Experience Driven ShowcaseNo.61
音楽とは空間と時間をつくること:渋谷慶一郎(前編)
2016/04/18
「会いたい人に、会いに行く!」第6弾は、国内外で先鋭的な電子音響作品を次々とリリースしている作曲家・アーティストの渋谷慶一郎さんに、電通イベント&スペース・デザイン局の藤田卓也さんが会いに行きました。以前から渋谷さんのつくる楽曲の大ファンだという藤田さん。音楽にとどまらず、さまざまなアーティストとのコラボレーションや音の空間プロデュースまで手掛ける渋谷さんの思想にどれだけ迫れるか? スリリングな対話となりました。
取材・構成編集:金原亜紀 電通イベント&スペース・デザイン局
空間に、どう音楽を存在させるか
藤田:日頃プランニングの基点をいろいろ探る中で、音楽というものをいま一度整理して、自分の蓄えにできたらと思っています。今日はクリエーションをするときの発想の源泉をお伺いしていきます。
イベントの企画では、照明と音は予算が切られがちなのですが、音はものすごく大事だと思います。人間は音から情報を得る部分が多いじゃないですか、もしかしたら視覚より多いかもしれない。
渋谷:どういう音や音響がいいかということは、結局言い切れないと思う。僕が最近、衝撃を受けたのはドーバーストリートマーケット。館内放送で音楽をかけるのをやめてiPhoneを差したラジカセみたいなコンポをぼこぼこ置いて、音楽を鳴らしているんですよ。館内を一つの音楽で統一するのをやめた。
※ドーバーストリートマーケットギンザ:ファッションデザイナー川久保玲氏がディレクションするコンセプトストア。
これは商空間の場合、どうせ大したスピーカーを入れられないのなら、決してハイファイの音ではないけれど、サテライト的、同時多発的に音を鳴らす方が現代的なリアリティーがあるということだと思うんです。それはディレクターの川久保玲さんの明確な方向性というか同時代性に対する感覚なのかもしれないですけど、多分20年後の究極にシンプルなセッティングがこれなんだろという、未来から今を見た視点なのかもしれないと思ったりもします。
僕は美術やダンス、ファッションともいろいろコラボレーションするけれど、究極的には彼らは「音楽なんてどうでもいい」と思っていますよ(笑)。どうでもいい、というのは自分のクリエーションに比べてという意味ね。逆に音楽が大事にしてもらえるのは、コンサートとかオペラのような音楽中心のイベントだけです。美術家にとって大事なのは美術で、自分の作品。視覚が重要で音なんかなくてもいいんです。
でも、なくてもいいものを、なきゃいけないものにするとしたら、どういう方法があるかを考えるところから、僕のコラボレーションが始まる。これは今思いついていない、音と何かの関係をつくり出すということです。ですから、ことさら音の優位性とか、どんなときだって音楽は大事だなどと言う気はない。いっそ音はなしにしましょうとか、音をイメージさせるスピーカーだけ置きましょうとか、そういうこともあります。
藤田:なるほど。面白いなあ。そういうつき合い方もありますよね。例えば高音質にしたとしても、お客さんも実際はほとんど分からないですし。
渋谷:でも、圧倒的に質がいいのは分かりますよ。どんな素人でも、未経験の人でも、ギャルでも老人でも、誰でも分かりますよ、圧倒的な音の良さは。でも圧倒的じゃないと分からないでしょうね。
「リアリティー」と「スピーカーのリアリティー」は、使い分けて考える
藤田:渋谷でやった時のボーカロイド・オペラ「THE END」に行かせてもらいました。ノイズミュージックも取り入れているのに、全然耳が痛くならないですね。
渋谷:サウンドシステムは、予算にすごく左右される。「THE END」の場合はオペラだから、音楽がもちろん一番大事です。渋谷のBunkamuraでやったときのPA機材は、横浜アリーナでロックのコンサートをやるときと同じくらいの規模のものを入れました。アリーナでコンサートやるのと同じ物量を入れてやるのは、アリーナみたいな音にしたいからじゃなくて、余裕を持って鳴らさないと特に電子音楽は耳が痛いんです。金切り声みたいにならないように、ぎりぎり余裕を持って音を出すには、100台以上スピーカーを持ち込んで総量8トンになりました。でも、それが必要なのです。
逆に、最近だと年末に青山のスパイラルホールで比較的規模の大きなピアノソロのコンサートをやる前に、本当のアンプラグドを小さいホールで2日間だけやってみた。一晩100人と人数がすごく少ないから、告知もしなかったんだけど一晩でチケットが売り切れてほとんどの人は体験できなかったんだけど(笑)。音がいいのは当然で、スピーカーも使わず固体振動というか、ピアノを弾いてそのモノが実際にたたかれて揺れているのを同じ空間で体験するのはすごくぜいたくでした。で、スピーカーを使って楽器がつくる空気振動に近づける、もしくはそれとは違うディレクションを示すのはハードルが高いのですけど、それにトライしたのが年末のスパイラルホールのピアノソロでした。状況によってはっきり使い分けていますね。
自分の作品をやるときは、完全に満足いくセッティングじゃないと嫌だけど、例えばクラブイベントなんかの場合はスピーカーを持ち込むのは不可能だし、じゃあやらなければいいかというと発見もあるし、やりたいじゃないですか(笑)。だから、ほとんどコンピューターからマーシャルのギターアンプに突っ込んで鳴らしているようなチューニングしたりしてます。映像も薄っ茶けたプロジェクションは嫌だからストロボの点滅だけとか。ピアノだったらすごく新しいPAの仕方を試すかアンプラグドでやるか。そんなふうに使い分けてます。
藤田:空間の広さ、例えば教会みたいなところでやるのと、ライブハウスでやるのとは違うじゃないですか。シチュエーションによる部分ではどうですか。
渋谷:音楽というのは空間と時間をつくることだから、まず場所ありき。場所に最適化するようにしますね。例えばいいPAの人はすごく照明を気にします。PAのエンジニアと打ち合わせして、入ってくるなり最初に照明をチェックする人というのは、いいPAエンジニアです。スピーカーがどうとか、電源がどうとかずっと言っている人は、大体だめなPAエンジニアですね(笑)。聞こえ方は環境にすごく左右されるというのが分かっているかどうかなんですけど。
昔、クラシックのコンサートホールで完全にアンプラグドでやったときに、真っ暗にしてみた。なかなか完全に暗くならないから、スポットライトも消して譜面灯だけで、もう本当にぎりぎり譜面が僕も見えるか見えないかくらい。そうしたらたらお客さんのアンケートで「スピーカー何台使っているんですか? どういう立体音響なんですか?」とか書いてる人がたくさんいたんです(笑)。何も通してなくても、真っ暗で視覚を奪われて音に集中すれば、勝手に音が立ち上がっているように聞こえたりもする。
藤田:引き算ですね。目が不自由な方が聴覚が鋭くなったりすることも、あるそうですしね。
渋谷:そう、あると思います。僕はまさに、視力はすごく弱くて、コンタクト外すと何も見えないのです。ベッドからトイレまでも行けない(笑)。でも、朝起きてメガネをかけるまでの何も見えない時間、耳だけというか感覚だけみたいな空白の時間というのは、僕にとってすごく大事で、レーシック手術しようかなと思うんだけれど、あの時間がもったいなくてできない(笑)。
「場所」のディレクションを、アーティスティックディレクターに任せたら?
渋谷:空間と音ということでいうと、日本で気になるのは劇場のディレクションがはっきりしないことです。「こういうことをやりたいんだ」という主張、コンセプトをはっきり持っている場所が少ない。それは僕から見ると心細いというか、もったいなく見えます。2020東京オリンピックに向けて、ハコモノがどんどんできるじゃないですか。今のやり方でいくと無駄なものが大量にできるということになりますよね。それぞれの場所でアーティスティックディレクターを明確に決めて、責任持ってやらせるべきです。
アーティストのプロデューサーって、日本の場合は名前貸しみたいなプロデュースが多いけど、プロデュースの半分くらいは予算の管理というか対費用効果ですよね。例えば、僕がこの前やった「Digitally Show」という「MEDIA AMBITION TOKYO」のオープニングライブイベントの場合、出演者のギャラを含めた予算を預かった上でコンテンツを決めています。何人にしてくれとも言われてなくて、「予算これだけです。ギャラも配分してください」と言われて、予算内でどれだけクオリティー高いものを見せらるかということです。こういうことができないアーティストはだめだということは全くないんだけど、任せて面白いことをできるアーティストにはやらせた方がいいと思います。※MEDIA AMBITION TOKYO (MAT) :最先端のテクノロジーカルチャーを東京から世界へ発信することをテーマに、2013年から六本木ヒルズをはじめとした会場で実験的な都市実装の試みを行っている。
なぜかというと、そうじゃないやり方は、日本の場合あまり成功を期待できないんです。劇場のキャラクターがそんなに強くないし、KAAT(神奈川芸術劇場)とかYCAM(山口情報芸術センター)とか幾つか方向性が明確なところはあるけど、この劇場ってこういうカラーだよねという個性を感じさせるところは本当に少ない。
藤田:確かに海外には多いですね。
渋谷:僕はパリでは、シャトレ座というところをレジデンスにしているけれど、彼らは新しいものも古典的なものも、オペラもミュージカルも全部やる。現代においてクオリティー高いものをやるんだという明確なビジョンがある。劇場がクリエーションのリアルな現場であり、文化のコアになっている。劇場に実際に人が集まって、遅くまでわいわい、かんかんがくがく議論してつくっていくという経験のプロセスがある。それはネットが進化しても、唯一絶対なくならない「場の価値」だとは思います。こういうと保守的に聞こえるかもしれないけど。
藤田:クリエーティブは、効率化なんか絶対できないですからね。
渋谷:できない。日本の場合は誰がこれを考えて実行しているのかをもっと明確にしないと何も変わらないでしょうね。劇場の芸術監督といっても実際どこまでの権限があるのかあまり見えない。2~3年の契約でアーティストを決めちゃって、予算も大まかに任せてプログラム組ませるということをやっていかないと個性のない場所ばかりがどんどんできて、日本の文化状況ももっとつまらないことになる気がしています。
※後編につづく