ジブンと社会をつなぐ教室No.4
「ズーニーさん、社会ってなんですか??」
自分と社会との“接着点”を考える(前編)
2015/01/09
「ジブンと社会をつなぐ教室」を書籍化した「なぜ君たちは就活になるとみんな同じようなことばかりしゃべりだすのか。」の特別対談の一部を紹介。今回は、文章や表現のプロである山田ズーニーさんを迎えて、自分と社会との接点の見つけ方を語り合いました。ズーニーさんは、会社を辞めたときに「社会とも切れてしまった」と話します。
「就職」と「就社」どちらで社会とへその緒をつなぐ?
退職。再び働けるようになるまで5年かかった
小島:ズーニーさんは表現や文章の教室をたくさん展開されていますが、そもそもなぜ就活生向けのワークショップを行うようになったのですか?
山田:出発点は、私自身の経験です。もっと自由に企画をしていくために、38歳のときに16年勤めたベネッセコーポレーションを辞めたら、「社会」とつながれなくなってしまったんです。
会社という箱がないと、社会とつながるのはこの日本では本当に難しい。下請けのような仕事ならありましたが、私は「前に進みたい」と思って会社を飛び出したので、そういうものをする気にはなれなくて。
もがき続けて、やっと文章や表現のインストラクターという道を見つけました。それがまっすぐ一本道で社会につながっていたから今日の私があるので、苦しんでよかったと今は思います。再び自分が納得して働けるようになるまで5年かかりました。小中高、大学、企業とすいすい進んできた人には想像もつかないかもしれませんが、箱を離れるとそれだけ社会と接続するのはすごく難しいことなんです。
吉田:逆にいえば、会社はまさに大船のようで、入ってしまえば自分と社会とのつながりを考えることなんかほとんどない。そこに僕らは目を向けてほしいと思っているんですが、ズーニーさんは会社と社会について、授業でどんなふうに教えていますか?
山田:就活ではよく「会社で自己実現を」と思われがちですが、会社はチームで利益を挙げるところです。だから、そのチームの志、船の行き先を押さえよう、と話しています。
会社の定義には、いろんな答えがあると思いますが、その特徴を一言で表すと「分業」です。同じ船の中で、それぞれ得意な持ち場を受け持っていたつもりが、5年10年たつと、見ている風景が全然違ってくるんです。私もベネッセにいたころ、社内の営業よりも他社の編集者の方がよほど話が通じたりして。
小島:確かに、よく分かります。
分業を選んだら、意志疎通に労力を割く覚悟を
山田:上司とは、もっと隔たりが生まれます。何十億円の重圧を背負って、祈るように決断を下している人の気持ちは、企画や制作の部門には分からなくて当然ですよね。
そこで必要なのは、見ている風景が全く違う相手に分かってもらえる「翻訳」の作業です。どういう言い方をしたら伝わるのか、コミュニケーションにすごく骨身を砕かないといけない。会社でのびのびと働いている人は、その点にすごく労力をかけています。
私は今はフリーランスなので、全部ひとりでやりますが、これはこれですごく面倒くさい。だから、どちらの面倒くささを選ぶのか、ということなんです。
小島:「やりたいことができない」「分かってもらえない」といって2、3年で転職する人も多いと思いますが、コミュニケーション不足なんでしょうか?
山田:というよりも、そもそも会社に就職した時点で「分業を選択したのだ」という意識がないことが、最初のボタンのかけ違えなんでしょうね。
やっぱり、人は人に理解されないとストレスがたまりますし、通じないと傷つきます。じゃあなぜ、分業の権化のような「会社」に入るのかというと、それには明快な答えがあって、個人の規模では一生到達できないインパクトで社会に働きかけられるからです。
「就職」という形で社会と直接へその緒をつなぐのか、それともすでに社会とへその緒でつながっている会社という場所に「就社」するのか。後者を選んだのなら、個人で温めてきた志をいったん「組織での自分」の仕様に組み替えて、意志疎通に労力を割く覚悟をしてねと。それが見落とされているから、ミスマッチが起きているんだと思います。
小島:「就職」と「就社」、すごく腑に落ちました。就活は実際には「就社」の意味合いですね。