムを通じて友だちと楽しく過ごしているし、SMBCグループが運営しているという安心感を持ってこどもを送り出せるという声をいただいています。
SMBCだからこそ実現できた、多彩なプログラム提供とユニークな体験の創出
月刊CX:約35団体と連携した体験プログラムが用意されているのも、この施設ならではのユニークな取り組みだと思いました。
熊谷:食育から金融教育まで幅ひろく準備されており、どれも他にはない体験が味わえるプログラムになっていますよね。丸亀製麺などを運営するトリドールホールディングスがうどんづくりを学べるプログラムを開催したり、カゴメが野菜の種まきから収穫までを体験する長期プログラムを実施したりと、多数のバラエティー豊かな企業が関わってくださっています。これは、複数の企業と強固なつながりを持つSMBCグループだからこそ実現できたことだと思います。
月刊CX:熊谷さん個人として、印象に残っているプログラムはありますか?
熊谷:SMBCグループとして以前から外部に提供されていた、ゲーム感覚で金融について学べるプログラムが印象的でした。そのほかに、電通からもコピーライターやプランナーが講師として参加し、企画づくりやアイデア出しを体験できる「きかくのがっこう」というプログラムも提供させていただいています。こどもたちから思いもよらないアイデアが飛び出して、非常に実りのある時間だったと評判でした。
「きかくのがっこう」実際の様子月刊CX:銀行が運営する“居場所拠点”としての体験づくりを設計する上で、こだわったポイントを教えてください。
熊谷:第一に、こどもたちにとって安心安全な場所にするために何ができるかを常に考えていました。心から落ち着いて安心できる場所にしないと好奇心は生まれてきません。空間デザインについては、SMBCグループの担当者や施設に関わる他の企業の方々とも相談しながらアドバイスをさせていただきました。
本の選定についても、サッカーをモチーフとした小説の近くにルールブックを置くなど、こどもの興味や好奇心が連鎖していく体験を味わえるように工夫されています。学校には置いていない、少し背伸びした本に出会えるのもポイントです。
銀行というバックグラウンドを活かした体験づくりでいうと、毎週のプログラムの体験後に、内容に応じて対応した色のブロック(トークン)を入れる「トークンポスト」はこの施設ならではだと思います。「アトリエ・バンライ」での学びや体験を、目に見える形で資産として貯めることでこどもたちのモチベーションも上がりますし、さらに次の体験にもつながっていきます。読んだ本を記録できる「ブックダイアリー」もユニークです。専用の機械に通帳型の手帳を通すことで、銀行通帳に“記帳”する形で読んだ本の記録ができます。
トークンポスト
ブックダイアリー月刊CX:銀行での体験がエッセンスとして織り込まれているわけですね。
熊谷:その通りです。せっかく銀行跡地を生かした施設にするなら、銀行ならではの体験を味わえる方が良いのではないかと思い、トークンポストや読書おもいで帳を提案しました。こういった仕組みを通して堅苦しさがなくなり、「いい意味で銀行っぽくない施設ができた」とクライアントにも喜んでいただけているようです。
学んだ体験を、形あるものとして残すためのCXづくり
月刊CX:今回のプロジェクトに関わって、熊谷さん自身がこどもたちと関わる中で感じられたことを教えてください。
熊谷:私のこどもはまだ6歳で、「小4の壁」には直面していませんが、そのほかに「小1の壁」など、子育てにはさまざまな壁があります。
こどもの肉体・精神的成長に伴って、外部の教育サポートや手助けしてくれる場所が減ってくるということをプロジェクトに関わって実感し、将来のことを考えると親としては暗澹たる気持ちにもなりました。しかし、だからこそ、「アトリエ・バンライ」のような居場所拠点はこどもだけでなく親にとっても重要なものであり、社会的にも意義のある場所だと感じました。
月刊CX:熊谷さんが「アトリエ・バンライ」のCX設計において、とくにこだわったところを教えてください。
熊谷:「トークンポスト」に代表されるように、体験したあとに本人にどういう証(あかし)として残すかはこだわっています。「アトリエ・バンライ」のロゴも施設の形に体験のアイコンを固めた造形にしており、体験の蓄積を感じられるようなデザインにしています。何かを体験して終わるのではなく、学んだことが自分の血肉となっていることが体験資産の形で表明できるツールとしてどう落とし込むか、がCX的に重要な点でした。
「アトリエ・バンライ」のロゴ月刊CX:最後に、熊谷さんが今回のプロジェクトで得た知見を踏まえて、今後挑戦してみたいことがあれば伺いたいです。
熊谷:私はこれまでにも防災系など社会課題を解決するプロジェクトに関わってきたのですが、3〜4カ月の短いスパンでローンチしてプロジェクトが終わるというものがほとんどでした。今回のように長期的に継続してどんどん改善していく取り組みは、非常に新鮮で面白いですし、とてもやりがいのあるプロジェクトだったと思います。
電通として本プロジェクト以外にもこどもへの教育機会や体験機会を与えることが出来たら素敵ですし、私自身も社会課題を解決する長期的なプロジェクトに関わっていきたいなと実感しました。
(編集後記)
今回は、2025年4月にSMBCグループがオープンした、こどもたちの居場所拠点「アトリエ・バンライ-ITABASHI-」について話を聞きました。
「好奇心という資本」をテーマに、こどもたちにさまざまな体験機会を提供する本施設は、クライアントの銀行という特色を生かし、体験を形にして蓄積するCXが大きな特徴だと感じました。「何かを面白がる好奇心がこどもの中に芽生えると、人生の可能性がどんどん広がる」という言葉は、こどもだけではなく大人にも通ずる金言ではないでしょうか。
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月刊CX編集部
電通CXCC 木幡 小池 大谷 奥村 古杉 イー 齋藤 小田 高草木 金坂