電通メンタルヘルスラボのチャレンジ。「非」当事者へのアプローチ
電通では、自社グループ内のメンタルヘルスの不調経験者やサポーター、大学などで心理学を学ぶ従業員が自発的に集まり、2021年に有志の「電通メンタルヘルスラボ」がスタートしました。
メンタルヘルスラボのメンバーが自身の経験をもとにメンタルヘルスとの向き合い方を探る本連載。1回目の記事では、メンタルヘルスをとりまく潮流と電通グループの取り組みを、2回目の記事ではメンタルヘルスラボの生い立ちと、ERG(従業員有志によるチーム)で実施しているメンタルヘルスカフェについて取り上げ、多くの反響をいただきました。
自分自身がメンタル不調の当事者でも、メンタル不調による制約を抱えるメンバーがチーム内にいても、誰もがフラットに働き続けられる職場環境をつくるために、私たちができることはどんなことでしょうか――。多くの人にメンタルヘルスに関心をもってもらい、当事者だけに閉じず、誰とでも気軽に話題にできる空気をつくることも大事な一歩だと私たちは考えています。
最終回の今回は、電通メンタルヘルスラボが現在チャレンジしている、不調経験者以外へのアプローチや取り組みについてラボメンバーの竹本奈央がお伝えします。
メンタルヘルスに関する情報は届きにくい?
生活者の消費行動モデルに「AISAS」(※1)や「SEAMS」(※2)などがあります。ちまたにあふれるさまざまな情報の中から商品やサービスを認知して購入に至り、その後情報共有するまでの一連の流れを指します。
一方で、健康情報に関しては消費行動モデルとは異なり、「自分には無関係」だと一度判断されると、忙しい毎日の中で普段の情報収集の網からすり抜け、なかなか届きにくいのが現状です。
健康情報は、興味の有無に関係なく誰もが突然向き合わなければならない可能性も含んでいるにもかかわらず、です。
※1 AISAS=生活者の購買行動をデジタル時代に合わせて説明したマーケティングフレーム。Attention(注意)、Interest(興味)、Search(検索)、Action(行動)、Share(共有)を表す。
※2 SEAMS=生活者の購買行動をSNS時代に合わせて説明したマーケティングフレーム。Sympathize(共感)、Empathize(感情移入)、Act(行動)、Monitor(観察)、Share(共有)を表す。
じつは私自身、不調になって初めて、自分がメンタルヘルスに関する情報を持っていないことに焦りました。というよりも、知識不足で、その時の自分の不調がメンタル不調に起因するものだとは思ってもいなかった、というのが正直なところです。
まさか自分がメンタル不調になるなんて――。
原因が特定できないモヤモヤやいらだちを晴らそうとSNSで検索すると、うつ症状のチェックリストやメンタル対策に関する投稿が目に飛び込んできます。本は手に取れなくても、SNSならぼーっとしていても情報が飛び込んでくるため、信用に欠けるインスタントな投稿にすらも「ああ、私は……」と一喜一憂させられる日々でした。
ようやく自分の不調をメンタル不調に起因するものだと受け入れる気持ちと折り合いがつき、休職してしばらくした頃のことです。
「そういえば、並河さんがウェビナーやるって書いていたなあ……」と社内イントラを調べて見つけたのが、ラボメンバーの並河 進(dentsu Japan チーフ・AI・オフィサー/エグゼクティブクリエイティブディレクター/主席AIマスター)が自身の不調経験を語る社内ウェビナーでした。
電通社員自らが不調経験を語るウェビナーを開催
メンタルヘルスについての話題は、どうしても自分事化しにくく、遠ざけてしまいがちだと、メンタルヘルスカフェでも多くの参加者が語っています。
メンタルヘルスラボでは、メンタル不調は誰もがなりうる、ごく身近なものであると考えています。また、大小はあっても、心身の波は誰もが持っているもので、その波は克服や払拭ではなく、付き合って人生を並走していく存在だと考えています。
一方で、メンタルヘルス不調の原因や症状、対処法、不調を受けてどのような悩みや感情を抱くかは、個人によって大きく差があるため、画一的な答えや解決策のハウツーを提示することは難しいものです。
そのため、メンタルヘルスラボでは、最初のアクションとして、「従業員の不調体験を聞ける場」を設けました。それが、休職を経た私が社内イントラで見つけた社内ウェビナーであり、2021年7月に「並河さんとゆうすけ先生に聞く! メンタル不調体験とその付き合い方」というテーマでdentsu Japanの従業員向けに開催されたものでした。
リアルとオンラインのハイブリッド形式で開催されたウェビナーでは、ラボメンバーの並河が自らのメンタル不調体験を語り、心療内科医の鈴木裕介先生に解説していただきました。
メンタルヘルスラボとしても初のイベントだったということもあり、当時のことを振り返ってラボ代表の渡邊は言います。
「2021年7月当時は、社内でメンタルヘルスの話をするのはまだ慎重になる空気がありました。でも、なんとかこの空気を和らげたい。もちろん、自己開示を強要するわけではありませんが、ただメンタルヘルスについて普通に話せて、誰もがメンタル不調とも付き合っていける空気にしたいと考えて開催にこぎつけました」
ウェビナーで自身の体験を語った並河は、
「自分自身の体験を語ることにためらいや怖さはありました。ですが、自分の体験談を聞いて、誰かが、“自分はひとりじゃないんだ”と少しでも楽になれるならと考えて、登壇することにしました。
経験談をRPGに例えて、“ヒットポイントが下がった”、“不調を経験して大切なことを学び、逆にレベルが上がった”など重くなりすぎないように表現を工夫しました」。
そして参加者からのアンケートの中で、
「弱さを語れる会社であることに、むしろ強さを感じた、という言葉が印象に残っています」
と当時を振り返ります。
先進事例や受賞事例などの華々しいシェアではなく、自分の不調経験を語る、ある意味自身の弱みを全社にさらすようなセミナーは、電通社内でも初の試みだったのではないでしょうか。
このウェビナーは任意参加でありながら、500人近くが参加。400件の感想コメントが寄せられました。参加者は不調を感じている人、感じていない人、感じていないけど知りたい人など、さまざまな状況の人から、
「自分だけじゃないとホッとした」
「不調を感じている人のことを少し知ることができた」
「並河さんですら不調になるなら、自分(が不調になったとして)も必要以上に自分を責めなくてもいいのかもしれないと思えた」
といった声が寄せられました。
「メンタル不調体験とその付き合い方」シリーズは、現在までに社内の役職者や、ラボ代表の渡邊など、登壇者を変えて4回実施し、累計1000人を超えるdentsu Japan従業員が参加しています。
このイベントを通してあらためて感じるのは、内容はもちろんですが、「誰が話すか」の重要性です。当時から並河はクリエイターとして、社内でもよく知られていました。メンタル不調はまだ他人事でも、「並河さんの話なら聞いてみたい!」という従業員も多く参加しました。
まさに、私竹本も、「メンタル不調」という出来事が急に降って湧いてきたことだったため、藁(わら)にもすがるような思いでこのウェビナーの録画を再生しました。
近年は、芸能人やアスリートが自身のメンタル不調について語ったり、情報発信したりするケースも増え、徐々にですがメンタル不調について身近に感じてくれる人が増えている気がします。きっかけはなんであれ、メンタルヘルスについて関心を持ってくれる人が増えるのは、非常にありがたいことだと考えます。
同時にラボでは、今年から、「一般従業員の不調経験」の発信を広げていくことにも注力しています。不調は、誰の身近にも存在していて、その経験は多様でフレーム化することが難しいからです。
例えば、ラボの社内サイトで経験談を公開しているほか、2025年に電通で実施されたDEI Month(※3)では、「『しんどい』を解剖する」というタイトルで、ラボが聴取した従業員へのアンケートをもとにライトなウェビナーを開催しました。他にも、電通グループ内企業のDEIイベントでラボメンバー自身の個人的な不調体験を話す活動も行っています。
※3 DEI Month=企業や組織が Diversity(多様性)・Equity(公平)・Inclusion(包摂) の理解促進と実践を目的として、1カ月間にわたって関連イベントやプログラムを集中的に展開する期間のこと。
不調経験者への適切な対応を学ぶ研修
不調経験者以外の方との接点を作る場として、不調経験者の声を元に、メンタルヘルスの関心と知識を底上げするための研修開発なども行っています。
その一つが「メンタルヘルス不調へのバイアスに気づこう」という研修です。電通グループ グローバル・チーフ・サステナビリティ・オフィサーの北風祐子さんが推進していたプロジェクトの一環で、2023年に電通のマネジメント層に向けに実施しました。
メンタル不調者を接しづらい存在として特別視するのではなく、従業員がより良く働くためにはどうしたら良いか、マネジメントが考える時間を目指しました。
当日はラボメンバーの並河が登壇し、当事者目線でのメンタルヘルス不調の解説に加え、自身の体験を共有しながら、メンタルヘルスカフェにこれまで集まった「メンタルヘルスのバイアスあるある」や、「不調時にうれしかった対応、うれしくなかった対応」など、実際の不調経験者の声も多数紹介しました。
研修の後には、任意で参加できるマネジメント向けの「メンタルヘルスカフェ」も実施し、マニュアルや答えのない不調者対応や自身のメンタルヘルスについて考える時間もつくりました。
メンタルヘルスラボ自体はERGであるため、社内のイベント実施にあたっては必ず人事や健康推進のセクション、産業医とも連携し、自社の公式の相談窓口の案内も徹底しています。
また、いずれのイベントでも、メンタルヘルスカフェの運営と同様、安全配慮を徹底し、一人ひとり個別に向き合うことの大切さを繰り返し伝えています。
最近では、ラボが不調経験のある方に寄り添い、当事者の声を聞き、届け続けてきた経験を生かし、傷病休暇明け従業員向けのサポートアクションの企画に参加したり、メンタルヘルスに関わる広告の表現コンサルティングにも携わったりしています。
メンタルヘルスラボのこれから
メンタルヘルスに関する発信は決して簡単なことではありません。
誰かを追い込んだり傷つけたりしていないか。メンタル不調の偏見やリスクを助長していないか。営利企業において、「一旦立ち止まってもいいんだよ」と発信することに反発されないか。
また、ERGならではの難しさもあります。予算はもちろん、自主プロジェクトならではの業務外での時間の捻出やモチベーション維持、多様なバックグラウンドの包含。この5年間、一人ひとりの声に耳を傾け、地道に仲間を増やしながら、一歩ずつ、大事に育ててきました。
最近ではさまざまな企業で、ERGのような取り組みが広まっていると聞きますが、現在メンタルヘルスに取り組んでいるグループ、これから取り組もうとしている方々がいましたら、ぜひ意見交換をさせていただきたいです。
また、メンタルヘルスの啓発や不調者対応についてお困りの際は、カフェの運営やウェビナーや勉強会などを通じて、ERGの視点で何かお力になれるかもしれません。ぜひお気軽にお問い合わせください。
メンタルヘルスラボのチャレンジは続きます。
現に今、この記事を読んでくださっているあなたがいること。これは、メンタルヘルスラボにとってはとっても大きな成果のひとつです。メンタルヘルスラボから、電通から、そして私とあなたから、「メンタルヘルスについて気軽に考える」、そして、「メンタル不調やそれに起因する制約があっても、働き続けられる」ことが普通になる世の中を目指して、メンタルヘルスラボは、今後も活動を続けていきます。
メンタルヘルスラボ
mentalhealth@dentsu.co.jp
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著者

メンタルヘルスラボ
電通グループ内で2021年にスタートした社内有志によるラボ。「メンタル不調やそれに起因する制約があっても、働き続けられる」会社・社会を目指し、社内外で当事者の視点を活かしたメンタルヘルスに関する啓発行う。主な活動は、不調経験のある当事者同士が経験談や感情を共有できるピアグループの場「メンタルヘルスカフェ」の実施・運営、「社員が自身のメンタル不調体験を語るセミナー」など。

竹本 奈央
株式会社 電通
第5マーケティング局 マーケティングコンサルタント
関西支社メディア/マーケティング部署で7年間のプランニング経験ののち、コスメブランドのBP担当として7年間爆走。2023年より現職で奔走。不調を経験して初めて、自身の中のメンタル不調への偏見や、「強くあらねば」という同調圧力に気づき、電通メンタルヘルスラボに参加。書道とヨガと旅行で気分転換しながら、心理学を学び中。

並河 進
dentsu Japan
チーフ・AI・オフィサー /エグゼクティブクリエイティブディレクター/主席AIマスター
AIを活用したプロジェクトと、企業と社会を結ぶソーシャルプロジェクトが得意領域。2022年9月、電通クリエイティブインテリジェンス発足。東京大学AIセンターとの共同研究をスタート。Augmented Creativity Unitユニットリーダーをつとめる。著書は、「Social Design」(木楽舎)、「Communication Shift」(羽鳥書店)他多数。読売広告大賞、広告電通賞など受賞多数。
渡邊 はるか
株式会社 電通
クリエイティブ&ナレッジ推進センター
プロデューサー
2012年経済学部卒、2022年心理学部卒。クリエイティブ人材の育成/研修/能力開発を推進。自身のメンタル不調による休職体験から、2021年にメンタルヘルスの啓発・サポートを行う「電通メンタルヘルスラボ」を立ち上げ。「電通グラレコ研究所」にて、ビジュアライズを通じた業務支援も行う。毎年1ヶ月の夏休みを取得し、世界中を旅している。






