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デジタルの旬No.15

本の書かれ方・読まれ方・
作られ方が変わり、
やがて社会が電子書籍に追いついてくる
~ボイジャー 社長 鎌田純子氏

2015/05/18

デジタルの旬

「電子書籍元年」と言われてから既にしばらくたつが、さまざまなデバイスやプレーヤーも出そろい、コンテンツ数も充実してくるなど、もはや電子書籍は定着の段階に入ったと言っていい。一方でまだ課題も多く、未開拓の可能性も眠っているように思える。今回は、「ミスター電子書籍」と呼ばれた萩野正昭氏と共に黎明期の日本の電子書籍業界をけん引してきた、ボイジャー社の鎌田純子氏に話を伺った。
(聞き手:電通デジタル・ビジネス局 計画推進部長 小野裕三)


電子書籍が「ガラスの下の印刷物」と揶揄されない面白さを目指す

──ご自身の、デジタルやインターネットの出合いと、その時の印象について教えてください。

鎌田:大学卒業後、映像関係の仕事に就きたいと考えていた私は、パイオニアが1981年に設立した「レーザーディスク株式会社」に運良く入社しました。そこで後に日本のボイジャーの創業者となる萩野と出会いました。その頃のレーザーディスクはハリウッド映画やミュージックビデオが売れ筋でした。しばらくしてレーザーカラオケが登場し、レーザーディスクビジネスの主軸となりました。私は、これらではない「その他」とくくられる作品を扱うちょっと変わった部署に所属しました。

当時、レーザーディスクの持っている中途半端なデジタル性がすごく好きでした。中途半端とはどういうことかというと、技術が未熟であるがゆえに口で説明することができるのです。例えば、レーザーディスクプレーヤーにコンピューターを接続してコントロールする場合、まずケーブルでつないでコンピューターから信号を送ります。それを受け取ったプレーヤーが一つずつディスクの番地を探してゆっくり一枚ずつ送り出し、送り出しが完了したらその信号がコンピューターに戻されてようやく次の信号を送るわけです。このような未熟なスピード感が、人にとってはとても重要なんですね。作品をつくる時に口で過程を言えるということはとても大事なことです。

──米国のVOYAGERとのジョイントで日本のボイジャーを立ち上げた当時は、アップルコンピュータのソフト「HyperCard」を使って開発をされていたそうですね。

鎌田:HyperCardは当時のマルチメディアの中心的な存在でしたが、これによってプログラムというものに対する感覚が変わりました。アクションを言葉で制御することができるので実は文系的で、HyperCardを使うことでプログラマーがいなくても作家と編集者が自由に創作できたのです。

その頃米VOYAGERは HyperCardを使ったマルチメディア作品を手掛けていましたが、英語版のまま日本で売るには限界がありました。それで日本向けの商品として電子書籍「エキスパンドブック」を作成するツールキットを、日本のボイジャーから出しました。それが私たちの電子書籍ビジネスの原型です。さらにエキスパンドブックもいろいろ出しましたが、一番売れたのが新潮社の「新潮文庫の100冊」です。100冊分をひとつにまとめて電子データ化したものが、単価1万5000円で3万部売れました。それだけの規模の市場がその当時からそこにあったということですね。当時はCD-ROMを用いてパソコンの画面で読む形態でしたが、文字が大きくて読みやすいという予想外の反応もありました。

鎌田純子氏

──ご自身では、最初は映像に興味があったということで、本をつくりたいからではなく、どちらかというと映像やマルチメディアの方から電子書籍に入ってきたという感じなのですね。

鎌田:本が好きだからボイジャーをつくったということではないですね。でも、マルチメディアをやっていると、文字がないことにすごく不自由を感じます。映像で見せきれない部分を埋めることができるのが、文字です。映像で語りきれないと「やらせ」とかをやりたくなる人もいるのでしょうが、そうしなくてもよい唯一の方法は文字を使うことです。

──当時のエキスパンドブックをあらためて見てみると、ページをめくる時にシャリという音がしたり、中扉で音楽が鳴ったりしますね。最近の電子書籍にはそういうワクワクするような仕掛けはあまりないので、新鮮に感じました。現在の電子書籍市場は活況ですが、既存の出版社が時代の要請でやっているみたいな雰囲気も見えて、以前のマルチメディアが持っていたようなワクワクする感じは乏しいです。

鎌田:そうですね。本のページをそのまま電子化するだけでは、そこから次の新しいものは生まれにくいでしょう。大手の出版社は電子書籍を「権利」として扱い、そこから利益を生み出そうとしています。本がさまざまなデバイスで読めるようになったことは大きな進歩ですが、今の電子書籍は「ガラスの下の印刷物(Print under glass)」と揶揄されることもあります。私たちは、映像や音声をもっと活用するなど、電子書籍だからこそ初めて可能になるような原点回帰したところにある面白さを目指しています。

検索に慣れた世代によって、やがて社会が電子書籍に追いついてくる

──電子書籍の登場によって書店で紙の本が売れなくなるという危惧もよく耳にしますね。

鎌田:電子書籍が登場するずっと前から、本は売れなくなってきています。かつては書店でしか買えなかった本が、駅のキオスクやコンビニでいつでも買えるようになり、回転率のいい本が書店で売れなくなりました。さらに海外からEコマースもやってきて、人は便利な方へと流れていって、書店が減っていったわけです。

──電子書籍そのものに対する批判もあります。例えばよく言われるのが、紙の本にはフェティシズムがあるが、そういう紙の本に対する愛着のようなものが電子書籍には湧かない、と。それから、電子書籍は読んだ内容が記憶に残りにくいという指摘もあり、確かに一理ある部分もあると思います。

鎌田:私も紙の本は大好きです。でも結局は慣れの問題で、電子書籍も使っていれば慣れるのだと思います。それに、電子書籍だと気になる部分がどこに書かれていたか検索できたり、欲しい時にすぐに入手できたりします。そういう簡単さ・便利さがどこまで必要とされるかによって、電子書籍の割合が増えていくのだと思います。また、紙という物理的な形式を取っていないと記憶に残りにくい、ということは確かにあるかもしれません。ただ、検索に慣れている今の若い世代が社会の中心になったら、それも変わるのではないでしょうか。教育の現場においては、検索の能力がこれからますます重要視され、検索した結果の物事を組み合わせて論理立てて説明することが教育の根本になるような気がします。

──ネット化やデジタル化は人間の想像力を減退させる、とも指摘する人もいます。例えば電子書籍に映像や音楽がつくことで逆に読み手の想像力を狭めてしまう可能性はないのでしょうか。

鎌田:電子書籍において、例えば文字に音声や映像がついたことで想像力が限定されてしまうことは、まずないと考えています。ただ、電子書籍以外の、例えばゲームなどは影響があるかもしれませんね。制作者が決めたルールに体をいかに合わせていくかという思考になるので、想像力を奪っていく可能性はあるでしょう。

──電子書籍には、これまで世の中に出せなかったものを出すことができるメリットがある一方で、まさに「悪貨は良貨を駆逐する」という感じで全体的なレベルが下がってしまうという批判もあります。

鎌田:電子書籍だからレベルが下がるということではないと思いますが、確かにどんなものでも出せてしまうということはあるでしょう。また、ネットだからそのような作品を見つけられてしまうということもあります。社会が変わっていく中で、教育や根本的な部分が追いついていない感覚があって、そのあたりのリテラシーはこれからではないかと思います。

──「ミスター電子書籍」とも呼ばれる日本のボイジャーの創業者・萩野正昭氏は業界の先駆者ですが、「電子書籍を、地道な庶民のメディア、また、困難な中にあっても声を発する手段だと考えてきました」と発言されていて、そういう小さな声をすくい取るという思いが強いようですね。ボイジャーとして電子書籍に取り組んでいる姿勢や考え方とはどのようなものでしょう。

鎌田:これからの電子書籍にとって必要なキーワードは、「eBooks」のローマ字を頭文字にして、Eternity(永続性)、Borderless(国際性)、Open(オープン)、Originality(オリジナリティー)、Knowledge(知識・情報)、Social(ソーシャル)だと考えています。まずは永続性を考えなければいけないし、また、もともとのマーケットが小さいので読者をみつけるためにも国際性が必要です。そして、何よりも重要なのは、オリジナリティーと知識・情報が詰まった本をつくることです。

「ディスラプター」(創造的破壊者)という言葉があります。ニューヨーク・タイムズ社が今後の経営を議論し分析した「Innovation」という内部資料にもこの言葉が登場しますが、改革によって最初に登場するのは安っぽく質も低いものだが、どこかの段階で許容される品質になる、その時に重要となるのがその品質を維持するために必要な顧客数である、ということが示されています。ボイジャーは、そのような小さい規模を支えるために出版にこだわり、仕組みやツールをずっと提供してきているのだと思っています。

2014年からRomancer(ロマンサー https://romancer.voyager.co.jp)という電子出版サービスを始めました。プロ向けであればDTPファイルを電子書籍ファイルへ変換するということになりますが、個人向けではそれは逆に不便だろう、誰でも使えるWordを変換マスターに使えないかというアイディアを元に開発しました。Wordファイルの原稿から電子書籍として発表するところまで、5分で行けます。原稿にインターネットの映像、音声、イメージへのハイパーリンクを入れておけば、文字だけで説明する不自由さをシンプルに解決することができます。あまり無理して変わったものを追い掛け続けると、お金が掛かってだめになっていきます。以前のマルチメディアがそうで、4歩先くらいに行ってしまうと、理解者が得られないので必要な数の顧客が取れなくなってしまう。私たちは、常にそのバランスをとっていかなければなりません。

その一方で、イノベーションに抱く夢やビジョンも大切にしたいと思っています。1876年に電話を発明者したグラハム・ベルが残した、興味深いスケッチがあります。彼は電話線を体に巻き付けて電話を外に持ち出そうと考えていて、それがスケッチとして残されています。それが2015年の今、スマホになりスマートウオッチになっているわけです。私たちが取り組んでいる電子書籍も、自分が良いと信じることができることを100のうちの一つずつでもひとつひとつ実現して進んでいけば、いつか花が咲くのではないかと思うのです。

電子書籍という新しい枠組みから、創造の新しいサイクルが生まれる

──電子書籍になると、表紙や装丁がなくなっていく、あるいはその重要性が低下するという話があります。

鎌田:装丁は電子書籍においても重要です。本のように厚みもなく手触りもありませんが、表紙をどうするかというのは今でも大きな要素です。ですので、装丁家がなくなるということはないですが、取り組む枠組みは変わるのでしょう。表紙については、リアルな形としてのパッケージはこれから減っていくと思いますが、代わりに個別のコンテンツをアイコンとして分からせるようにするものは必要です。それを凝縮する力は、やはり装丁家にあると思います。その本が一体何なのか、直感的に分からせるためには、表紙が必要で、包むものが必要なのです。

──コンテンツがパッケージであることには良さと悪さがあります。確かにばらばらになれば、音楽を一曲ごとに買うといったように手軽さがありますが、一方で本や音楽のアルバムがそうであったように、まとまっていることで表現できるコンセプトや思想もあると思うのですが、どうでしょう。

鎌田:書き手にとって、枠組みはとても大事です。新聞や雑誌・本など、あらゆるメディアには一行の文字数やページ内の文字数、一文の長さや句読点など、押さえなければいけない枠組みがあり、書き手はそれを考えながら書きます。

例えば、Twitterでは何か格言めいたものを書きたくなりますよね。つまり、Twitterという枠組みがそのような力を持っているわけです。そうやって、書き手は枠組みに少しずつ影響を受けていくのです。マクルーハンの有名な言葉で「メディアはメッセージである」というのがありますが、まさにそれで、読み手がいる場合、枠組みの影響力は非常に大きいと思います。また、人は枠がないことに慣れていません。「締め切りなくして原稿なし」と私はよく言っているのですが、自由にやっていいといわれたら何をしていいか分からなくなってしまうのです。枠組みがないと原稿は仕上がらないのです。

鎌田純子氏

──今はブラウザーでもネット上にあるいろんなテキストを読むことができますが、それに対して電子書籍のメリットはどういうところにあるのでしょう。

鎌田:やはり電子書籍はパッケージになっていて枠があることが大きいです。今はそのパッケージにDRMによって複製の防止や引用の制限がつけられているので、少し停滞しています。しかし、無料のコンテンツに慣れてきた人は、そのことに大きな抵抗感を持つことになるでしょうから、教育と社会のニーズによっていずれ公正な利用範囲を定めるフェアユースの導入が広がっていくのではないでしょうか。その人たちの共通理解として、電子書籍に対するDRMは変化していくのだと思います。DRMは「Digital Rights Management」ですが、電子書籍側から見ると「Don’t Read Me」って感じで(笑)、でもそこは突き破られていくでしょう。

──電子書籍においてもパッケージ化された枠組みはやはり重要だけど、その姿はデジタル化する社会の流れに適応したものになっていく、ということでしょうか。

鎌田:デジタルで言えばモジュールという発想があります。個別に機能するモジュールが順次合わさってシステムになるという捉え方ですが、電子書籍においても、本をばらしてマイクロ化するのではなく、マイクロ化して存在するものからパッケージが生まれてくるというサイクルが自然なのだと思います。まず小さなことから始め、形が見えてくるとそれに合わせてやりたいことが生まれ、どこまでやるか自分で決めて、実際やってみたらまた次の形が見えてきて、さらに修正していくというようなサイクルになるのでしょう。

「青空文庫」の仕組みをモデルに、ネットだからできる作り方を模索する

──今後、紙の本と電子書籍はどう併存していくのでしょうか。

鎌田:紙の本がなくなることはないですが、値上がりする可能性はありますね。でも、本は安いから売れるというものではないことが分かってきていますし、それでよいのだと思います。また、書き表したいことが判型の枠組みにすごく影響されるので、電子化する時には原稿を書き直したくなると思うのですが、それを許容することが大切です。デジタルの画面上に書いてあるものは冗長であると読んでもらえないので、文体も変わっていき、コンパクトになっていくと思います。そうすると画像を使って説明する方がよいので、これからの電子書籍はネットサービスとも連携する形で映像や音声を使うものが主流になっていくでしょう。でもそこでのプログラムや技術は、使う側には存在を感じさせないほど、素直でシンプルであるべきだと思います。

──今後、ネットが人や社会に与えていく影響について考えていることはありますか。

鎌田:本の作り方が大きく変わっていかざるを得ないでしょう。読者を中心にコミュニティーから本を作っていくような流れも生まれてくるのではないでしょうか。

そのような本の未来を考えるのに、「青空文庫」は一つのモデルになると思います。青空文庫は著作権の切れた明治から昭和初期の文学作品などを中心に、一般の市民がボランティアで電子書籍化して無償でネット上に公開しているものですが、そのようにお金がなくてもみんなでやって1万3000冊集まっているという現実があります。青空文庫の場合は、そこで新しい作品が生まれてくるわけではなくて既に書かれていた本をデジタル化しているのですが、そのようなやり方を場としてうまくしつらえて、本を作ることを試してみたいと思っています。また、ある作家の個人的な作品を集めたアーカイブをやろうとしたとき、資金面が問題になるでしょう。それを解決できるものとしては、ファンの愛にすがるしかない気もします。

──電子書籍によって読み手と書き手の関係もこれからは変わっていくのでしょうか。

鎌田:変わるはずだと思います。例えばボイジャーで多くの電子書籍を出版されている作家の池澤夏樹さんは、自著が絶版になっていく状況の中で、自分の意志で電子化をしていこうとしています。その中で、読者が自分の本に対してどういうことを思ったのか、意見を交わしたいと考えていて、そのための受け皿を用意しようとしています。作家は直接、読者と関わりを持つような取り組みをしたいのだと思います。

──なるほど。書かれ方、読まれ方、作られ方、流通やお金の流れも含めて、そのような要素が混然としつつ何かが大きく変わっていくわけですね。ただし、そのはっきりとした姿はまだ分からない、と。

鎌田:試行錯誤中ですが、ネットだからできる作り方というのはあるのだと思います。そんな中で、編集者の仕事とは何だろうと突き詰めて考えると、それは「この本の読者はここにいる」ということを示すことだと思うのです。それをきちんと意識しているか、なんとなく流行のテーマだから書いている本かということが、読者には分かるのでしょう。電子書籍は規模が小さいからこそ、そのようなコミュニティーを形成していく第一歩としての編集者の仕事が、うまく機能しているのだと感じています。