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【続】ろーかる・ぐるぐるNo.17

ぐるぐる思考 発見!モード①(それは整理)

2013/10/24

これぞポルチーニのパスタ!
これぞポルチーニのパスタ!

勤続20年の休暇はローマからトスカーナへ。1週間ほどの滞在中、夜な夜な下町の居酒屋に繰り出して塩っけの利いた料理で安ワインをぐびぐび。オステリアの店頭にも誇らしげに飾られる秋の味覚、ポルチーニ茸をソテーで、マリネで、フライで、パスタで、リゾットで。再び夜に備える腹ごなしに昼間は古代ローマ遺跡やレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエッロもずいぶん観たけれど、会社生活に戻って思い出すのはあの皿、この皿、料理のことばかり。極めつけはポルチーニ入りのオーソブッコ(子牛の骨付きすね肉煮込み)。嗚呼、ぼくの「2013年 肴オブ・ザ・イヤー」はきっとこれに決まりでしょう!

さて、ヒトとモノ・コトの新しい結びつきを求めて七転八倒、ありとあらゆる可能性を考え尽くしたら、次は「発見!モード」。ぐるぐる思考の目的である「アイデア」を手に入れる瞬間がやってきます。

これに関する世界一有名なエピソードは「ユレーカ!」でしょう。紀元前3世紀、古代ギリシャの物理学者アルキメデスが王であるヒエロン2世から「この冠が純金製か、混ぜものが入った偽物か調べるように」と命じられて悩んでいた時のこと。湯船からあふれる水を見て「ユレーカ!(Eureka/分かった)」と叫びながら裸で街中を走りまわったという、あの逸話です。

この感動的なアイデア発見の瞬間を「ひらめき」と表現することもありますが、それだと少し運任せで感覚的な印象を与えそうです。「天啓」だと自己の外部から与えられるイメージがあります。しかしぐるぐる思考ではアイデアを発見する瞬間の本質を「整理」だと考えています。

 

ジョーシキ的なやり方では、プロセスの前半で正しく調査分析して導き出された「正しい方向性」に対して、後半にアイデアでジャンプするのでしょう。これに対しぐるぐる思考の前半(感じる&散らかすモード)は身体的、感覚的です。そこから一転、論理的整合性を追求するのが「発見!モード」なのです。

目標に向けて課題を解決する新しい視点として定義される「アイデア」は、右にあるような3つの(最終的には「磨くモード」を経て4つの)フレームで整理することができます。下の箱が上の「手段」として、上の箱が下の「目的」として機能することで3つの(4つの)箱はつながっています。いままで感覚的でなんとなく曖昧だったことがこのフレームで論理的整合性を説明できる、ということこそが発見!モードの正体です。

ただ人間の脳みそというのは面白くて、実際にアイデアを見つけた瞬間の感覚は「見えた」「抜けた」という感覚的なものです。その原因は、散らかすモードであれこれつくった組み合わせを脳が無意識に判別していく結果、意識的には理性的な整理が自覚されないからなのでしょう。

脳科学者の池谷裕二さんによれば脳は「(眠って夢を見ている間に)情報を整理しています。睡眠は、きちんと整理整頓できた情報をしっかりと記憶しようという、取捨選択のプロセスなんです」iということです。

宋(中国)の欧陽脩という学者はアイデアを思いつく場所として馬上(移動中)、厠上(トイレの中)とあわせて枕上(布団の中でうとうとしている時)を挙げています。これも意識と関係なく整理を進めてくれる脳の働きに関係しているのでしょう。

よく「ようやく見つけた!」と思った「アイデア」が、しばらくして見返すとどうもただの思いつきでしかないということがありますが、それは脳みその早とちり。きちんとしたアイデアを手に入れたければ粘り強く理性的に、目標と課題とアイデアが、それぞれ論理的に結びついているか、しっかり検証しなければなりません。

ここで自分を甘やかし、曖昧な思いつきのまま次に進もうとすると後々痛い目にあいます。実際このエッセイも、遊びに行った「古代ローマ」遺跡とアルキメデスの「古代ギリシャ」の話が「なんかうまくつながらないかなぁ」という希望的な観測で筆を進め、結局バラバラなまま編集部に提出です。ちゃんとした見通しを立てないとダメですよね。担当の中島さん、ごめんなさい!

次回は気合を入れ直して、引き続き「発見!モード」です。

どうぞ召し上がれ!

池谷裕二・糸井重里『海馬』新潮文庫、2005年より抜粋。
 
これはボリート(茹で牛肉)。ホント食べただけの休暇でした
これはボリート(茹で牛肉)。ホント食べただけの休暇でした。