セカイメガネNo.37
ブランドの死と再生
2015/08/19
心配がある。息子や彼の仲間は私たち広告会社が大切にしているクライアントのブランドと関係を持とうとしない。彼らは15、6歳。テレビを見ないで、オンライン上に生息。ラジオも聴かない。音楽を聴くのはすべてストリーミング。新聞も読まない。パンクなニュースサイトVICE.comで情報入手。スマートフォンに取り憑(つ)かれている。1950年代、子どもたちがテレビに取り憑(つ)かれていたのと同じだ。スマートフォンにないのは私たちがかつて知っていた広告だ。
「どんなクルマが好きなんだい?」と尋ねても格別好きなクルマはない。クルマと最初に関わるのが犯罪を実行するコンピュータ―ゲーム「グランド・セフト・オート」であっても私は驚かない。私たちが知っているクルマブランドはこのゲームにはひとつも出てこない。「犯罪ゲームと関わりを持つなんてまっぴら」とクルマ会社が考える気持ちはよく分かる。理由のない暴力、セックスシーンの数々は私たち大人には衝撃的だ。でも、ティーンにとっては衝撃でもなんでもない。私たちの親世代が「不良の音楽」ロックンロール、ステージで腰を振り挑発するプレスリーを当たり前に受け入れた現象と同じなのだろう。歴史に学べという教訓か。
既存客を失うことを恐れてティーンのメディアトレンドを見て見ぬふりするブランドは、次世代の顧客を失う危険を冒しているのだろうか。グーグル。グーグルXが開発中の自動運転車。電気自動車のテスラ。フェイスブック。写真共有アプリのスナップチャット。アップル。子どもたちはそうしたブランドをよく知っている。アップルを除けば、彼らはそのブランドを広告で知ったのではない。利便性と革新性があるから知っているのだ。
古い世代の使うメディアの90%はいまだにテレビ、新聞、ラジオ、雑誌、そしてデジタル。デジタルといっても従来メディアがデジタルに変化したにすぎない。コンテンツは相変わらず広告だらけだ。ティーンはそうした「デジタルメディア」には目もくれない。その彼らが20年後の市場で生活者として主役になる。10代の新しいトレンドを受け入れない限り、既存ブランドが重要な役割を持ち続けるとは私には思えない。
希望はある。口コミだ。彼らはソーシャルメディアから目を離さない。友達や家族が自分の体験に基づいて勧めるモノ、コトなら耳を澄まして聴く。最古メディアともいわれる映画が今の子どもたちにウケているのは歴史の皮肉だろうか。
(監修:電通イージス・ネットワーク事業局)