社会的課題を逆手にとる
マーケティングの新発想
2014/10/22
「完璧さ」にこだわっていると、突破口は開けない
コトラー:実は私、「日本は世界でもっとも優れたマーケターである」という趣旨の記事を書いたことがあるんです。
山本:本当ですか。
コトラー:ええ、当時は心からそう思っていたのです。米国のマーケターは自分たちがけなされたように感じたのか、文句を言っていましたが(笑)。
しかしあの頃は日本の企業が、エレクトロニクス産業でも、カメラ、オートバイ、自動車産業でも市場を席巻していた。それは日本企業が“勝ち方”を知っているからだと私は主張しました。
なぜなら、日本人は米国製品を真似して同等のものをつくるというだけでなく、改善して、より良いものをつくることができた。常に製品を改良し続けていたのです。しかも、米国製品より安い価格で販売しました。他より優れた製品を、より安い価格で販売するのに勝る戦略はありません。それが、勝ち方を知っているということです。
ですから、その後日本の成長が鈍ってきたときに、友人たちから「日本はいつになったら調子を取り戻すのか」としばしば尋ねられましたが、いつも「あと数年もたてば盛り返す」と答えていました。しかしながら、「あと数年」と答え続けて20年が過ぎてしまいました。
山本:かつての“勝ち方”では立ち行かない時代になったということですね。
コトラー:今、日本ではアベノミクスが推し進められ、新しい風を呼び込もうとしていますが、マーケティングについてはほとんど語られていません。その部分だけが、すっぽり抜け落ちているかのようです。マーケティングこそが真に重要な課題であるのに、それがまだよく理解されていないのかもしれません。
例えば対外輸出にしても、英語やヨーロッパ言語を解する人の数が少ないことが日本に不利に働いていると思います。日本の近隣諸国ではそのようなことはありません。韓国では英語が急速に普及していますし、インドネシア人などは普段から英語を話しています。しかし日本に来ると、英語を上手に話す人になかなか出会えない。私は英語を母国語としますが、日本のホテルではテレビやトイレの操作法の説明が読めないことがあります。
山本:言語障壁の問題ですね。
コトラー:それともう一つは、製品とはどの程度完璧でなければならないものなのかという議論があります。日本は、どんなジャンルでも完璧な製品をつくる能力があることを世界に示してきましたが、完璧ゆえに価格が高いという難点があります。私は、2種類の製品ラインを打ち出すのが賢明ではないかと思います。完璧で価格が高めの製品ラインと、完璧ではないにしても手頃な価格の製品ラインです。
この点は、中国の存在を抜きには語れません。中国は、利益の最大化を図ろうとしているのではなく、安い製品価格を武器に市場規模の最大化を図ろうとしています。実はかつての日本もそうでした。高い利益を確保することよりも、量産を目指していた時期がありました。中国も、現在そういう状況にあります。
一方、世界全体の経済状況を見ると、あまり良い状態にあるとはいえません。成長は鈍く、貧しい人々がまだまだ多くいます。中産階級ですら規模が縮小しています。つまり、今、本当に市場で求められているのは、良いものでかつ手の届く価格の製品なのです。日本の製造業者は、どうもそのことを本当には理解していない、また、そうした状況に対応する準備もないように、私の目には映ります。
ダイバーシティーが、イノベーションを生み出す原動力になる
山本:日本人の多くは、日本は「社会的問題の先進国」であると感じています。少子高齢化、東京をはじめとする大都市圏への過剰な人口集中、それに伴ってますます過疎化・高齢化が顕著になる地方。こうした課題を逆手にとって生かすことができるマーケティング手法を開発するには、どうしたらよいでしょうか。
コトラー:日本は高齢化しているだけでなく、出生率が下がり続け、少子化と相まって人口も減少している。日本人は移民の受け入れに消極的ですが、打開策としてはやはり、ドイツと同じ選択をせざるを得ないのではないでしょうか。ドイツは労働力の不足を補うために、トルコやギリシャなどからの移民を受け入れました。
どこの国から積極的に労働力を受け入れるかは、国として選択的に決めることもできます。労働力は、二つの層に分けて考えられます。一つは、建設業界などで肉体的な労働力を提供してくれる人々ですね。もう一つは、頭脳労働系の仕事を担う人々。特に後者を呼び込むには、呼び込む側にそれなりの魅力がなければなりません。その努力を日本がこれまでしてきたことは知っていますが、ダイバーシティーにおいてはまだまだ不十分ではないかと思います。
ダイバーシティーとは何かというと、意思決定をする際に、さまざまな視点を持つ人々がそれぞれの視点を持ち寄るということです。しかし、日本では意思決定に携わる人たちが均質的過ぎると指摘されています。つまり、意思決定プロセスが、対立も辞さない真剣な議論ではなく、判子を押す作業になってしまっているのです。
山本:そういう企業風土からは、イノベーションは生まれにくいですね。
コトラー:日本企業はカイゼンが得意ですよね。毎日少しずつ、あらゆる側面から改善していく。ただし、それはあくまで改善であって、イノベーションではない。一時代を画したウォークマンはその後どんどん改良が加えられ、子ども向けウォークマンなどさまざまなタイプが発売されました。しかし、全て「ウォークマン」の枠から出ることはありませんでした。そして、次に「いつでもどこでも、あらゆる種類の好きな音楽を聴きたい」という同じ課題に対し、全く新しい発想で応えたのは、iPodでした。
もちろん、日本発のイノベーションもいろいろあります。でも、十分といえるだけのイノベーションを日本は生み出してきたでしょうか。その課題の本質は、日本人そして日本社会の均質性という点にあるかもしれません。
山本:イノベーションを生み出す不可欠の要素として、ダイバーシティーの重要性を強調する人は多いですね。
コトラー:先ほどの高齢化問題について話を戻すと、日本は「高齢化の先駆者」になるという視点が一つ挙げられと思います。全世界で高齢化が進行することは間違いないのですから、日本は世界に先駆けて、高齢者のニーズにどう応えればよいかを知ることになります。高齢者ニーズに応えることを得意分野としたスペシャリストになることもできるでしょう。
ただ、私としては、日本が外国から多くの若い人たちを移民として社会に呼び込むことに活路を見いだしてほしいと思います。もっと子どもを産むように働き掛ければよいではないかという考えもありますが、あまり功を奏するとは思いません。フランスのように、子どもをたくさん産むことを奨励する補助金制度を導入してみるのもよいのですが、そうした取り組みが本当に新しい発想につながるかといえば、必ずしもそうではないような気がするからです。