書く技術というより、考える技術に限りなく近い
~磯島拓矢『言葉の技術』刊行
2014/04/21
もうずいぶん昔の話だ。僕は糸井重里と原田知世(敬称略)に憧れる電通の新入社員で、一体どの部署に配属されるかドキドキビクビクしていた。「磯島拓矢」と呼ばれて立ち上がり「クリエーティブ制作局」と言い渡されて席に座る。そして僕はコピーライターになった。
中村卓司、小松洋支、生出マサミ、角田誠、平山浩司…(敬称略)。優れた師匠から、手取り足取り胸倉つかまれ(ウソ)コピーを教わった。それと同じことを後輩にしてあげるのが師匠への恩返しになるのだが、これが中々うまくできない。もういい年だというのに。
そんな時『言葉の技術』という本を書けと社命が下る。会社はよく見ているなあと思う。師匠から学んだ書くための技術を、なるべく丁寧に記したつもりだ。それは実は書く技術というより、考える技術に限りなく近い。本書の結論は、人より一歩深く考えようという実にミもフタもないものになってしまった。でも、それが真実だからしょうがない。
編集の中島女史(美人)にやさしくお尻を叩かれ、深夜のオフィスで原稿を書きながら、僕は何度もクリエーティブに配属が決まった時の気持ちを思い出していた。その夜の研修の打ち上げで乗った屋形船と(バブルへGO!!)、頰に受けたガソリン臭い風を思い出していた。不安と始まりの予感が入り交じったあの時の気分。本当に新しい言葉は、そんな希望としか言いようのないものから生まれることも、僕は学んだ。この話も本に書いておけばよかったなあと、今さら思う。
あれから長い時間がたってしまったけれど、糸井さんは相変わらず元気で知世チャンは美しい(しかも最近独身に戻った)。僕もあの時の気分を思い出せるうちは、まだまだ書けるかな、と思ったりする。ここまで書いて710字。字数を守る技術だけは、一級と自負している。