ビジュアルコミュニケーション時代により高まるアテンション獲得の視点
天野:ユーザーインタビューでは、YouTubeStarやVinerの魅力はアマチュアだが更新頻度が高くて見飽きないところにある一方で、テレビに出ているようなプロは、同じネタをやっているように見えてしまうんだと述べられていました。
コンテンツの中身の問題というより、それが届けられるスピードや選択肢の話にフォーカスされていて、いかに今のユーザーのアテンションが高速で遷移するかを物語っていると感じています。消費の仕方の変化として象徴的です。
ドミニク:確かに、コンテンツの生成スピードの話は興味深いですね。自分自身がNHKの「NEWS WEB」に出演していて感じるのが、テレビのコンテンツ生成スピードはインターネットユーザーにかなわないのかもしれないということです。
この番組ではTwitterで視聴者から意見を拾うことでライブ性を担保しようとしていますが、良くも悪くも編集サイドの恣意性というか作りこまれてる感が際立って見えてしまうとネット側の反応も弱くなる。その半面、アクシデントや思わぬ感情の発露があると、ネットも即応する。
当然テレビのコンテンツもコミュニケーションのネタとして使われているわけですが、その上でポジティブで面白い変革が起こっているとしたら、プロフェッショナルがクオリティー高く作っている情報の上に乗っかるコミュニケーション自体が目的化していて、その形態に一番沿っている更新頻度の高いコンテンツこそがユーザーの情報活動に深くロックインしているということですよね。
設樂:コンテンツの生成スピードでいうと、スマホでのビジュアルコミュニケーションがテレビや雑誌などオフィシャルなメディアの機能を侵食することも懸念されますか。
ドミニク:そこは上手に二分化するのではないでしょうか。テレビや雑誌がネットをマネしようと思っても難易度が高い。NHKスペシャルとかブルータスの永久保存版号などはネットでは得られないような俯瞰性や一覧性があって、深掘り感がある情報だと思うんですけど、そもそもネットでビジュアルコミュニケーションが主流になるということは、そういうふうに深く情報を検索していないのではとも思いますが。
美和:ビジュアルのコミュニケーションは文字よりも一気に消費できるので、見比べるという行為が常になされる。どれが一番面白いか、つまらないかで一瞬でアテンションが移行してしまう性質がある中で、注目されるのは、「スタイルがあるもの」だと言われます。
例えば、写真加工のフレームが統一されていたり、写真のトーン&マナーがそろっていたり、構図が定まっていたり、良い具合にスタンプで盛られていたり…。みんな自分の写真へのアテンションを増すために、スタンプを買ったり課金したりするのもこうした背景がありそうです。
Picseeの使い方から見えてくるもの
北原:ドミニクさんは、プライベートなフォトメッセンジャーアプリPicseeをリリースし、運営されていますよね。ビジュアルコミュニケーションのためのアプリであり、写真の交換・共有というよりは、「自分がいま見ているものを他人に見せる」という意味で視点の交換・共有を体験できるアプリだと位置づけられています。Appleの「App Store Best of 2015 今年のベスト」のApp部門に選出されていたのも記憶に新しいですね。
今回の調査ファインディングスなどに照らして、感じられた点はありましたか。
Picseeロゴマークとアプリの説明
ドミニク:Picseeでは「わざわざ話さないこと」がコミュニケーションされるし、できるんです。
Picseeユーザーの知り合いの中学生の子は、週に1回1枚写真を仲良しの子のグループにアップして500~600コメントとか、ひたすらその写真の上でやりとりしている。そこで話が尽きたと思うと、次の写真をどちらともなくアップしてそこで会話を継続する。
当初はまったく想定していなかった使い方ですが、写真を見ながら写真によってリテラルコミュニケーション(文字によるコミュニケーション)が連鎖するということが頻繁に起こっている。壁紙をアップするみたいな形で気軽にリテラルコミュニケーションの場をセットアップできるんだと。
私たちもPicseeを開発している過程で、コメント機能は切ってビジュアルコミュニケーションに振り切っちゃおうという議論もあったんですけど、ビジュアルから始まってリテラルが続くのは自然な流れなんだなということに途中で気付きました。
これがLINEやテキストメッセンジャーだと、用事がある時に使うというパターンが多いのは、アーキテクチャーの設計上、まず文字を打つために最適化されているタイムラインがあるからだと思います。
Picseeでは、ビジュアルありきのリテラルコミュニケーションのかたちがあるんだという点が発見でしたね。
天野:今回は意識的にリテラルコミュニケーションとビジュアルコミュニケーションとを対比し考えていますが、実は両者は相互に補完し合う関係性のものですよね。

ドミニク:はい、それが最も自然な形だと思います。LINEでもスタンプが言語コミュニケーションの圧力を下げていますよね。他方で、全く文脈情報のない純粋なビジュアルコミュニケーションというのもエキストリームなわけで。
だから、一定の文脈が暗黙知化してるPicseeのようなビジュアルコミュニケーションはとにかく「楽」だというのが個人的にも感じるところです。シャッターボタンを押すだけで届くので、シャッターボタンによってコミュニケーションが発動する感覚があります。リテラルコミュニケーション的にいうと、シャッターを押すことでテキストを書くと同時に送るようなイメージなんですよね。
どんどん使っていくと、本当に意識しなくなるというか構図もいちいち考えなくなる。たとえば僕がプライベートで入っている、友達同士が「麺」や「カレー」の写真を送り合うグループがありますが、これのおかげで普段は連絡を取らない人とも緩やかにつながっていられるのもビジュアルコミュニケーションの効能なのかなと思わされています。
北原:負荷のなさということも関わりますね。
ドミニク:とにかく負荷がないですね。アプリやサービス設計の分野では、「ステップ数」という言葉がありますが、よく言われることは、ステップ数を半減させることができればその分野で革命が起きるということ。
たとえばEコマースでも、それまでは毎回クレジットカード情報を入れて買ってたのが、安全でセキュアな状況でワンクリックで買えちゃうみたいなことが達成できればステップ数が半減し、みんなの購買が増えることになる。
Snapchatも写真が消えることで心理的な負荷を下げてるし、Picseeの場合は撮ったら送れることで、親しい人同士での不要なステップが除かれ、これまでしてこなかったコミュニケーションが生まれる。
その点で考えると、Twitterのようなテキスト主体のサービスも文字入力の部分は古典的なキーボード入力なので、別の入力方法によってリテラルコミュニケーションのコスト(ステップ数)が下がれば別のコミュニケーション文化が生まれるということも考えられるかもしれないですね。
たとえば東京で歩いていると、中国人の観光客が歩きながらWeChatに向かってワーッとしゃべってボイスチャットで送っている人もいますが、あれも文字入力をうまく省略している例のように思えます。もちろん、公の場で大声を出しても恥ずかしくないという文化性も関係していますが(笑)。

ビジュアルコミュニケーションが示唆する「絵文一致」の新たなコミュニケーション
天野:今のスマホユーザーは、画像を送ってコミュニケーションを図ることも増えていて、言葉ではなくビジュアルによって現在の状況、その場の雰囲気、自分の気持ちなどを伝えていますね。
Instagramでみんなに見せるものは加工したりもするが、メッセンジャーなどで身近な人に自分の気持ちを共有したいときは未加工のまま送るという声もあって、非常に興味深いなと思いました。
それに関連して、『メディア表象』(石田・吉見編 2015年、東京大学出版会)の中で、ボアシエというアーティストが「携帯電話はシフター(Shifter)である」と指摘していたのを思い出します。発話者の「いま・ここ・わたし」をシフトするものとして、携帯電話/スマートフォンが機能しているんだと。
まさに万年筆で書かれた文章を手渡すかのようにして、現代のユーザーは画像や映像などのビジュアルを他者に手渡していると述べています。ここまで議論してきたように、リテラルコミュニケーションとビジュアルコミュニケーションの境界線はどんどん近づいているのではないでしょうか。
設樂:情報発信や日々のログの残し方も、とてもシンプルなものになってきています。文字で記述せずに、写真で記録するような、日記型ではないアルバム型に変化してきています。
今の若者は周りからの見られ方を極端に意識して真の感情を語らないことが特徴の一つですが、その日何を感じたなどの自分の内面を記述することはせず、行動のログをビジュアルで示して、自分らしさを表現するというかたちが目立ってきている。
天野:調査結果を踏まえながらいくつかトピックスを横断してきましたが、手軽に写真や動画を送ったり受け取ったりできる情報テクノロジーと、ユーザー側の心理の変化が絡み合い、若年層スマホユーザーを中心に確実にリテラルコミュニケーションからビジュアルコミュニケーションへのシフトが起こっていると思います。
また、スマホユーザーにとってはリテラルコミュニケーションやビジュアルコミュニケーションが区別されなくなっている面もあり、リテラルコミュニケーション活性化のためにビジュアルコミュニケーションを使うとか、場の雰囲気など説明できないものを説明するためにビジュアルをリテラル的に使うことも見られます。先ほど言及したシフターの作用が若年ユーザーにとって一般化し始めていて、リテラルコミュニケーションとビジュアルコミュニケーションが等価になりつつあることを示しているのかもしれない。
明治時代に、しゃべり言葉と書き言葉を一致させた「言文一致」の動きがあり、新たな文化的ムーブメントを形成していきましたが、それにならえば今起こっているのは絵と文字とが一致していくという意味で「絵文一致」と呼べるような、新しいコミュニケーションの統合の形ではないでしょうか。
【動画】ビジュアルコミュニケーション・7つのポイント