【岡山】デニムから生まれたパンダ。
2015/10/26
「伝統工芸×デザイン」をテーマに、優れた日本のものづくりと電通のアートディレクターがコラボレーションして作品を制作し、新たな価値を世界発信するプロジェクト「Good JAPAN Innovation」。第6回の伝統工芸は、岡山の「デニム」です。株式会社ジャパンブルーの協力を得て、布から生まれたデニムパンダが誕生しました。
岡山といえば桃太郎伝説。鬼退治をした桃太郎が、もしも現代まで生きていたら? 桃太郎はなぜかパンダに姿を変えられ、ジーパンをはいていたとしたら…。
私、中村はそんなアイデアを思いついて電通西日本岡山支社の手代木聡さんに相談してみることに。手代木さんいわく「桃太郎ジーンズというブランドが児島にあるので一緒に行ってみましょうか」。ということで、いざ、国産ジーンズ発祥の地・児島へ。
児島のデニム文化
その昔、綿花栽培をルーツに繊維産業が発展した倉敷市児島。このエリアは、かつて学生服の一大産地だったそうです。豊富な材料と高い技術力は、1970年代に入るとジーンズ生産へ移行していきます。
一時はファストファッションの台頭により大きな打撃を受けましたが、独自の加工技術とものづくりに妥協を許さない職人技に支えられ、今では海外の有名ブランドからも次々とオファーが届くほどに。
今回協力をお願いしたジャパンブルーも自社ブランド「桃太郎ジーンズ」をはじめ、染めや織りにこだわり抜いたデニムを、世界へ向けて展開している児島デニムの中心的な存在です。
リアリティーを追求したパンダをつくりたい
最初に考えたのは、けっしてゆるキャラにはしたくないということ。巨大で、奇抜で、一度見たら心に焼きついてしまう、そんなパンダをデニムでつくりたいと考えました。モチーフは岡山にちなんで桃太郎です。
どのように完成させるかについて、ここから試行錯誤の日々が続きました。まずは、こちらの描いたラフスケッチを元に、ジャパンブルーの永田健作さんを中心に作り方について打ち合わせを重ねていきました。
議論の末、パーツを「顔」「上半身」「下半身」に分けて制作することに。顔は、クマのぬいぐるみを購入し、ばらしたものを参考にして型紙を起こしました。デニムの内部には、しなやかで耐久性に優れたジンバブエコットンを詰めています。デニム越しの手触りは、まさに人肌。でもこれが結構な重量になるんです。
自立させるためにホームセンターで骨組みを購入して、デニムの中に埋め込んだ後に、コットンで肉付けをしていきます。最後に、手袋をつけシューズを履かせたら完成。余談ですが、自宅から岡山に向かう朝、車内にパンダを運び込む男の姿は、警察に通報されるレベルだったに違いありません。
デニム加工を駆使して、職人技が生地に表情を与える
新しいデニム生地を古く見せるために、パンダの生地には特殊加工がさまざまに施されました。この段階で登場いただいたのが、加工の職人である美東の西山範彦さん。こちらが伝えたイメージを、一発で想像以上に仕上げてくる技は、さすがの一言でした。
例えば鬼の返り血はシルバーだっただろう、ということで顔にはアルミペースト加工でつけられた跡を再現。戦いの傷を表現するために、ヒゲ加工・シェービング加工・ダメージ加工・クラッシュ加工・ブリーチ加工・バイオ加工・リメーク加工・スプレー加工・バーナー加工などなどデニム生地に付けられた特殊加工は10種類を超えています。
完成、そして撮影へ
こうして撮影前日に、徹夜で仕上げたデニムパンダは、鬼ケ島ならぬ岡山の離島・六口島で撮影することに。早朝、船をチャーターして向かった先は、象そっくりの奇岩である天然記念物の「象岩」。桃太郎なのにパンダ、そして撮影場所は象!という今回の奇妙なプロジェクトは無事に終了しました。
メーキングムービー
デニム生地加工:西山範彦(美東)
プロデュース:手代木聡(電通西日本)
メーキング撮影・編集:安井祥二、進巧一(びより)
スチール:池田理寛(D-76)