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【続】ろーかる・ぐるぐるNo.85

情報と知識、そして知恵

2016/06/23

ショーンくんはペンシルベニア大学の学生さん。日本に留学していた時に知り合い、今月また遊びに来たので会うことに。メールで「何を食べたい?」と聞いたら「大トロが好きです」と。なんて生意気な!と腹が立ち、「これが日本のサラリーマンの現実だ」と新橋を連れまわそうかとも思ったのですが、彼の人懐っこい笑顔を思い出すと…甘いのかなぁ。旨いお刺身目当てで、築地の居酒屋に連れて行ったのでした。

聞けばショーンくん、この6月で卒業。来月からは世界的なエンターテインメント企業で働くのだとか。よその子の成長はホント早いですね。すっかり知的にたくましくなっていました。

嫉妬なく、まぶしく感じるのは、ぼくが年を取ったせいなのでしょうか。

さて。コンセプトをつくる際、手に入れなければならない材料のことを、前著『アイデアの教科書』では「一般的知識と特殊知識」と記述していたのですが、今回『コンセプトのつくり方』では「一般的資料と特殊資料」に変更しました。J・W・ヤングのベストセラー『アイデアのつくり方』の中でも「一般的資料と特殊資料」となっているので、元に戻しただけですが。手に入れるべきは「資料(≒情報)」なのか、「知識」なのか、とても細かい点ではあるものの、本を書く楽しみのひとつはこんなことで悩むことにあります。

手元の広辞苑(第五版)を開くと、「情報」とは①あることがらについての知らせ②判断を下したり行動を起こしたりするために必要な、種々の媒体を介しての知識、だそうです。一方、「知識」はある事項について知っていること。また、その内容とあります。とするとどっちにしろ一緒じゃん!なのですが、少なくとも経営学の議論では、両者はしっかり区別されているようです。

イノベーション研究で世界的権威の野中郁次郎先生によれば、知識とは「意味のある情報」を指します。そしてその「意味」を読み取るのは人間の主観であり、その主観が人により異なるからこそ新しい「知識」が創造される、ということです。つまり野中理論によれば、コンセプト創造に必要なのは「知識」です。意味を読み取られれていない「情報」では役立ちません。それで以前はぼくも「材料となる一般的知識と特殊知識を集めよう」などと書いていたわけです。

ところがある学生さんから、集める材料自体は「情報」なのではないか?それを身に付けて、意味を見いだしてはじめて「知識」になるのではないか、という指摘を受けました。なるほど。たしかに「知識を集める」という言い方には若干の飛躍があるので、近著では「情報」に近い「一般的資料と特殊資料」という記述に改めました。

個人的には昨今の「ビッグデータ」ブームを、少し離れて見守っています。もちろんそれらは思考の材料として大いに役立ち得るのですが、それはあくまで「情報」。意味のある「知識」ではないからです。どれだけ技術が進歩しても、「情報」を「知識」に変換できるのは「ヒト」だけだとするなら、コンピューターが自動的に最善の打ち手を確定してくれるというのもある種の神話。有益な側面と同時に、「思考停止」のリスクを危惧しているからです。

「情報(information)」に「意味」が加わったものが「知識(knowledge)」だとするなら、それにもうひと味加えたものが「知恵(wisdom)」でしょう。広辞苑によれば「人生の指針となるような、人格と深く結びついている哲学的知識」のことです。

作家の阿川弘之さんによれば、「知識」と「知恵」の大きな違いは、そこに「ユーモア」があるかどうかだそうです。この「ユーモア」というのも、考えれば考えるほど難しいテーマですが、その辺のことは、また次回。

どうぞ、召し上がれ!