AI時代の教育パラダイムシフト
正解のない問いに挑む「アクティブラーニング」の力
大熊 雅士
東京都小金井市教育委員会
教育×クリエイティブで、日本のオリジナルな教育を面白くするために。
コピーライター・アートディレクター・クリエイティブディレクター・マーケターなどが集まって、電通社内に設立した「アクティブラーニングこんなのどうだろう研究所」。設立10周年を記念して、メンバーそれぞれが教育に関わってきた中での発見や、感じた変化をリレーコラム形式でお届けします。
今回は、研究所の共同研究員であり、東京都小金井市教育委員会教育長を務める大熊雅士氏が担当します。

AIという新しい帆の出現について
今、教育の現場は歴史的な転換点を迎えようとしています。それは、生成AIの劇的な進化によって、学校が「いかに多くの知識を蓄えるか」という場から、「得た知識をどう使い、どのような意志を持つか」という実践の場へと、移り変わろうとしているからです。
現在、学校で学ぶ子どもたちが成人し、社会の主役となる2040年前後を見据えると、知識の蓄積や定型的な論理処理能力の多くを、AIが肩代わりする時代になることでしょう。そのような時代となっても、すべての子どもたちが「自分らしく生きるための力」を身に付けられるよう、現代の教育をパラダイムシフトさせなければなりません。
実は、私自身が受けてきた教育も、私自身が実践してきた初期の教育のほとんども、知識を積み上げ、「正解」を効率的に導き出すことに主眼が置かれていましたし、置いていました。「これまでの教育」は、間違いだったとは思っていません。なぜなら、現在を生きる私自身がこれまで獲得してきた知識によって、この世界を理解し、生きていくための血肉となっているからです。よく考えてみると、人間が誕生してから今日まで、先に生まれた者の経験を若手に伝えるという基本構造に変わりはないのです。
それだけでは、現代を生きることが次の二つの理由により、立ち行かなくなっているのです。その一つが、近年の急速なICTの進展です。私たちを取り巻く情報は10年前と比較して500倍、あるいは1000倍といっても過言ではないほど、巨大な波となって押し寄せるようになりました。二つ目は、地球温暖化や少子高齢化といった、これまでの体験や知識だけでは解決できない課題が山積しているという現状です。これらのことが「予測困難で先行き不透明な社会」といわれる所以(ゆえん)でもあります。このような時代において、誰一人取り残すことなく自分らしく生きていく力を育むことが、現代の教育に委ねられているのです。
このような状況の中で、さらに巨大な波といえるAIが登場しました。これは福音なのでしょうか、それとも脅威なのでしょうか。私はこれを、未知の海を渡るための「新しい帆」と捉えたいと考えています。
最近の情報の爆発の中で、人間一人の力で的確に情報を収集することはもはや不可能となりました。それが、AIの登場によって、真偽は確かめなければならないものの、あらゆる情報を収集することができるようになりました。それらを基に「行く道を選択」することが可能となったのです。もちろん今はまだ、不確実な面は多々ありますが、今後のAIは未知の海を渡る人間にとっての「新しい帆」になり得ると考えています。
学校の再定義 —「知識の補給所」から「意志を研磨する工房」へ
AIはプロンプトを打ち込めば、一瞬にして「答え」を弾き出します。即時性・効率性において、人間はもはやAIに太刀打ちできません。この状況は、これまでの授業の在り方を根本から変えることになると考えます。なぜなら、これまでの授業のように、子どもにとって、未知の課題を教師が提示して考えさせようとしても、子どもは目の前にあるコンピューターを駆使して、AIによって即座に答えを出してしまうでしょう。その時、教師は「コンピューターを閉じて自分で考えなさい」と言えば解決するのでしょうか。
家庭に帰れば、子どもは当然のようにAIに問いかけるでしょう。ですから、コンピューターに問いかけることを抑えることは困難なのです。つまり、これからの子どもたちは「知識を獲得すること」そのものには好奇心を持てなくなるということであり、教科書に書いてある決まった答えはすべてAIが答えてくれる時代となったのです。
そこで、これまでの教師が行ってきた「正確な情報の伝達」という営みをAIに補完させ、自らは「正解の伝達者」から「探究の伴走者」へと役割を変える必要があるのです。よって、学校という場は、「知識の補給所」から、子どもたち一人一人が自分との対話を繰り返し、深掘りする力を養うとともに、他者との対話を通して「意志を研磨する工房」へと根本的な変革を遂げなければならないのです。

学びの核心— AIには持てない「身体性」と「責任感」
とは言うものの、「教える」ことをすべてAIに任せられるのでしょうか。私は「できない」と断言します。AIと人間の決定的な違いは、「身体性」とそこから生まれる「実感」の有無にあるからです。
学びが成立するためには、学びたいと思える感情が体の内側から湧き上がることが不可欠です。湯水のように知識が降り注いだとしても、それを「獲得したい」という意思がなければ、何一つ捉えることはできません。その意思を高めるためには、教室という枠を超え、五感を使って世界を見渡すことが必要なのです。
肌を刺す日差しの熱や、誰かの震える声、現場に漂う重苦しい空気感といった身体的な体験を通じて、世の中の課題を単なる「情報」ではなく、自分の痛みとして「自分ごと化」することが大切なのです。この「不快感」や「違和感」は、どんなにAIが進歩したとしても、決して持つことはできません。これこそが、人間にしか感じとることができないものであり、人間が自ら動き出すための原動力となるのです。
さらに、AIには、大きな問題があります。それは、出力した結果がもたらす社会的・倫理的な結末に「責任」を負うことはできないということです。AIの出した答えをうのみにすることは、自らの意志を放棄することに等しいと言えます。提示された解に対し「本当にそうか?」「この先に何があるのか?」と問い続け、自ら裏付けを取りに行く。その泥くさいプロセスの果てにたどり着いた結論だからこそ、人間はそれを「自分の判断」として引き受け、責任を負う覚悟を持つことができるのです。
AIを活用しようとする時、この二つの事柄は、体の中心に据えおく必要があると考えています。そうでなければ、AIにすべてを飲み込まれてしまう可能性すらあるのです。では、どのようにしてこのような力を身に付けていけばいいのでしょうか?
探究の伴走者へ—教室にクリエイティブの視点を
私はこれまで、電通社内に設立された「アクティブラーニングこんなのどうだろう研究所」の共同研究員として、学びのあり方を追求してきました。当研究所は2015年、答えのない時代を迎えるにあたって、自ら未来を切り開いていく力を育成するために設立されました。
私は、それまで電通と東京学芸大学との産学共同研究として「広告小学校」という教材作成に携わってきました。その中心的メンバーである倉成さんから一本の電話をいただいた時のことを、今でも鮮明に覚えています。
「大熊先生、いま学習指導要領でいわれているアクティブラーニングって、面白くないですか?私たちがやってきたことに通じていませんか?」「それを深掘りしてみたいんですけど」
その言葉に、「それは面白い」と私の頭の中で無数の花火が打ちあがったような衝撃を受けたことを今でもはっきり覚えています。その当時、新しい学習指導要領で(アクティブラーニング)が大事だといわれていましたが、現場では「よく考えよう」「自分たちで話し合って決めよう」「体験活動が何より大事」という段階でした。そのため、先生も子どもたちもどうすればいいのか戸惑っていました。
一方で、今のやり方では「真の生きる力」につながらないと、誰もが不安に思っている状況でした。そんな時に倉成さんの電話だったのです。「そうか、学校では未着手だったことが、クリエイティブの世界ではすでに行われていたんだ」と、霧が一気に晴れるような思いがしました。
広告クリエイティブ開発の現場で日常的に行われている「問いの立て方」、そして、「考え方」のスキルや、アイデアを収束させる具体的なノウハウが、アクティブラーニングに不可欠であると一気につながりました。クリエイティブのプロフェッショナルが用いる手法を教育に応用し、全国の教育機関に向けて「こんな方法はどうだろう」と提案し、日本オリジナルな教育を創り上げることができると確信したのです。
「変な宿題」が火をつける—AIが答えられない「謎」を掘る力
アクティブラーニングこんなのどうだろう研究所が提案してきたさまざまなアプローチの中で、AI時代に人間が持つべき「持続的な探究心」などを育む代表的なプロジェクトが「変な宿題」です。これは、「一週間が8日に増えたら、その1日何をしますか?」といった、正解のない宿題を出してそれに多様なアイデアを出すというアクティビティです。
なぜあえて「変」な問題を出すのか。それは、人間が成長する最大の原動力が「好奇心」だからです。奇妙な課題は、子どもの好奇心を一気に増幅させ、「主体的に考えてみたい」という気持ちを引き起こさせるからです。
そして、最も重要なのは、この宿題には「決まった答えがない」という点です。AIは一瞬で「もっともらしい答え」を出してきますが、「変な宿題」には終わりがありません。AIは瞬時に「80点の回答」は導き出しますが、人間はそれに満足することなく、「もっとすてきな回答はないか」と何度も問い直し、掘り下げ続けることができます。その深掘りの結果をみんなに発表し、認められる。「いいね」をもらえることは、「深掘りしてよかった」「また、深掘りしてみたい」「いろいろ考えることって面白い」という意欲につながると考えます。
実は、この「寄り道」や「試行錯誤のプロセス」を通じて、発想力、構想力、統合力といった、AIでは代替できない総合的な力を自立的に培うことができると考えています。本研究所が活動する上で大事にしているスタンスである「答えがない?いや、全部が答えだ!」という思考の飛躍が、これからの時代に必要な学びの姿なのだと改めて思うのです。
摩擦が生む創発—多様な認知特性が響き合う場
もう一つ、AI時代において未来を生きる力となるのが「多様な他者との協働」です。人間にはそれぞれ生まれ持った「認知の特性」があります。例えば、初対面の人を顔や雰囲気で覚える「視覚優位」、名刺の文字などで理解する「言語優位」、名前の響きや音で理解する「聴覚優位」など、同じ世界を見ていても、情報の捉え方や表現方法は一人一人異なるのです。
AIは個別最適化された学びを提供するのは得意ですが、これからの世の中で必要とされる経験は、異なる特性や価値観を持つ者同士が同じ場に集い、衝突し、協働するプロセスだと思うのです。
グループワークの中では、意見が合わずに葛藤が生じることもあります。しかし、効率を極めるAIには、この「泥くさい」プロセスは存在しません。異なる特性や判断基準を持つ他者と意見をすり合わせ、一人では想像もつかなかった新しいものを生み出す「創発」の体験。これこそが、社会で直面する複雑な課題を解決する鍵であり、AIにはまねできない人間の尊厳であると考えています。
自らの羅針盤で、未来の荒野を歩む子らへ
振り返れば、研究所のメンバーとともに追求してきた「正解のないクリエイティブ教育」は、AIが浸透するこれからの時代において、真の輝きを放つと確信しています。
AIというブラックボックスが社会に浸透するからこそ、誰もが自分の五感で違和感を抱き、それを言葉にし、考え続ける権利を持たなければなりません。すべての子どもが探究のプロになる必要はありませんが、すべての子どもに「自分の羅針盤を持って航海する力」を保障したいと強く思っています。
誰一人として自分の人生のかじをAIに丸投げすることなく、自らの力で未来の荒海を進むことができる力を授けること。それこそが、私たちの目指す「誰一人取り残さない」教育の本質です。効率を極めるAIに対し、あえて寄り道をし、失敗を重ね、そのプロセスを身体に刻み込む「しつこさ」を伴う探究心。これこそが、将来子どもたちが壁にぶつかった時に、生きて働く力です。私たちは今、AIという荒波に立ち向かい、新しい航海を始めようとしています。この変革の真っただ中において、これからも「こんなのどうだろう?」と問い続けながら、子どもたちとともに悩み、探究の伴走者としての挑戦を続けていきたいと考えています。
アクティブラーニングこんなのどうだろう研究所ウェブサイト
https://www.konnano-dodaro.jp/
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著者
大熊 雅士
東京都小金井市教育委員会
教育長
小学校教諭を起点に、区市指導主事、東京都教職員研修センター統括指導主事、東京学芸大学教職大学院特命教授を歴任。趣味はキャンプ、ダッチオーブン料理やそば打ち。さまざまな地域活動にもまい進する多趣味な教育家。産学共同研究として、電通の社会貢献活動「広告小学校」の教材開発に携わる。アクティブラーニングこんなのどうだろう研究所 共同研究員。

