未来への提言No.2
MIT石井裕教授に聞く 知性、そして生と死(後編)
2016/06/02
前編に引き続き、MIT メディアラボの石井裕教授に、社会の未来を真剣に模索する電通の「5人衆」が日本の知性やクリエーティビティーなどについて迫った。
知力とは本質を捉える感性
山本:それにしても今、何かを知っていることがえらいとされた世界から、知らなくてもググりゃあいいじゃん、という風に変わってきていて、教育の観点でも記憶するより思考能力や分析力を鍛えなくてはいけない、と考え方がシフトしている。
でも一方で、知る喜びをどんどんそぎ落としているような気もしているんです。知るということは、記憶するということではなく、新しい世界をどんどん見つけて行くことなのではないでしょうか。そしてその「知ること」に対して、少なくとも私が知っている限り、石井さんは世界で最も貪欲な人です。
山上: 知性の、「ザ・キング・オブ・貪欲」(笑)。
山本:本当に、石井さん以上に知ることに対する貪欲さを持っている人にほとんど出会ったことがない。そのエネルギーは一体どこから来るのでしょう。
石井: 僕の「musicBottles」をご存知ですか。あれが生まれたのは、実は母に 「故郷札幌の天気予報の聞こえる青いガラス瓶」をつくってプレゼントする夢があったのに、1998年に母が亡くなってしまったときの悲しみがきっかけです。枕元のガラス瓶のふたを開けると自然の音が流れ出て、小鳥たちがさえずり歌っていたら晴れ、雨垂れの音なら雨の予報。母にとって透明なガラス瓶は、今のコンピュータとは違いとても身近な存在で、手で触れてそしてふたを開けることに喜びを感じられる。それを、日常生活に溶け込んだ「透明な」インターフェイスにしたものです。しかし、その母が逝ってしまったので、音楽をガラスの小瓶に入れました。
また、僕は文学が好きなんですが、高村光太郎は智恵子の死を悼んで、智恵子抄を記した。中原中也は幼少時、かわいがっていた弟の死に突き動かされて詩を書いたそうです。宮沢賢治は最愛の妹、とし子の死を乗り越えながら、「永訣の朝」など素晴らしい作品を生み出した。人の心の痛みや哀しみ、あるいは今の日本の状況の抱える不確かさ、そういうことを感じる感性が人間の知性なのだと僕は思います。
マズローの人間の欲求の五段階説って知ってますか?第一階層は生きて行くための生理的欲求で、食欲とか、睡眠ですね。ところで、最近新しく二つの層がその下に足されたのは知っています? Wi-Fi、そしてバッテリー(笑)。
冗談はさておき言いたかったのは、人間はみな根源的なものを共通に持っている。だから人の痛みを自分の痛みとして考えられる。それが知力です。健康で、お米を食べて、牛乳を飲んで、参議院選挙に行く(笑)。そういう完全な人間ばかりではないから、人生は面白いわけですし。
ディスラプティブな存在は徹底的に嫌われる
山本:先生はよく「出すぎた杭は打たれない」と言うじゃないですか。今の世の中は、ちょっと出た杭をみんなでたたきまくって、それでみんなで快感を得ている。常識をそのまま受け入れたほうが都合がいいので、うちでもある程度キャリアを積むと、あるいは下手すると若い内から、大体これをやっておけば問題ないよなというルールに流されて仕事をしちゃう。
でも、常識で通用しているものをあえて疑っていくというのは、クリエーティビティーの本来の...。
石井: 一番根本ですよね。
山本:はい。先生はお見かけしていると、結構生徒をたたきますよね。ぼこぼこにして、そこの中から這い上がってくるエネルギーをつけさせるような(笑)。
石井: 丹下段平と矢吹ジョーみたいな、ああいう感じ。あるいは、星一徹と星飛雄馬(笑)。
問題の根源の一つに、正解の存在が保証された問題を人より早く解くという受験システムがある。正解を当てれば褒められるわけです。正解が存在するという前提が、現実にはいかにナンセンスか。正解がないオープンクエスチョンを前にすると、途端にフリーズするのが残念ながら日本人の特徴です。優秀な学校を出た人ほど、変なことを言ったら嫌だなと考えると、何も言えなくなる。
例えば僕が30分一生懸命プレゼンして、「どうでしたか?」と聞くと「とても面白かったです」「ありがとう」という全くつまらない答えしか返ってこない。オリジナルな発想もないから、有意義な質問すらできない。質問がないということは、興味がないのと同じです。 最近は「君は今日何を学んだか、140字以内で言え。言えなかったら、今夜つぶやけ。明日までに50リツイートなかったら、もう来るな」と言ったりしています(笑)。
山本:生徒からすると恐ろしい(笑)。
石井: 例えばウーバーは、日本では絶対にできない。日本人の遺伝子の中に、根本的に権力にたてついてはいけない、人さまのものを奪っちゃいけないという感覚があ る。仮にAmazonみたいなサービスを考えついても、本屋さんを潰しちゃったら申し訳ないとか考えてひるんでしまう。ウーバーがすごいのは、どんどん戦う。弁護士を入れて訴訟でもなんでも受けて立つ。
山上: でも、絶対憧れはあるんですよ。半沢直樹しかり、ブラックジャックのようなアウトローしかり、体制に歯向かうヒーローは人気を得るわけじゃないですか。みんなそれに憧れて喝采を送るんだけど、自分はやらない。
石井: それは不思議でも何でもなくて、やると嫌われる、憎まれる。攻撃される。自分がかわいいから、やれない。でも徹底的にやればそれはいわば勲章です。久米宏さんだって、大好きなニュースキャスター、大嫌いなニュースキャスター、どっちもナンバーワン。田丸美寿々さんが昔講演で、自分はどちらでも3番か4番に 入っていた、だから久米さんには敵わないんだと語っていたけど、本当にディスラプティブな存在は徹底的に好かれるか、嫌われるかです。でも普通の人にとっては、嫌われるのはつらく、怖い。
山上: これだけ嫌われているんだから結構やれているんだな、という物差しにもなる。
石井: 称賛する連中がいることが大前提です。ウーバーとかジップカーがすごいのは、彼らには大義がある。サステナビリティーに貢献し、雇用を生み出し、まさにシェアードエコノミーの大潮流をつくりだした。既得権益からの攻撃批判は当然出る。でも攻撃しか来なかったら、それは何かがおかしいと疑うべきです。
墓碑に刻む「出杭力」「道程力」「造山力」
坂本:話は変わりますが、去年のSXSWで、マーティン・ロスブラット氏が人工知能がある個人の人格を持つようになれば、肉体が滅んでもその意思は生きていると変わらない状態でオンライン上に残る、と語っていました。仮にそのようなことが実現したら、死や寿命という概念は、どうなるとお考えですか?
石井:肉体が滅んでも、精神が不老不死という形で残ると?
坂本:そうですね。たとえば自分の思考や発信が丸ごと残るなら、もしかしたら、その人が生きているのと変わらない状況になるのかなと。
仮に実現した場合、ある意味永遠の命を持った人間はどうモチベーションを保ち、なにを目指すのか…。たとえば2100年、2200年の死生観は、今と変わってくるところはあるのでしょうか?
石井:ないです。人の精神が残るということは、起きっこないから。僕は技術者であり科学者なのでその見地から、人間の思想や知性がコンピューターによって存続し続けることはあり得ないと断言します。
坂本:おお、お答えに揺らぎがない。明快ですね。
石井: 僕はmortalである――、死を免れない存在であり、だから死ぬことがとても大事で、残りの20年を一生懸命に生きなければならないと思っています。いちばん恐ろしいのは、締切が延びるとだらだらしてしまうこと(笑)。死んだらすべてはフリーズする。だから今のこの一瞬を真剣に生きるんです。
そういえばこの前、墓碑銘の金文字を考えたんですよ。
坂本: そうなんですか。ずいぶん早い気もしますが…どんな言葉を?
石井: 「出杭(でるくい)力」「道程力」「造山力」の3つです。僕が以前から、ぜひこれらを胸に成長してほしいと、学生に話している言葉です。
出杭力は“出る杭は打たれる”ことがないように、誰も打てないところまで出てしまう力です。道程力は、高村光太郎の「道程」という詩、「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」からもらいました。そして造山力は、僕自身のMITでの経験から。前人未到の山を登るのだと思ってやってきたら、そこには山はなく、まず登る山を自分の手で造るところから生存競争が始まりました。
ただ、墓碑銘の話にはオチがあって、家内に「そんな墓には入りたくない、安らかに眠れないから」と言われました(笑)。
山本:確かに、死してなお奮闘するイメージ(笑)。
石井: 僕も、自分のメッセージが残るbotはつくっていますよ。でもこれは人工知能でもなんでもないし、仮に精神を存続させると思わせるような媒体ができても、それに人が人生の価値や人格を認めることは、たぶんないだろうと思います。だから、昔も今もそしてもこれからも、誰もが死を迎える。人生は有限なんです。
山上: この残り少ない感じを皆が実感できれば、毎日が有意義になるんでしょうね。でも若いときほど時間は有限だと想像もしない。
山本:墓碑銘を考えるというのは大事かもしれないね。死をイメージするという意味では。小学校の必須科目で「辞世の句を詠む」みたいな。
でも、墓碑銘が必要になるのはまだまだ先のことですね。まさに今年60歳の節目を迎えられましたが、世の中では一区切りとされる年代になってもますますアグレッシブでいらっしゃる。今日も示唆に富んだお話を本当にありがとうございました。
石井:こちらこそ。また議論しましょう、僕はいつでも前陣速攻・真剣勝負ですよ。