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共創2015No.3

神山プロジェクトに見る

「ソフトなリーダシップ」のコ・クリエーション

2015/03/16

「コ・クリエーション(Co-Creation)」とは、多様な立場の人たち、ステークホルダーと対話しながら新しい価値を生み出していく考え方のこと。「共に」「創る」の意味から「共創」とも呼ばれます。電通とインフォバーンが運営する共創のポータルサイト“cotas(コタス)”では、3回目となる、優れた共創の事例を顕彰する「日本のコ・クリエーション アワード2014」を開催しました。当連載では、受賞事例や審査員の視点を通じて、共創のトレンドやムーブメントを読み解きます。

シリーズ第3回は、アワードのベストケーススタディ5事例のひとつ「神山プロジェクト」から、NPO法人グリーンバレー理事長の大南信也さんにお越しいただきました。

徳島県・神山町の「神山プロジェクト」は、地方創生の象徴的なプロジェクトとして、昨今、数々のメディアに取り上げられています。過疎化の流れに逆らわず、減りゆく人口のなかで健全な姿を探る「創造的過疎」を目指して、1999年に芸術家が滞在し作品をつくる「アーティスト・イン・レジデンス」を核としてスタート。以降、そのコンセプトをアーティストから「ワーク・イン・レジデンス」に広げ、さらにはITベンチャー企業のサテライトオフィス誘致を行うなど、2011年には転入者が転出者を上回るという成果を上げています。

その神山プロジェクトについて、審査員で株式会社フューチャーセッションズ代表の野村恭彦さん、電通総研の村越力さんが聞き手となって、コ・クリエーションの側面から語っていただきました。

神山プロジェクトホームページ
神山プロジェクトホームページ
大南さん(左)と野村さん
大南さん(左)と野村さん

未来から逆算してあるべき姿を考える

村越:今回のコ・クリエーションアワードでは、3年目にして企業や自治体が本腰を入れて取り組んでいる様子が顕著に見えてきました。人々が領域や立場を越えて連携する場も拡大しており、医療現場の改善やダイバーシティの実現などの困難な社会課題にも共創という手法が注目されていると感じています。

大南:私が理事長を務め、徳島県神山町に本拠を置くNPO法人グリーンバレーは、2004年の設立ですが、実はその前身となるプロジェクトがありました。1927年、友好親善の目的でアメリカから日本に1万体を超える「青い目の人形」が贈られました。全国各地の学校などに飾られたのですが、戦争が始まると「敵国の人形だ」ということで、ほとんどが壊されてしまいました。

ですが、その人形のうちの1体が私の母校の小学校に残っていることをPTAの役員をしている時に知りました。その人形をアメリカに里帰りさせようというプロジェクトをスタートさせ、1991年に実行委員や子どもたちを含む30人の訪問団が人形を連れてアメリカまで行きました。地元の新聞にも大きく報道され、熱烈な歓迎を受けました。その訪問団のうちの5人が、僕も含めて今のグリーンバレーの中心メンバーになっています。

大南信也氏

この青い目の人形里帰りプロジェクトを成功させた体験が自信になり、仲間でいろいろと地域活性化の取り組みを仕掛けていきました。ですが、なかなかうまくいきませんでした。 もう自分たちでは無理なのかなという雰囲気になりかけていたころ、徳島県が10年計画の中で国際文化村をつくるというニュースを知りました。「これは、いずれ地元住民が管理運営するようになる」と思ったので、県に任せきりではなく、自分たちの要望を取り入れてもらおうと県にいろいろ提案したのです。このとき町や地域活性化に対する考え方が見えました。これが神山プロジェクトがスタートした経緯です。

人形の里帰りのようなプロジェクトを続けていくことで何かが生まれるはずだと考えていましたが、そうではなく、10年後、20年後にどうなりたいか、自分たちの地域をどうしていきたいかを考え、未来から逆算して考えることが重要だと気づいたのです。当時30代後半で「変わり者」と呼ばれたグリーンバレーのメンバーが、20年後、商工会の会長になっていたり、神山の核となっています。この町のベースが他の自治体とは違うと感じています。

 

ソフトなリーダーシップで皆が主役に

野村:神山のコンセプトが世の中に受け入れられていった背景はなんだとお考えですか?

大南:国際文化村では環境と芸術の2つの事業を展開しました。環境は、区域ごとにボランティアで清掃事業を行っていきました。よその人が神山に来たときに、まず、気持ちよさを五感で感じていただける町にしたいと考えました。そのためには道路などにゴミが落ちているようではいけません。次に芸術の面では、「芸術家村をつくってみたい」という夢を持っていた人が神山にいたので、「アーティスト・イン・レジデンス」という、アーティストを町に呼んで作品づくりを支援する取り組みを始めました。有名なアート作品を町につくってもらって人を呼び込もうという取り組みだと、定期的に新しい作品を加えていかないと人が来なくなります。そうではなく神山は「アーティストが作品をつくりに来る場所」にしたのです。そうすると一時的な滞在ではなくアーティストが神山に移住してくるなどの変化が起こってきました。

こうした取り組みを何年も続けて、いろいろな問題はもう克服したと思っていると、なぜか必ず、別の課題が出てきます。問題として見えているのは、常に氷山の一角というわけです。ですが、それを苦にせず、問題を楽しんでやっつけてやるという気持ちで向き合ってきました。

野村:問題を解決するプロセスで、良いチームができますよね。

大南:自分たちでは解決できなくても、ネットワークの中の解決できる人に問題解決をお願いしようという体制ができています。

村越:「変わり者」と呼ばれていても、続けていればこうやって活躍できるようになるのですね。

大南:当初は親世代とはなかなか話が合わず、うまく進まないこともありました。ですが、ある女性メンバーが親世代を説得して、親世代とわれわれの世代とでアイデアを出し合う場をつくってくれました。みんなが活躍できる場を新しくつくってくれたのです。

野村恭彦氏

村越:古いリーダーシップを取り払い、新しいリーダーシップを発揮してくれたわけですね。

大南:その意味で神山のリーダーシップは特異かもしれません。「浮遊するリーダーシップ」と呼んでいますが、あるプロジェクトでは全体を見て統率をとっている人物が、他のプロジェクトでは別のリーダーのもとで動いている。みんなが適材適所でカバーし合いながらリーダーシップを発揮しているわけです。お互いが得意分野でリーダーシップを発揮し、そうでない分野は無意識にカバーし合っているうちに共通感覚ができあがっていったのです。

村越:チームスポーツみたいですね。

大南:ソフトなリーダーシップとも言えます。このリーダーシップのあり方が、やる気のある人たちを引き寄せ、誰でも主役になれるという空気感になっていると思います。

できないことは、できる人に託す

村越:皆がリーダーシップを発揮するというのは、別の言い方をすると総力戦とも言えますね。

野村:プランナー思考とも言えそうです。優秀なプランナーはアイデアを考えついたあとは、それを実行するための人材を集めます。自分ひとりでできると思ってはいません。そうしたプランナー思考を可視化しているのが、私が取り組んでいるフューチャーセッションです。 フューチャーセッションとは、専門家だけでなく広範なステークホルダーが集い、参加者自身が目的を創り出して主体的に実行することを促す創意形成の場です。ここでは、いろいろな人にインタビューしながら、課題解決のために、まず問いを設定します。 例えば、村越さんにも参加していただいている「子育てしやすい環境をつくろう」というテーマの会議があります。その会議を「子育て会議」と名づけてしまったのでは、子育て関係者しか集まりません。それを「子どもが真ん中で輝く社会をつくろう」というテーマの会議にすると、いろいろな人が集まります。多様な人を集めて、お互いを理解し合うために対話をして、そこから生まれるリーダーシップをサポートしていく、それがフューチャーセッションズの取り組みです。

村越:今、大南さんと野村さんの話を聞いて、私の仕事の進め方が間違っていたことに気づかされました。「自分たちだけではできないから、助けてほしい」という姿勢でいろいろな人を巻き込んでいくことがポイントですね。これからは「ソフトなリーダーシップ」を意識しなければ。

大南:自分たちの力に対する思い上がりをなくすことが大切です。自分たちの力はわずかなものなのだ、限られたものなのだと認識すると事態が好転していきます。

村越力氏

村越:できないことを知っている人は、できる人を探す力を持つことで何でもできるようになるというわけですね。

大南:そうですね。それからわれわれは、目標実現のための計画を1本の線で考えません。行政の弱いところは、5年計画、10年計画と一本の線を引いてしまうことです。計画ですから、うまくいかないこともあります。でも線を引いてしまっているから方向転換できずにひたすら進んでしまう。われわれは、目指す方向はある程度絞りながらも、複数の案をあみだくじのようにつないでおきます。分岐点で方向転換が必要なときは、ためらわずに横にシフトします。いくら振幅があっても、目指す方向は絞りこまれているので問題ありません。目標に向けて最適なルートを取るために方向転換を連続的に繰り返すのです。

 

“隙間”がいろいろな人を集め、多様性を生み出す

村越:それにしても、神山には、なぜこんなにも若い人が集まるようになったのでしょうか?

大南:日本の地方を見たときに、多くの場合「誰でも来てください」と入り口は広いものの、実は入ってみたら、目に見えないルールや決まりがあります。神山は逆です。「こういう人に来てほしい」と入り口を狭くしました。でも、入ったら中は広くなっていて、好きにできるようにしています。他の町とは違う雰囲気が充満しているので、若い人にとって心地よいのではないでしょうか。

野村:ほかの地域も、外からやって来た人が活躍できるようになっていくでしょうか?

大南:そうなっていくと思います。住民も、地域も、適者生存です。弱肉強食ではなく、環境に適応した人、地域が生き残ります。伝統を守るために「自分たちは変わらないで、後から入ってきた人たちには変わってもらう」という社会では居心地が良くありません。そこを変えたことが、グリーンバレーが町に最も貢献したことだと思います。
30年前の神山は、一度外へ出たら帰ってきたいと思わなくなるような窮屈な場所でした。その中で、手足が伸ばせる場所にするために、グリーンバレーのメンバーが「変わり者」と呼ばれながらも、少しずつ枠を拡げ始めました。すると、町の中に自由に活動できる居場所、隙間ができたのです。その隙間が、移住者やITベンチャーにとって心地よい場になった。田舎のコミュニティーの悪いところを消して、いいところを残していったのです。

野村:課題解決だけではなく、隙間の中でやりたいことが実現できる場にすると、楽しい地域になっていきそうですね。地域の余白で活躍したい人も増えていると思います。

大南:高度経済成長期以降、日本は東京にヒト・モノ・カネが集中することで発展を遂げ、生活はどんどん便利になっていきました。しかし、東京はもう窮屈になってしまった。便利さを求めれば求めるほど、生活が窮屈になっていく。そう感じている人が増えているのではないでしょうか。地方に新しい可能性が生まれ、東京から地方に人が移れば、東京にもさまざまな人が活躍できる隙間ができます。そして隙間ができることで、これまでとは違うフェーズが見えてくるかもしれません。

大南信也氏

野村:便利だからといって人生が豊かになるわけではありません。人が集中した窮屈な場所では、やりたいことができなくなってしまいます。2020年までに、さらに東京に集中させてしまうと、その後、新たな未来が花開くのか、崩壊してしまうのか、重要な分岐点に差し掛かっているのではないでしょうか。地方が面白くなって、面白い人は地方でこそ活躍できる、そんな流れになるといいですね。

大南:そのためには、多様な生き方を見せられる人が出てくる必要があります。一昨年、神山にビストロがオープンしました。冬は暇になるかな、大丈夫かな、と心配しましたが、大変繁盛しています。そうなると私を含めて普通の人の感覚では、もっと稼いで、借金を早く返して、うまく行ったら2店目をオープンして…と考えますが、彼らは違いました。 9月に1カ月お店を休んで、全員でバカンスを取ってフランスに行ってしまいました。お店で出すワインを仕込みに行ったのです。周りの人間はびっくりしたのですが、いろいろな人が、いろいろな生き方を見せることで、町に多様性が生まれる。ユニークな人が増えれば、町がさらに面白くなっていきます。

村越:隙間をつくること、隙間がいろいろな人を集め、そこから多様性が生まれていくこと。地方活性化に限らず、企業のあり方やひとりひとりの働き方の大きなヒントをいただいた気がします。本日はありがとうございました。