シンブン!今だからできること。今しかできないこと。No.13
東北復興のために新聞ができること(3)
2014/07/18
ゆっくり急ぐ
~つなぎ、つたえ、つづけていきたいこと~
東北復興サポートネットワークの活動
東北復興サポートネットワークの活動を開始して、この7月末でちょうどまる3年となります。東日本大震災の年から被災地に通い活動してきましたが、あっという間の3年でした。お世話になりました関係者の皆さまに心より御礼申し上げます。
この3年、政権も代わり、さまざまな国際問題が噴出したり、大きな変化がありました。復旧・復興をはじめ被災地での変化もさまざまありましたが、その中の一つとして被災地とも大きく関わるビッグニュースだったのが、2020年の東京五輪の開催決定でした。
今年6月には、組織委員会の森喜朗会長が被災地を回り、各知事に「五輪はオールジャパン態勢で挑みたい」と発言するなど、被災地も含め国全体として取り組んでいくことを明言していました。一方、各知事からは「聖火リレーの開催」「事前合宿の開催」「サッカー予選開催」などのイベント誘致を望む声が発せられています。
そうしたイベントを被災地で開催することの意義は大変大きく、実現してほしいのですが、被災者一人一人の視点で考えると、そう単純ではないとも感じます。イベントは最終的な事象であり、その根底にしっかりと被災者と向き合った部分がないといけない。私たちも携わる人間として、しっかり意識していきたいと思います。
今年の4月26日、ソチ冬季五輪フィギュアスケートで日本男子初の金メダルを獲得した羽生結弦選手のパレードが、出身地の仙台市で盛大に実施されました。約9万2000人(主催者発表)というすごい数の方々が、晴れ渡った空の下で「感動をありがとう!」と大きな声援を羽生選手に送っていました。そのパレード前に、村井宮城県知事が羽生選手に県民栄誉賞を授与したのですが、その際に彼が「どうか被災地のことを忘れないでいただきたい」とあいさつしたそうです。3.11当日あの時間に仙台のスケートリンクにいて実際に被災した彼からの声は本当に心にしみますし、大切なことは何なのか、考えさせられます。私の知り合いで石巻で被災された50代の男性は「まだ19歳の羽生選手の姿を見て、もっと大人がしっかりしなくちゃと思う。彼自身は“自分は何もできない、精いっぱい演技を見せるだけだ”と言っていたが、そんなことはない。彼の姿を見て一体何人の被災者が勇気づけられたことか。大人が一人一人自分に何ができるのかしっかり問い直して一歩ずつ進まないと、彼にも申し訳ない」と目を潤ませながらおっしゃっていました。
少し視点が変わりますが、皆さんもよくご存じの作家の乙武洋匡さんが東京五輪についてこんな意見を出されていました。「パラリンピックをなくしたいと思っています。障がいのあるアスリートが活躍できる舞台をなくすべきというのではなく、オリンピックとパラリンピックを一つの大会として開催できたらいいと」。彼の発言の趣旨は、例えば柔道やレスリングなどで体重別に階級が分けられているのが、体重差というハンディをなくすための工夫だとすれば、身体障がいや視覚障がいなどの身体機能ごとに階級を分けて実施すればいい、ということのようです。もちろんこれを実現するのは容易ではないと思いますが、ダイバーシティー(多様性)への対応も含め、さまざまな障壁を越える挑戦をしていくことがとても重要で、これは、被災地との心からの関係づくりにも共通することだと思います。そうしたトライの積み重ねがあって初めて、日本という国が一つとなって新しいステージに入っていけるのでしょう。
2020年東京五輪、そして翌2021年の東日本大震災後10年の節目を一つの大切な機と捉え、皆が手を取り合って壁を時には乗り越え、時にはぶち壊し、新しい道を築いていけるよう、その気持ちをもってこれからも活動していきたいと思います。
(MCP局エリア・ソリューション部 東北復興サポートネットワーク(※)仙台駐在 北出康博)