デジタルの旬No.22
「京都のインスピレーションがイングレスを生んだ」 ――開発者が語るジオメディアの本質~Niantic アジア統括本部長 川島優志氏
2015/11/16
ARを活用したネット上での位置情報ゲーム「イングレス」が、世界的に注目を集めている。「青」と「緑」の2陣営に分かれて陣地を争うというのが大まかなゲームのルールだが、実際のリアルな空間ともリンクしているなど、単なるネット上のゲームにはとどまらない奥深さを持ち、熱狂的なファンも多い。現在は組織として独立しているが、もともとグーグル内の社内ベンチャーとしてイングレスが開発されたことも興味深い。このような位置情報を活用したネットサービスは、「ジオメディア」などとも呼ばれ、IT領域の最先端の一つでもある。今回は、そのイングレスのデザイナーとして著名な川島優志氏に話を伺った。
(聞き手: 電通デジタル・ビジネス局計画推進部長 小野裕三)
「イングレス」とは
ネットと現実世界をリンクさせた陣地取りゲーム。プレーヤーは、二つある陣営のどちらかに属し、「コントロールフィールド」と呼ばれる陣地拡大のために競い合う。その陣地確保の拠点になるものは「ポータル」と呼ばれ、現実世界に実際に存在するものが使われており、碑や像、彫刻、壁画、その他の公共施設がポータルとされているケースが多い。企業などとの提携も積極的に進めており、既にさまざまな企業で販促やブランディング施策の一環として活用されている。また岩手県や横須賀市などの自治体でも観光活性化などを目的とした活用が進んでいる。業界の識者からの評価も高く、第18回文化庁メディア芸術祭エンターテイメント部門大賞、2015年日本ゲーム大賞「ゲームデザイナーズ大賞」を受賞した。
ストリートビューの開発者がたどり着いた結論は、「自分が動くことが大切」
──イングレスは2012年のスタート以来、ユーザー数も順調に拡大し、企業や自治体での導入も進んでいます。あらためて、ユーザーにとってのイングレスの魅力をご紹介ください。
川島:イングレスを通じて町を見ることで、いつもの通勤ルートなのに新しい何かが見えてくる。さらに道を1本外れてみたら、見慣れた町が全く違う姿で目の前に広がる。実際にイングレスをやっている人の声を聞くと、自分の身の周りに今まで知らなった面白いものがたくさんあることの気付きがある、と言います。イングレスが背中を押してくれる形で、自分のいる場所から次は隣町に足を延ばし、さらには旅行先などでもどんどん新しい場所を訪れるようになる、その楽しさが魅力です。
僕自身も、例えばイングレスのプロジェクトで宮城県の石巻を訪れたとき、そこは以前にも訪れたことがあるにもかかわらず、イングレスを介することでまるで初めて来たような強い印象を受けました。ポータルを意識することで目線がガラリと変わり、街が高解像度で飛び込んでくる、そんな感覚です。
また、イングレスでは世界各地で実際にユーザーが集まるイベントが数多く行われていますが、そのようなイベントを通じてユーザー同士で話し合ったり、戦ったりすることで、一つ一つの場所が思い出深いものになっていく。それが、世界中で起こるのです。さらには海外のプレーヤーと連携して作戦を立てるなど、国境を超えて世界が広がる楽しさもあります。
ゲームのために歩くことで健康になる、というのも重要な側面です。世界中で多くの人が運動不足という問題を抱えていて、特に子どもの80%が十分に運動していないという調査結果もあります。また、僕は考え事をするときにうろうろと歩く癖がありますが、歩くことで考えが前向きになったり、クリエーティブになれると感じます。特にイングレスは自分なりの楽しみ方を開発しながら進める部分があるので、遊びながらどんどんクリエーティブになっていく。二次創作でイングレスに関連したオリジナルのグッズをつくる人も多いのですが、すごくクオリティーが高くて驚くことがあります。とにかく、外に出て歩くということは、何か人を変える力があると思います。
──イングレスを開発した中心メンバーで、ナイアンティック・ラボの創設者でもあるジョン・ハンケ氏は、もともとグーグルマップやグーグルアース、ストリートビューの開発者でもあります。それらのサービスとイングレスとの違いや共通性はどこにあるのでしょう。
川島:ジョン・ハンケは、自分が手掛けたグーグルアースなどに対して深い愛着があると思います。でも、それらはデスクトップのスクリーンの前にいながらにして世界が見渡せるというもので、つまり自分自身は動かない。そのような製品を開発してきた人が、実際に自分の足で歩き、自分の目で見ることが大事だというところにたどり着いたところが、僕はとても面白いと思っています。グーグルマップがテクノロジーのベースになっていますが、今度はユーザー自身が動いているわけですね。
ゲームに限らずアプリケーションの一つの潮流として、ヘッドセットを装着してその中の世界に浸るVR(Virtual Reality/仮想現実)が注目されていますが、逆に現実世界に情報を付加していくのがAR(Augmented Reality/拡張現実)で、イングレスはこちらの領域に属します。VRと親和性が高いと思われるストリートビューやグーグルアースをつくってきたジョン・ハンケが、ARに移ってきた。僕自身はその方向性にすごく共感しています。
今、スクリーンの前ですごく長い時間を過ごす人が大勢いる。イングレスはテクノロジーでそこから人を解き放ち、今まで見えていなかったいろいろなものに気付かせる。それによって言葉や人種、性別を超えて世界の人がつながり、一つの方向に歩いていくことができる。人を動かす、ということはとても大事なことで、いい世界をつくることにつながるのではないかと考えています。イングレスがVRではなくARであることは、その根本にあると思います。
──イングレスでの現実世界とのつながり方はとてもユニークだと感じます。イングレスのポータルには、歴史や美術的に価値のあるものが多く選ばれていて、例えば日本だとお地蔵さんとかがたくさんポータルになったりしていますね。
川島:実はジョン・ハンケは、京都にインスパイアされてイングレスをつくった、と語っています。旅行で訪れたときに触れた禅などに癒やされ、心身を回復し、価値観が変わる経験をしたそうです。枯山水を前にして湧き上がるような感情が呼び起こされる、そのような自分が動くことで自分自身が救われる出合いが体験できるようなものをつくりたいと強く願い、実現させた。それが、イングレスの魅力であり、成功の大きな理由の一つではないかと思います。
──なるほど。歴史的に由緒のあるものが多い京都にはイングレスのポータルも多くできていますが、それはある意味で原点回帰というか、ハンケさんのもともとの思いをくんでいるのかもしれませんね。
グーグル内のスタートアップとして始まったことで成功したイングレス
──ご自身の、デジタルやインターネットとの出合いについてお聞かせいただけますか。
川島:コンピューターに最初に触れたのは小学校3年のときです。ファミコンを欲しいと言ったら、親が間違えてセガを買ってきた。それにキーボードがついていて、プログラミングを始めました。そのときの親の間違いが今につながっているんです(笑)。その後パソコンで作曲やプログラミングをやり、大学入学時に、マッキントッシュを買いました。そのころ日本ではネットの黎明期で、ネット掲示板などいろいろなコミュニティーができ始めていて、すごく面白い時代でした。大学から歩いて30秒くらいのところに下宿を借り、仲間がたくさん集まり、ネットのデザイン関連の制作などを夢中でやっていました。
──大学でCD-ROMを作られたそうですね。当時はマルチメディアが注目されるようになっていた時代だと思いますが、そういうものに関心があったのでしょうか。
川島:父が建築家、母が時計のデザイナーという環境で育ったので、デザインは得意でした。また、プログラミングも大好きで、この両方のセンスが必要とされるマルチメディアは、自分にとって刺激的でした。CD-ROMは大学のサークルの演劇やバンドサークルの音などをマルチメディアにしたもので、学生がつくった仕組みとしては全国初で、新聞などにも取り上げてもらいました。そして、その時にできた借金を返すために大学を中退したんです(笑)。
──その後、単身アメリカに渡ったわけですが、それはやはりアメリカがインターネット発祥の地だからということが理由だったのでしょうか。
川島:例えば、ピザをつくる職人がイタリアに行ったことがないというのは、ちょっとしょぼいじゃないですか(笑)。それと同じです。コンピューター関連のことをする中で、どうしてアメリカはこんなに強いのか不思議だったんです。日本が技術的に低いわけではないのに、世界を制覇しているのはアメリカのものばかり。どうしてこういうことになるのか見てみたいという思いがありました。
──そしてアメリカでグーグルに入社して、ホリデーロゴを手掛けることになるのですね。
川島:グーグルに入った時の私の上司がデニス・ホワンで、ホリデーロゴの最初のデザイナーでした。デニスの描くホリデーロゴはグーグルの象徴でした。何年間も彼一人でやっていたのですが、人を増やすことになった時に僕を選んでくれたんです。
──面白いホリデーロゴがグーグル上に出ると、ネット全体が軽いお祭り気分になるのがすごいなと思います。作り手としてはどのような感じで作っていたのでしょう。
川島:あそこは、世界で一番見られているキャンバスかもしれません。そこに描けるというのは非常に光栄なことですが、一方で責任も重大でした。ホリデーロゴのモチーフになるのは、人類に素晴らしい貢献をしてきた方々だったりするので、失礼のないように、背景にある文化を理解し、その人を愛する人に喜んでもらえるようなものをちゃんとつくらないといけない。1日しか掲出されませんが、その1日でどれだけ伝えられるかの勝負で1カ月かけて考えることもありました。でも、毎回楽しんで描いていましたね。
その後、デニスはナイアンティック・ラボ(現:Niantic, Inc.)に移ったのですが、僕も来るように誘われていて、その後ちょうどいいタイミングがあったので僕も移籍しました。
──ナイアンティック・ラボでは、イングレスの開発にベータ版から関わっていますね。
川島:デニスは、イングレスのひと通りのデザインを手掛けているのですが、非常にデニスらしいというのがイングレスの最初の印象です。彼は「攻殻機動隊」などの日本のサイバーパンクなものやアニメーションのデザインが好きで、イングレスのデザインにもそれがすごく表れています。
イングレスを開発したナイアンティック・ラボは、非常にユニークな組織です。それを立ち上げたジョン・ハンケは最初、グーグルと完全に切り離してナイアンティック・ラボを始めるつもりでしたが、グーグルのCEOであるラリー・ペイジに引き留められ、社内スタートアップという独立性を保ちながら組織を運営することになりました。僕自身その後、ジョン・ハンケのイングレスへの思いや考え方を理解し、ますます可能性を感じ、引き込まれていきました。
──位置情報を使ったゲームはガラケーの時代からいろいろありましたが、イングレスが成功している要因は何でしょう。
川島:「位置ゲー」という言葉ができるくらい、ガラケーの時代には位置情報を使ったゲームがたくさんありましたが、その理由は、日本の高度な技術でGPSや基地局を使った位置情報で場所をかなり正確に割り出せたからです。でもスマホが出始めたころはGPSの性能があまり良くなく、「位置ゲー」は先行して人気を博していたにもかかわらず、ガラケーが廃れてスマホに変わっていくときに、うまく移行ができなかったんだと思います。いわゆる「イノベーションのジレンマ」に陥った。イングレスは後発だったゆえに、スマホのGPS機能が向上し、さらにユーザーもスマホの扱いに慣れてきたタイミングにちょうどはまりました。イングレスが受け入れられた理由の一つには、このようなタイミングの良さがあったと思います。
それと、やはりグーグルの中でできた社内ベンチャーであったというのも大きいですね。イングレスは非常に運営コストのかかるゲームです。グーグルマップを使った膨大なデータを処理するので、コンピューティングにかかる費用が大きい。ナイアンティック・ラボはグーグル内の社内スタートアップという位置付けで始まったため、立ち上げの収入のない時期にグーグルのインフラが利用できるアドバンテージがあったのは非常に大きかったと思います。
──ゲーミフィケーションということが一般に注目されています。ネットを使うことでリアルの中にゲーム的な要素を導入していくということについて、どう思われますか。
川島:文化庁メディア芸術祭でゲームの専門家である審査委員に「ゲーミフィケーションという言葉が生まれてからいろいろなものが出てきたけど、今まで結局成功していなかった。イングレスは最初の成功例だ」というようなコメントを頂き、すごくうれしかったです。そのように成功できたことの背景は、先述のように、グーグルのインフラが使えたことやタイミングも良かったのですが、何よりも、ジョン・ハンケ自身が自分の欲しいと思えるものをつくったことが、根本だと思います。
スマホのゲームを、どこか悪しきものと感じている人も多いかもしれません。でもゲームは本来、囲碁や将棋、ボードゲームなど、人類にとって大事なものなんだと思います。これからの時代、子どもたちはますますスマホを使うようになる。スマホの中にあるものを真剣に考えることは非常に大事で、そのいい例をつくっていきたいと思っています。
自分自身が幸せになるものを開発者が作ることで、世界が良くなる?
──さまざまなセンサーが世の中に増えていく中で、そのことによってイングレスに限らず、ジオメディア全般の可能性ももっと広がっていくのでしょうか。
川島:もちろんそうだと思います。インタラクションにおいてはインプットの量が重要ですから。ウエアラブルデバイスの進化は、人間ではなく機械にとっての大きな一歩だと僕は捉えています。例えば映画を見たときに、どんなシーンで人間がどのような状態になるのかをコンピューターが把握できるなど、センサーで機械が人間の状態を知ることができるようになる。それを例えばイングレスに応用するのであれば、イングレスのポータルは人類の知性や想像力が具現化されたものですから、立ち止まって心を落ち着けてじっくり見てほしいと考えているので、心拍数が高いと出てくるアイテムが減るというような仕組みがあってもいいと思います(笑)。そのようにセンサーが増えた結果、インプットとアウトプットの新しい形の可能性が出てきます。
──ウエアラブルやデジタルサイネージ、ドローンなどの新しいデバイスにジオメディアが連携していくという可能性はどうなのでしょう。
川島:技術的にはすごく面白いですし、可能性があると思います。イングレスにはいくつかパートナー企業があり、彼らが保有するテクノロジーとインタラクションすることで何ができるかを考えています。
そして、イングレスの技術をプラットフォームとして活用し、イングレスが届かなかった新しいところへと、いろいろなクリエーターがつくっていける仕組みを考えていて、その一つとしてつくったのが、最近発表した「Pokémon GO(ポケモンゴー)」です。これは、位置情報を活用することで、現実世界を舞台として、ポケモンを捕まえたり、交換したり、バトルしたりする体験ができるARのゲームです。プレーヤーはスマホを持って家の外に出てポケモンを探したり、他のプレーヤーと出会ったりしながら楽しむことができるのですが、スマホだけでなく、スマホと連携した独自のデバイスも用意しています。
──ハンケさんは、世界を良くするという思いでイングレスを始めたということですが、テクノロジーは世界を幸せにするのでしょうか。
川島:技術が進化したことで、明らかに犯罪は減っていて、寿命も延び、絶対的な指標や数値で見れば、幸せは増えている、という考え方があります。でも一方で、幸せを感じるかどうかは人それぞれで、比べるものによって相対的に変わってしまう。
イングレスはジョン・ハンケが、自分自身が幸せになりたい、と思って運営しているものです。人が外に出てコミュニケーションをするという本質的な部分をネットが促進することで、人は幸せになれると信じている。僕は、そのようなものの積み重ねが、世界を良くすることにつながっていくのではと思っています。
──インターネットにはいろいろな社会的問題を生むなど、負の部分もありますね。
川島:全てのテクノロジーに共通しますが、人に役立つこともあれば、傷つけることもあります。イングレスでも、ゲーム上で対立する「青」と「緑」の陣営間でヘイトの感情が高まることもある。でも、何かトラブルが起こったときにそれをいい方向に持っていくことは必ずできる。そうやって人が成長していくところが、面白いと思います。
──いろいろな領域でリアルとネットの関係が議論されてきていますが、イングレスをやっている中で、その関係について感じることはありますか。
川島:いろんな側面があると思います。例えばSNSは同じような業界など自分の周りの狭い範囲に閉ざされがちな面もあり、あまり良いことではないと僕は考えています。もっと偶然的な、全然違う層との出会いが世界を広げます。イングレスでは、今まで出会う機会のなかった人とつながることができますが、ユーザーは、違う年代、人種、言語や宗教などの壁をうまく崩すきっかけになることを面白いと思ってくれる人が多いと感じています。
一方で、地元にもすごく密着していて、今まで隣に誰が住んでいるか全然知らなかったのに、マンションの住民同士がイングレスでどんどんつながっていって、イングレスの方が自治会より自治会らしくなっている、みたいなことも起きています(笑)。このように、地域とゲームという二つの切り口が組み合わさることで、人や土地の多様性とつながり直せるというのが、非常に面白いところです。
そういうことが子どもの世界にも起こったら素晴らしいですね。狭いところにいるといじめもどんどん深刻になっていったりします。「Pokémon GO」などのような、「Adventures on foot with others」をコンセプトにするこのプラットフォーム上で作られるNianticの新しいアプリで、全然知らない町や国の子どもたちと出会い仲良くなったりする楽しさが、子どもたちをいい方向に連れていってくれるのでは、と思っています。
──ネットを基盤にしつつも、外に出て歩き、そしてさまざまな場所や人と出会うことが、社会を、そして世界を幸せなものにしていくということですね。
川島:最近、全世界でイングレスのユーザーが歩いた総計が、地球から太陽までの距離になりました。ついに人類は、歩いて太陽にまで到達したんです(笑)。