【青森】贈られ、引き継がれた鶴凧と活版。
2016/03/25
「伝統工芸×デザイン」をテーマに日本のものづくりと電通のアートディレクターがコラボレーションして作品を制作し、新たな価値を世界発信するプロジェクト「Good JAPAN Innovation」。最終回となる10回目は青森県の鶴凧をベースにした作品を制作しました。
北東北の鶴を探しに
私、河野愛は湖のある滋賀県大津市で育ちました。今回のプロジェクトをはじめるにあたり、まずは自分にまったく縁がない土地の、知らないものに出会ってみたいと思いました。そこで注目したのが北東北。調べるうちにその優雅なフォルムに魅せられたのは、青森県の真ん中、北津軽郡鶴田町に息づく、鶴のかたちをした凧でした。大津と同じく、湖のある町でした。
鶴田町の鶴凧
実は鶴凧は、この町が発祥ではありません。鶴の飼育はもちろん、実物の鶴を目にすることすら珍しかった時代、北海道の阿寒郡鶴居村から、1羽の鶴凧を譲り受けたことがはじまりだったそうです。いまでは年に2度の凧揚げが行われるなど、鶴凧は鶴の名のつく鶴田町のシンボルとなっています。そこには、別の土地から譲り受けた凧が、新たな土地で受け継がれ、愛情を持って作り続けた「引き継ぐ」人の存在がありました。
樺太出身の石村さん
美しい鶴凧に魅了され、右も左も分からず問い合わせをした私に、親切に対応くださった鶴田町役場の秋庭隆貢さん。そしてさまざまな大きさの鶴凧をご紹介くださったのは、町いちばんの凧の作り手、石村幸男さんでした。御年86歳。18歳の時に樺太(石村さんは「かばふと」とおっしゃいます。現サハリン)から引き揚げ、鶴田町で暮らし、いまでは鶴凧作りを指導する、いわば北海道と青森をまたぐ鶴凧の東北側の継ぎ手です。いまでは石村さんの頭の中に、鶴凧の図面が入っており、図面を見ることなく、さまざまな大きさの鶴凧を作られます。そんな石村さんの丁寧な手仕事によって作られた鶴凧の美しい骨組みを、今回は私が引き継ぐことに。
鶴凧にどんなイノベーションをするか
通常の鶴凧はこの骨組みに和紙を貼り、赤や黒といった実物のタンチョウヅルの色にのっとった彩色をすることで完成します。さて今回のプロジェクトで、ここからどう鶴凧をイノベーションするか。そこで私も、贈られた鶴凧に、引き継がせたい何かをまとわせようと考えたのです。
思い浮かんだのが、「活版印刷」の技法でした。
引き継がれた活版
アートディレクターという職業にとって、印刷はたいへん関わりの深いものです。オフセット、オンデマンドといった時代の流れから、鉛の活版を組み、圧力で印刷する「活版印刷」は姿を消しつつあります。
今回お世話になった「江戸堀印刷所」は、やむなく廃業した別の活版印刷工場から活字を引き継ぎ、2011年に立ち上げられた小さな印刷所。お店の奥に大切に保管されている活字を前に、店長の小野香織さんと鶴凧がまとう活版印刷について、試行を重ねました。
膨大な数の活字から選んだのは、さまざま○(マル)。鶴の象徴、頭の赤い丸として、また○は、始まりも終わりもないシンプルで動的な形。伝統が土地や人の間をころころと転がり、時間を継いでいく様を○に託しました。
膨大な活字のストックの中から、フォントや記号、号数問わずさまざまな○を探し出し、組版にした後、いよいよ印刷という段階で、印刷職人・長岡伸二さんに登場いただきます。印刷機は、1960年代の西ドイツ製。この機械も、懐かしく心地よい印刷の反復音を響かせます。
実は文章を印刷する活版では、ランダムな組みで模様を作り、印刷するケースは異例で、職人 長岡さんもはじめての試みだったそう。それゆえ、印刷の振動で組版が緩んでしまったりと、さまざまなアクシデントもありました。
大きい○、小さい○の2種の版をセッティング。黒、赤、蛍光イエローの3色を、版を変え、紙の向きを変え、何度も重ねて模様を作り出す半日越しの工程に、働くお母さんである店長の小野さんも、保育園へお子さんのお迎えのあと再び戻ってきてくださるなど、夜遅くまで大きなお力添えをいただきました。
活版印刷をまとった鶴凧
和紙に代わり、今回印刷に用いた紙は、江戸堀印刷所で多量に使われるアルミ版の間に挟まれるクッション代わりの紙、間紙(あいし)。通常は廃棄される紙です。トレーシングペーパーのような紙質で、とても気に入っています。
印刷を終え、活版ならではの風合いが刻まれた紙を、鶴凧の骨組みに私自らが貼っていきました。
最後に、この凧でインスタレーションを行い、カメラマンのヨシダダイスケさんと撮影を行い完成です。
古いものや技術は、時代の流れで、その場所に居続けることが難しくなりがちです。息づく場所や作り手を変え、大切に引き継がれている場面に、このプロジェクトでたくさん出会うことができました。
鶴凧の作り手・石村さんが、一番楽しい瞬間はよく飛んだときだね、と即答されたのが印象的でした。この鶴凧も、いつかどこかの空に揚げてみたいと考えています。石村さんが鶴凧を作りはじめたきっかけは「はまってしまった」だそう。そのシンプルで力強い答えを、最近よく思い出しています。
メーキングムービー
協力:秋庭隆貢(鶴田町役場)
写真:ヨシダダイスケ
映像編集:岡田能征(電通クリエーティブX)
音楽:te to hi