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電通報ビジネスにもっとアイデアを。

新明解「戦略PR」No.19

あなたにとってバナナは何色? ~人それぞれの価値観を想像してみよう~

2015/01/26

新年あけましておめでとうございます! 年末の掲載でシリーズ終了かと思いきや、いやはや根強いファンが少ーしだけ残っているようでして、今年もしばらく書き続けていくことと相成りました。そうです、新明解「戦略PR」シーズン2スタート。ナビゲーターは「PRに精進してはや二十数年」、バブル入社組の私、井口が務めさせていただきます。今年もどうぞ「よろしこ!」です。引き続き「頑張っていきまっしょい!」(最近、古いフレーズが頭を頻繁によぎるのですが、私、どこか不具合があるのでしょうか。気になります…)。

PRのセミナーやらレクチャーやらで色んな所を回っておりますと、皆様から実務というか心構えというか…さまざまな質問をいただきます。今回から、その質問に答えていきたいと思います。題して「不思議に思ってたそこんとこ、いのっちに聞いてみた!」です。

さて、一番多い質問とは何でしょうか? これは、クライアントさんでやる勉強会よりも、実はPRや広告関係の業界若手の集まりで聞かれることが多いのですが
「で、あんたはいつもPR視点ってのを導き出すのに、どんなことやっとるん? もったいぶらんと、おせーてちょーよ!」
というもの。
「いやー、そんなに意識してないっすよ。もうね、ぱっと自然にひらめいちゃうっていうかー!」
と、天才肌風に答えたいところですが、これはね、実はもう血のにじむような努力の成果なんです。ほんとはね、教えたくないんですけど、新年の1発目だし、なんとなくめでたいから、教えちゃおうかなぁ。どーしようかなぁ…(あ、今年の誓いは優柔不断をやめる、だったんですけど、また三日坊主の様相ですね)。

PRでは、ターゲット周辺を巻き込む情報発信を心がける

前提として広告とPRにおけるターゲットのお話を。コアターゲットにビシッと刺さるエッジーな情報発信が広告的アプローチとすれば、PRはターゲット周辺の生活者における話題感をつくる役割が重要ではないでしょうか。ターゲット周辺をざわざわさせて、関心を高め、購買意欲が頭をもたげたところで周りから一気に背中を押してやる作戦です。そしてこのときに必要なのが「コアターゲット周囲の生活者」の心をいかに読めるかということ。広告は一貫してメーンターゲットのインサイトを突き詰めて作られますが、PRはもっと多種多様な属性の生活者の関心を同時に高めていくことを考えねばなりません。

例えば若手ビジネスマンをターゲットにした商品やサービスの場合、まず私は彼の周辺の生活者を想像していくのです。彼女はいるのかな? 結婚してるのかな? 子どもはいるのかな? 実家の親は干渉するタイプかな? 職場の仲間はどんな感じかな? 学生時代の友達との交流はまだあるのかな? 先輩や後輩とのつながりは強いのかな? 師匠と仰ぐ人は居たりするのかな?などなど。そして、それぞれの人が実際にこの商品やサービスをどのように若手ビジネスマンにリコメンド(推奨)したら、欲しいな、買ってみたいな、と心を動かすのか。その「リコメンド・メッセージ」を探すのです。

彼女に「やっぱ、あれに興味ある人ってセンスあるよね!」とか、後輩に「あれに詳しい人は、いつもカッコイイと思ってしまうっス!」とか。あるいは子どもに「あれがうちにあったら友達に自慢できるよなー!」とか、実家の親御さんから「孫の○○には、あれくらいのもんは買ってやってくれよ、金なら少しは負担するよ!」などなど。センスを褒められる、尊敬される、子どものポジションが上がる、親がお金を出してくれて助かるなど、受け取るメッセージによって自身のベネフィットが違ってますよね? どーしよっかなぁ、と迷っている優柔不断なその人に、最後の一歩を踏み出させる言葉を「誰に投げかけたら一番効果的なのか」を常に考えるのです。さらには、そういった人々が「リコメンド・メッセージ」を思いつくときに、どんな情報接触をしているかも考えていきます。

しかしこれって、あらゆるターゲットが想定されますし、そのメディア接触も多種多様なはず。まさに終わりのない推論の積み重ねですよね。それって意味があるの?と言われてしまいそうですが、でも今こういう取り組みが必要となっているんです。よくコミュニケーション施策の提案時に、仮説のゴールを設定し、そこへの道筋をそれらしく見せてやるとなんとなくそれが正しく思えてしまうんですが、それってほんとに課題に対する正答と言えるのでしょうか? 実際のところ正しいかどうかはわからないが、手がかりを見つけながらそこに一歩一歩近づいて行くというのがPRの醍醐味なんじゃないかなって最近感じるんです。そこが「PRってアンコントローラブルだよね」といわれるゆえんかと。

だって、ターゲットがよく接触しているメディアにおいて、ターゲットが好みそうなこの言葉を投げかければとりあえずは反応してくれるんじゃね? ってのは、反応は確かにあるかも知れないけど情報接触させるだけですよね。こういった提案は、ある種ロジカルに見えるんだけれど、そもそものターゲットインサイトやメディア接触ルート、メディア効果などの基本要件がムッチャ変わってきているこの時代に、果たして適しているのかどうか。一方PRでは常に投げかけた後の変化を観察して、その表情から効果を測定、次の打ち手を考えるわけです。少なくともリアルタイムに常に課題を検証しながら目的に向けた活動ができる。めんどくさいんだけど、その変化を理解しながら活動を自分なりに客観視していくことが、現在のコミュニケーションで求められているのではないかと思うのです。そしてそのプロセスをクライアントとも共有していくことが重要なのです。

広告は「演繹法」、PRは「帰納法」?

言い換えてみると、これは数学の証明問題などで使われる「演繹法」「帰納法」の関係にも似ています。「演繹法」とは「一般的に成り立つ命題から、ある特定の命題を導き出す方法」で、元の命題が正しい限り「演繹法」で導き出された結論はつねに正しいわけです。世間的にこういうことが常識なんだから、これと同様のこれら個別案件もきっとそうに違いないよね! ってなこと。大きな傘で捉えた常識をベースに「これもきっとそうだよね、そりゃそうだろう」と推論するやり方。で、これならみんな納得だよね、と収まる。

一方の「帰納法」は、「個別の観察から、すべての場合にあてはまる結論を見いだす」というもの。実はこちらの場合は、「個別の事実関係は正しいが、全体については推論の域を出ず」ということが多く、最終的にその推論が正しい場合もあれば、間違っている場合もあり得るのです。「帰納法」は、「常識」という大きな傘がそこには存在せず、あくまで現在のファクトを並べてみてから、その兆候を大くくりにし顕在化してみるという取り組みなんですね。

これってなんか広告とPRの関係に似てませんか?(広告こそ帰納法という方もいらっしゃるかもしれませんが…)。もちろん最終的に結論を間違うことは避けたいところですが、予定調和っぽいやり方よりもイマイマの個別の観察をベースに推論を積み上げていく方が実はリアリティーがあって納得度も高いのかもしれないと最近思うのです。

いかにいろんな人の目に成り代わってモノゴトを見ることができるか

では、日々PR視点を磨くには何をすべきなのか? 私自身がやっている方法は至極簡単です。私が常に行うセルフトレーニングが、「一つのニュースをいろんな属性の目で見てみる」ことです。ある程度話題になった事象や製品など、それが様々な属性の生活者にどう見られているかを探るのです。さらにこれを効率的にやろうとすれば、彼らの情報のより所となるメディア属性ごとに、それがどのような形で扱われているかを比較するのです。

たとえば、大ヒットしたAという製品の評判を各属性の生活者目線で見比べてみます。ビジネスマンを中心に大ヒットしたというこの製品は、このビジネスマンが読む新聞やビジネス誌ではどう評価されているのか、どこがポイントとなっているのか。はたまた主婦目線で見たときどこが評価され、どこが物足りなく映っているのか、シニアにとっては必要なものか、若年層にとって購買意欲をかき立てるものなのか、首都圏ではヒットしそうか、地方でも売れるのか、などなど。バナナのようなコモディティ商品も、そんな目で見ていくと面白いかも知れません。バナナと言えば栄養価が高く消化にいいフルーツとしてもはや説明のいらないものだと思いますが、スポーツ選手にとってはフルーツというよりもエナジー補充食品としての価値が高かったり、昨今で言えばダイエット用の食品としてのポジショニングがフィーチャーされたり。はたまた昭和の方々には(私もそうですが)少し懐かしい、ノスタルジーあふれる思い出深い食べ物だったり…。

このように、ひとつのモノを360度角度を変えて見ていくとそれぞれの評価基準の違いがおもしろく浮かび上がってきます。すべての層に100点満点のものなどはなく、でも何点ならそれを購入してもよいとそれぞれが思うのか、そういった部分をこれらの情報を並べながら想像していくことで、あたかも各属性の目を通した評価が自分の目を通して見えてくるような気持ちになってくるのです。

ある企業には「販売のプロではなく、プロの消費者たれ」という訓示ありますが、さらに消費者/生活者を細分化し、それぞれの生活者視点でその製品の評価、あるいは情報の受け取り方を想像していかねばならない時代だと思います。ときに別人格になって物事を見てみる。今年は、そんな「なりきり能力」といったところにPRパーソン的な優位性が打ち出せるようになるんじゃないかなぁ…(羊の年男の夢想より)。