「届く表現」の舞台裏No.12
京都・大徳寺 大慈院副住職
戸田惺山氏に聞く
「竹の茶室」のマジック
2016/11/28
「『届く表現』の舞台裏」では、各界の「成功している表現活動の推進者」にフォーカスします。今回は、一般的な茶室の概念にとらわれず、竹だけで組み立てた茶室「帰庵」でお茶をふるまう戸田氏に、この茶室から生まれる豊かな世界について伺いました。
「帰庵」と名付けた竹の骨組みだけの茶室です。これを各地で組み立ててお茶をたてる活動を、2年ほど前から始めています。私がもともとアウトドア好きだったこともありますが、効率優先の現代で「待つ」という時間の大切さを見直したかった。例えば山に登って頂上に立っても、とかく頭の中は下りるという次の行程を考えがち。よりじっくり「その場」を味わいたい気持ちから、せめてお湯の沸く時間だけでも待ち、お茶をたてて飲んでみようかと。
茶室の形はそぎ落としてそぎ落として限りなくシンプル。改良を重ねて現在のものは総重量5.5キロです。部品を束ねて一人で背負えます。飛行機にも持ち込めるサイズですので、海外にも持っていけます。これまで、川辺・海辺・広場・山・屋内、昼も夜も、さまざまな環境で茶会をやりました。荒天でも、雨具を着て実施するんですよ。車で行けるエリアから少しでもいいから離れて、担いで歩いて組み立てるのが基本です。いつかは帰庵と共に「日本百名水」巡りを達成するのが夢です。水をくんで、その地の和菓子を頂き、みんなでお茶を飲みたいな、と。
茶会は仲間内で行ったり、参加者を募ったり、通りすがりの方々を巻き込んだり、いろいろです。靴を脱いでこの茶室に入り、お菓子を食べてお茶を飲む。ただそれだけの行為。ところがそこには、なぜかそれ以上の充足感が生まれます。ゆっくりとお茶を飲むうちに、心のざわざわが静まっていく。すると、周囲の自然の音がはっきりと聞こえてくる。目の前の風景や、隣の客人、亭主の私と、不思議と楽にコミュニケーションが取れるようになる。中には、感動して涙を流して茶室を出る方もおられます。
今年7月には、地震で被災した熊本にこの帰庵を持ち込んで、壊れた熊本城の天守閣が見える場所でチャリティーの茶会をやりました。熊本城の修復を祈り、多くの人と語り合いました。地元の方々から「こんな復興支援のやり方があるとは気付かなかった」と言われました。お茶を飲んで思いを語り合うことで、きっと気持ちが落ち着かれたのだろうと思います。
京都には昔からお茶の文化が受け継がれていますが、コミュニケーションで心が落ち着く、これが原点かと思います。お茶にいろいろと作法があるのは、お互いが気持ちよく過ごせるよう、全体の流れがスムーズに運ぶためのものでしょう。茶室という舞台で亭主も客人も役者として振る舞う。そこには普段の生活にない心持ちが発生します。
「市中の山居」というのがお茶の考えにあります。都会生活をしていてもその中に自然とのつながりを取り入れようとするもの。京都には美しい庭を持つ茶室が数多くありますが、寺に住んでいる者から見れば、庭とはいわば100パーセント人工の自然的構造物。庭は、人間が丹念に手を入れて作り上げて住居に取り入れて維持していくものです。帰庵の発想は茶室の方を天然自然の中に持ち込む、ちょっとした逆転の発想なんです。
帰庵のいいところは、茶室としてミニマムで不完全なところ。そして野外に持ち出すので高価な道具なども必要でないところ。こうした要素は、逆に客人の想像力を引き出すエンジンにもなります。帰庵は、想像力が完成させる茶室ですね。文字通り敷居の低い茶室なので、細やかな知識はないけど日本文化に興味を持つ外国人や若い人も近づきやすい簡単なお茶文化の事例。これから日本文化に接してみたいと思う方々への入り口のひとつとしても、こうした新しいカタチがあってもいいのでは、と思います。