アド・スタディーズ 対談No.12
2020年東京オリンピックとは何か
2つの東京オリンピックの
歴史的意義を探る―②
2015/01/11
前回に続き、1964年の東京オリンピックは、日本の戦後復興と社会インフラの飛躍的な向上をもたらし、 先進国への仲間入りをアピールした。
本対談では、2020年東京オリンピックの文化プログラムにも深く関わっておいでの吉本光宏氏と都市論や文化社会学(カルチュラル・スタディーズ)などの研究をしてこられた吉見俊哉教授のお二人が登場。
すでに成熟期を迎え新たな課題をつきつけられている5年後の東京オリンピックには何が求められるのか、歴史を振り返りながら、その文化的な面からあるべき方向性をご提示いただいた。
歴史的価値の再発見
吉見:東京の大規模なスポーツ施設は軍事施設と深く関係しています。明治維新では薩長が南から攻めてきて江戸を占領し、武家屋敷が集まっていた東京の南から西にかけての一帯に軍事施設を集中させます。その後、六本木、麻布、青山、赤坂といった地域が日本軍の街になり、戦後は一時アメリカ軍の街になり、返還後に大規模な競技施設ができます。つまり、1964年の東京オリンピックは東京の中心が南や西へ移ることを促進する作用を果たしたと言えます。そこで忘れられていったのは、都心よりも北や東というか、台東区、文京区、中央区などの町人街で、明治の文人たちが集中的に住んでいた地域です。
近代の日本は西洋文明や欧米列強の圧力を受けながらも、植民地化されずに帝国になるというプロセスをたどってきたわけですが、西洋近代とこれほど格闘した国は世界にはありません。鷗外や漱石を筆頭とする知識人や画家や映画監督たちは、かつての江戸が生み出してきた文化の一番コアな地域、つまり、神田や上野、本郷、御茶の水、神保町といった地域に居住していましたが、戦後の歴史は、幕末から近代を通じた東京の歴史に背を向けて米軍施設からオリンピックへという流れをたどり、高度経済成長を成しとげました。しかし、東京のエッセンスは、文化的な中心が南や西に進んできたプロセスとは違うものの中にあるのではないかという気がします。とりわけ、人口減少期に入っていく社会の中で、東京が持っている本当の豊かさはどこにあるのかということを別の形で再発見していく必要がある。そしてこの近代日本の都市の文化資産の再発見というプロセスにおいて、地方の都市文化とオリンピックをつなげていく可能性が出てきているのではないでしょうか。
吉本:先生がおっしゃっている文化資源区というエリアですね。
吉見:文化オリンピアードをどうつなげるかというとき、都心の南や湾岸ではなく北の地域が大事だと思います。戦後、石川栄耀さんが戦災復興の計画を立てて東京にグリーンベルトとかプロムナードを造ろうとした時期がありました。それは挫折しますが、東京大学の総長だった南原繁さんや丹下健三さん、高山英華さんが中心になって本郷と上野と小石川一帯をつないで東京にオックスフォードをつくろうとしたこともありました。そこには、文化的あるいは学術的な資源が集中していたからです。こうして文化を軸にした戦後復興をやるべきだという流れは1940年代後半から1950年代初頭まではあったのですが、50年代後半の東京オリンピックから高度成長に入っていくと、日本の発展は経済によるしかないということになっていきます。
ちなみに、南原さんたちの計画では湯島がとても重要なエリアでした。つまり、上野は芸術空間、本郷は学術、小石川は娯楽などのエリアで、湯島がその中間ですから、そこを会議場や宿泊施設などの国際的文化交流地区にしようというものでした。
今でも海外のツーリストには谷中・根津・千駄木の生活文化が人気ですし、秋葉原は世界的に有名ですから、こうした地域をつないでいく発想は地方の地域文化を覚醒させることにも転用可能だと思います。
吉本:今後の文化プログラムを考えるときに重要なのは、東京の歴史性です。日本は西洋的な近代化と格闘し高度経済成長を成し遂げますが、その過程で見失ってしまった文化的な資源を再発見する、あるいは再定義して再利用していくということを今度のオリンピックを契機にやるべきで、先ほどの文化資源区にスポットライトを当てていくのは大賛成です。
吉見:東京の川も高速道路でふたをしました。このふたの下に豊かな水脈がある。
吉本:東京に暮らす人々の意識や価値観も、知らず知らずのうちに西洋的なものに染まっていった気がしますが、昔に返ればいいという話ではなく、そこをもう一度読み解いて新しく価値づけをしていくプログラムが必要なのではないでしょうか。
吉見:先ほど、オリンピックは人間の祭典だという話がありましたが、そこには人間の復興という意味もあると思います。つまり、高度経済成長期、ある面で開発が必要な時期はあったとは思いますが、経済、都市、公共事業、あるいは開発を自己目的化してしまったという面が強かった気がします。
われわれができることは、2020年のオリンピックを機会に過去を見直して価値あるものをもう1回表に引っ張り出すということです。私はそれを“リサイクル”と言っていますが、レアメタルやシェールガス同様、コンクリートの地面をはがしてその中に眠っている文化資源を復活させるプロセスとしてオリンピックを位置づければ、東京と東北がつながり、日本の文化的豊かさを再発見できるのではないでしょうか。
混沌と多様性への視点
吉本:文化や芸術の面で言うと、東京は世界でも際立っていると思います。とにかく、歌舞伎や能など日本の伝統的なもの、最先端のハイテク系のものやアニメがあり、世界一流のオーケストラや世界有数の絵画展が常にやってきますから、こうした多様な芸術や文化が同時に存在している都市はおそらくありません。
吉見:特に東京でおもしろいのは、ルーブルや大英博物館はないかもしれませんが、文化的な多様性が都市の中に多量に集積しているということです。食べものもそうですが、パリやロンドンやニューヨーク以上ではないでしょうか。その無数で多様な点をどうネットワーク化して面に展開していくかということがとても重要ですね。
吉本:世界の美術館の年間入場者数のランキングを見ると、やはりルーブルが約1,000万人で第1位、次が600万人のメトロポリタン、それから英国の大英博物館、テート・モダン、ナショナルギャラリーがそれぞれ500万人ぐらいの入場者数で続いています。東京国立博物館は150万人でようやく30位に顔を出します。それだけを見ると東京の文化力はまだまだという感じがしますが、トータルで考えたときには相当のパワーがあると思います。
吉見:文化オリンピアードというのは人をつないでいくのに適した仕組みです。大きな施設をつくるのではなく、いろいろな仕掛けを考えて人の回遊性をつくっていけるし、比較的近接していれば1日でいろいろな場所を訪れることができます。地方でも、北川フラムさんがやっている新潟妻有のトリエンナーレが世界的に知られるようになっています。東京の場合も、地域ごとの特性を生かしながら適切な形で全体の面をつくっていけば、この都市の新しい姿をアピールできるはずです。
吉本:東京の特色は、他の都市と比べると混沌としているということです。しかし、そこには見えないある種の秩序というかルールが隠されていて、それが東京を東京らしくしているようにも思います。この前、「海外に向けた都市広報を考える」という東京都の有識者会議がありましたが、そのとき外国人の記者たちは、人がいきなり動き出しても全然ぶつからずに無事渡り終える渋谷のスクランブル交差点の話に関心を寄せていました。確かに、東京という大きなエリアも目に見えない複雑で重層的なものでつながっていて、地下鉄網はその典型です。ニューヨークは縦軸1本で、パリやロンドンでも東京ほど複雑ではありません。つまり、われわれは日常的に混沌とした街を普通に使いこなしているわけです。
吉見:逆に、その混沌さを便利に使いこなすことによって、地表の構造を忘れてしまったとも言えますよ。
吉本:隠されてしまっているということですね。
吉見:普通はふたをして地下のものを地表から隠しますが、私たちは逆に、地下の構造によって地表の豊かさを隠している形になっているような気がします。そのことによって見えなくなったり失ったものが相当あると思いますから、人を地下鉄から地上に出すことが大事ではないでしょうか(笑)。
吉本:確かに、移動するときは、まず地下鉄や電車で行こうと思いますからね。
吉見:要は、秋葉原と神保町は別の地域として把握され、つながっている面だとは思っていないということです。例えば、東大のキャンパスから不忍池までは100メートルもありませんが、普通は、本郷三丁目や東大前の駅から地下鉄でぐるっと回って上野に行くという意識構造になってしまっています。便利になった交通機関の仕組みに依存しすぎて、何か大切なものを忘れてしまったのではないでしょうか。
期待されるオリンピックへの文化プログラム
吉本:そうなると、これまでの価値観を変えるというか、頭の中をリセットしなければいけないということになります。
吉見:自然の流れは便利な方向に行きますから、リセットする仕組みを工夫しなければなりません。そのためには、ハードからソフトに展開するのではなく、ソフトを優先させることによって新しい人の流れや生活の場、交流の場をつくり、そこにインフラ整備も媒介的に入っていくという都市計画が2020年に向けては必要とされているのだと思います。
吉本:実はロンドン五輪のとき、文化プログラムの一環としてロンドン市長の呼びかけで世界大都市文化サミットが開かれました。それは未来の都市政策を考えるときに文化が重要だということをアピールしようというものです。そこにはロンドン、パリ、ベルリンやニューヨーク、アジアからは上海、東京など12の都市が参加し、各都市の文化特性を事前にリサーチして比較しました。
そこで海外の方々が最も驚いたのは、東京の一般家庭に83万台ものピアノがあるということでした。俳句を楽しんでいる人、お茶やお花もあります。他の都市にもあるデータで唯一比較できたのはアマチュアのダンススクールでしたが、その数は東京がナンバーワンでした。つまり日本では、芸術は鑑賞するだけのものでなく、自分自身で芸術活動を行うプロ顔負けの人が大勢いるという事実が、他都市にはない特性として浮かび上がりました。明治以降、西洋文化の仕組みが導入されて立派な博物館ができると、芸術はありがたく鑑賞するもの、という考え方が優先され、市民の芸術活動はあまり評価されなくなりました。そこにもう一回スポットライトを当て、日常生活の中に文化や芸術が根付いた日本人のライフスタイルを海外にアピールできないかと思います。
吉見:今、参加型の文化・芸術活動のポテンシャルは相当上がっています。とりわけ、60代から70代はとても元気ですから、そこにたまっているエネルギーにどう形を与えていくのかが重要です。そのエネルギーを、ダンス教室や音楽教室、カラオケだけではなく、むしろ「書を捨てよ、街へ出よう」「街を変えよう」という仕組みをつくるムーブメントに展開させていくことで、今までとは違う都市の形成力が生まれ得るのではないかという気がします。
吉本:パソコンで「高齢者」と「劇団」というキーワードを検索するとたくさんの事例が出てきます。お年を取ってから演劇や音楽など好きなことを始めた方はとにかく元気です。日本が超高齢社会になって人口も減るということは、マイナスのイメージを持ちがちですが、文化にはそれをプラスに転じる強力な力があります。私が漠然と思っているのは、お年寄りが歌を歌ったり芝居をしたり、市民マラソンや富士登山に参加するなど、今度の五輪で、文化とスポーツが日本の高齢社会を支えているという成熟社会の新しいモデルを世界に提示できないかということです。
吉見:高齢者オリンピアードですね(笑)。
吉本:ロンドンではアンリミテッドというパラリンピックと関連した障害者のアートフェスティバルが開催され、重要なレガシーとなっています。東京もそれを継承すると宣言していますが、そこに高齢者も加えるべきだと思うんですね。
吉見:成熟した人口減少社会における豊かさをどう形成し、東京や東北の未来にどうつなげるか、文化プログラムの中身によって2020年東京オリンピックの評価も決まってくるような気がします。
吉本:前回の東京五輪では、東洋の小国が驚異的な経済成長のモデルを世界に示し、多くの国々に夢を与えることができました。でも今回は、超高齢化と人口減少を受け入れながら、どんな未来像を示すことができるかが私たちに問われています。オリンピックは人間の祭典ですから、日本人の暮らし方の奥にある価値観や文化、その根底に潜む伝統や歴史を再発見する文化プログラムを通じて、その答えを示せればいいと考えています。
吉見:その辺の議論をどんどん行っていきたいですね。ありがとうございました。
〔 完 〕
※全文は吉田秀雄記念事業財団のサイトよりご覧いただけます。