汐留メディアリサーチャー時評No.6
スマホの普及とEmoji化するコミュニケーション
2015/12/15
電通総研メディアイノベーション研究部は、メディアや情報通信環境の変化、そしてオーディエンスの動向を探ることをミッションとするシンクタンクです。
ウェブ電通報でもリサーチプロジェクトの知見をお伝えする「インサイトメモ」を連載していますが、この「汐留メディアリサーチャー時評」では、当部ならではのナレッジをベースに、現代のメディア環境に関するトレンドをピックアップし分析と考察を進めていきます。
第6回は「Emoji」が今海外で流行する理由を掘り下げながら、Emoji普及によるコミュニケーションシフトの動向について論じます。日本ではおなじみの「Emoji」が海外で頻繁に使われるようになっているその背景には、若年層にとってスマホでコミュニケーションをとるのが常態化したという変化が深く関わっているのです。
■ 2015年を代表する一文字になった「Emoji」
日本では絵文字の歴史は古く(1998年前後といわれています)、ガラケー(フィーチャーフォン)の時代から日々のコミュニケーションツールとして広く使われていました。また、そうした「絵」を使ったコミュニケーションとして、2ちゃんねるでのアスキーアートを思い出す方もいるのではないでしょうか。海外でも並行して「Emoticon(エモティコン)」―例えば「:-)」―が使われていましたが、近年では「Emoji」の利用が優勢のようです。
こうした流行の象徴的な事例として、広告コミュニケーションやマーケティングに携わる人にとってはおなじみの2015年のカンヌライオンズ 国際クリエイティビティ・フェスティバルで、最高の評価に当たるチタニウム部門グランプリをドミノ・ピザの「Emoji Ordering」が獲得したことが挙げられるでしょう。これはTwitter上でピザのEmojiをドミノ・ピザのアカウントに送付すると注文できてしまうという仕組みで、若年層のコミュニケーションプラットフォーム上で、彼ら/彼女らにとって親しみやすいEmojiというツールを用いて売り場のチャンネルを増やしたというアイデアが評価されたのでした。
このような動きの中で海外を中心にEmoji活用のキャンペーンが急増しており、例えばユニリーバのダヴは、縮れ毛の女性のためのDove Quench製品のプロモーション活動の一環として、カールヘアーが描かれた「Love Your Curls」絵文字を公開。米国では約4人に3人が絵文字を用いているのに、これまでは真っすぐな髪の絵文字しかなかったというインサイト視点のキャンペーンを展開しました。いわば社会のマイノリティーをEmojiというツールを使って代理的に表象する効果を担ったといえるでしょう。
また、MTVは12月1日の世界エイズデーに向けて、コンドーム絵文字広告を実施しました。バナナ、ドーナッツ、ナス、モモ…などの隠喩的な絵文字たちがコンドーム使用を促すというもの。これも、ターゲットとなる若年層相手に、言葉でとうとうと啓発するのではなく、Emojiという日常的なコミュニケーションツールの中にメッセージを溶け込ませることで意識の醸成を図ろうとしているものだといえます。
このように、若年層と接点を生むためにEmojiを活用するコミュニケーションの形が浸透し始めているのです。
そしてそれはブランド側のみならず、ソーシャルメディア側の動きにも波及しています。例えばFacebookやTwitterは、記事へのリアクションツールとしてのEmoji導入をテストしているといわれています。Facebookといえば「いいね!」、「いいね!」といえばFacebookでしたが、「いいね!」では伝えきれないコミュニケーションの機微があることは前々から指摘されていました。そうした中で、今後は、Emojiの力によって私たちのソーシャルなつながりを育むコミュニケーション表現にもバリエーションが生まれるようになっていくと考えられます。
またこのトレンドに関するもう一つの大きな話題は、Oxford Dictionariesが選ぶWord of the Year 2015 に選ばれたのが「Emoji」だということです(ちなみに、2013年に選ばれたのは、自撮りを意味する「Selfie」です)。これを受けて、海外では賛否両論がそれぞれ噴出しましたが、ウェブ上で目立ったポジティブ派の意見としては、「確かに今年はEmojiがよく使われていたよね」や「楽しいからいいじゃん」といったもの。一方のネガティブ派からは、根本的に「そもそも文字じゃないじゃん」というツッコミが入れられているようです。確かにそうした意見にうなずける面はありつつも、これを〈文字〉として捉える視点が重要です。
■ どうして若い人ほどEmojiをよく使うのか
そんなEmojiは、実は海外では、「大人が分からない」コミュニケーションツールの筆頭として扱われています。使い方からその面白さに至るまで大人には分かりづらく10代~20代にもっぱら利用されているSnapchat同様に、Emojiも若年層のためのものだと思われていることをWired誌なども指摘しています。では、なぜEmojiは若年層のためのものだと思われているのでしょうか?
ここに深く関わるのが、若年層を中心にした「スマホシフト」です。そのシフトはデバイス占有時間の変化だけでなく、コミュニケーションの形そのものへの変化へと至っています。画面のサイズなどデバイスそのものの持つ特性や、隙間時間に使用することが多いといった利用環境によって、テキストを打つよりも画像や動画、ないしはEmojiやスタンプによってコミュニケーションを図る作法が一般化しつつあるのです。
こうした視点は、電通総研メディアイノベーション研究部で実施した若年層スマホユーザーの写真・動画アプリの使用実態を調査したリサーチ結果とも合致します。ユーザーインタビューの結果からも、Emoji、インスタントメッセンジャー上でやりとりされるスタンプ、そして写真のメッセージ利用(自分の見ている風景や状況などを撮影し、今の気持ちや伝えたいメッセージを共有すること)など…今のスマホユーザーは、ますますビジュアル要素を通じたコミュニケーションによって自分の気持ちや場の雰囲気などを伝えるようになっていることが明らかになりました。
では、これだけ流行している要因はいったいどんなものなのでしょうか。3点に分けて考察してみましょう。
■ Emojiが流行する3つの理由
まず第一に、Emojiには文章を読んだり組み立てたり…といったリテラシーは求められません。コミュニケーションの敷居を下げて間口を広げる効果を有するという点では、今後こうしたコミュニケーションの担い手は増えていくことが予想されます。現に、アメリカで流行している理由に、多言語・多文化な社会環境の中でリテラシーの高低にかかわらないコミュニケーションを担保できるという点が挙げられます。Emojiそのものの持っている機能性に着目した視点です。
第二に、Emojiはフラットで、その結果として親しみのあるコミュニケーション手段が実現できるということ。現代は多くのユーザーがスマートフォンを所有し、ソーシャルメディア上で共通のコミュニケーション・プラットフォームに乗って日々やりとりしています。歴史上ここまで世代間の情報圏が重なり合っている時代はなかったと指摘するマーケターもいますが、そうした環境はフラットに通じる新しいコミュニケーションの手段を私たちに要請しています。これは、Emojiを送り合う私たちユーザーに着目した視点です。
最後に三点目として、ピザからカーリーヘア、そしてコンドームに至るまであらゆる対象をカジュアルにコミュニケーションツール化できるその使い勝手の良さを挙げることができます。これは、Emojiをコミュニケーションの手段とする送り手、ブランドなどに着目した視点です。
またここから、日本で流行しているメッセンジャーアプリ、さまざまなブランドがコミュニケーションツール化された「スタンプ」に比較の視点が向くのも自然の成り行きです。根本的な変化は同根のものだからです。私たちは言葉による説明よりも、直接それを見せたりやりとりしたりする方が響くようなビジュアルコミュニケーションの情報世界に既に慣れ始めているのです。
■ Emoji、そしてビジュアルを通じたコミュニケーションに注目する意義
以上の議論をラップアップすることで、スマホユーザーにとってはEmojiなどに代表されるビジュアルを通したコミュニケーションが、これまでは言葉を介してやりとりされていた領域を侵食し始めている側面が指摘できます。かつてしゃべり言葉と書き言葉とを一致させた明治時代の「言文一致」にヒントを得るならば、これは絵と言葉が等価に使われていく「絵文一致」という現象として捉えられるように思われます。
そして、こうした絵文一致的なコミュニケーションの変化が示唆する未来へのヒントとは、ビジュアルを通じたコミュニケーションでエンゲージメントを生活者と図っていくことの重要性です。そうした仕組みをつくることがコミュニケーションビジネス上のポイントになっていくのは間違いありません。冒頭のドミノ・ピザ「Emoji Ordering」のように。
さらに発展的に考えるならば、私たち生活者の本当のニーズを捉えるためには、言葉だけではなくビジュアルを通じたコミュニケーションこそEmojiだけに限らず、分析する必要があります。Emojiはその一端にすぎません。今後の中長期的なスパンを見据えるならば、言語化され得ない欲望やニーズという豊饒なマーケティングインサイトをくみ出す余地を適切に開拓し得るのか?ということが、必ず私たちが直面する課題になるはずなのです。