「届く表現」の舞台裏No.5
アーティストユニット・ネルホルに聞く
「デザインと芸術の融合をどのように進行させているのか」
2015/10/28
各界の「成功している表現活動の推進者」の方々にフォーカスしてお話を聞きます。
田中:グラフィックデザイナーの僕が飯田の彫刻作品を見て、彫刻家なのになぜこれほど視覚的な要素を持っているのか飯田に聞きに行ったのがネルホルの始まりです。会ってみると想像以上に話が広がった。僕にはデザイナーとしての、飯田には芸術家としての全く違う考え方があるのだけれど、共通部分だけを抜粋して、二人の考えを一つの形にまとめたら一体どういうものが生まれるんだろう、二人で作品を作ってみようか、と発展していったんです。ちなみにユニット名は、アイデアを練る(ネル)田中と彫る(ホル)飯田なのでネルホル。2007年、ユニットとしての最初の作品を展示したところ、デザイン業界の人たちからは「これはデザインじゃない」、アート業界の人からは「これはアートじゃない」と言われた。僕らは、お互いのいい部分を合わせたら面白い作品になるんじゃないかと、ただそれだけだったのに、デザインでもアートでもないものになってしまった。このままじゃ意味がないと思い、そこから約4年間、デザインとは何か、アートとは何なのかを検証し、ひたすら作品を作り続け試行錯誤を繰り返した。そうした検証の結果を全部結び付けて、ようやく到達したのが12年に初めて展示した「顔」のシリーズなんですよ。
飯田:3分間写真を撮り続けるという時間軸を使うことで、その人の固有の何かをおさめようとするポートレートです。積み上げた200枚の写真を、僕がカッターでさまざまに彫り込んで隆起をつけます。田中が全体の見え方を視覚的にコントロールする、という役割分担です。今まで100人以上の写真を撮ってるけど、3分間の人の動きや揺らぎはバラバラ。モデルのオリジナルな動きをアーカイブしたポートレートですね。
田中:この作品群が、ものの見事にいい方向で勝手に解釈されていった。デザイン関係の人はデザインの目線で、美術関係の人は美術の目線で面白がるという状況になりました。デザインも美術もそれぞれのカテゴリーには、歴史が作り上げてきた独自の文脈があって、それらをクリアできていないと評価対象にならないし、それと同様に、人が芸術とかアートを見るときは、自分の経験知やバックボーンからしか判断できないと思います。僕らはやはり多くの人に伝えたいので、平面、ドローイング、彫刻、写真、パフォーマンスといろいろな解釈が全てできるようにしてあるんです。4年間の検証の中で出来上がったものかもしれないですね。
飯田:そこに至った要素として最重要なものは、僕は「強度」だと思います。作品としての強度があればジャンルを置き換えても多くの人に伝わると思うんです。新作の「01」シリーズ(トップの写真を参照)の場合は、インターネットが普及している状況をベースにしています。ある1日を一つのタームにして、その日24時間以内にインターネットに上がった画像だけをプリントアウトして1枚1枚重ね、そこにインターネットの2進法の数字、0と1を彫り込んでいきました。ある特定の日に上がった画像全ての考え方を、0と1という一番元になっているものに形作るという作品になっています。僕は世界の人たちを触発したい気持ちが結構あります。木や紙を素材にして細かい手を加えていくような作業を、西洋の人たちはあまりやりません。日本や中国には仏師の文化もあって、刀一本一本で面をしっかり出してつくっていくオリジナルの手法がある。日本の中には、こうした独自の価値を持つものがまだまだ残っていて、絶対「勝てる」部分があるんですよ。
田中:今後の活動の舞台としては、日本と海外という区分の発想もあまりありません。呼ばれればどんどん海外にも出て行きます。より多くの人に伝えられるなら、その方がよいので。これからの僕らにとって重要なのは、自分たちが本当に何をしたいかということ。とにかく作品に向かっていけばいいと思っています。