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エンジニアであり、アーティストである、デザイナー

  • 山中 俊治

2017/05/25

エンジニアであり、アーティストである、デザイナー

学生時代は、まんがくらぶ。テクノロジーとアートの境界を行き来しながら、デザインの可能性を広げる山中俊治さんに話を伺いました。

山中研究室で
山中研究室で

とことん調べます

一般的にデザイナーというと、いきなり何か絵を描いて考えるという感じに思われるかもしれないけど、実は絵を描くのは結構後で、とことん調べますね。

新しい考え方で物をつくるためには、そのベースになっている技術とか、生活空間とか、つくり方とか、そういうものに精通していないと駄目だと思っています。だから工場見学にも行きますし、市場調査もしますし、使ってもみます。工場見学はなかなか良くて、どうしてそういう形に今までのものがなっているかとか、よく分かってきます。技術の素性というか、中核になるエレメントがあるんですね。その部分が見つかると、変えても良いところが見えてくる。

例えば、プロダクトデザイナーの秋岡芳夫さんという人がエッセーに書いていますけど、お椀(わん)は直径12㌢を超えるものはあまりない。なぜかというと、親指と中指で両側をつかんで持ち上げられるというのが基本なので、それを超える大きさは、汁椀には向かないですよと。そういう、人と物との関わりで寸法が決まっていたり、形が決まっていたりするんですよね。

絵を描くときでも、いきなり外観を描くんじゃなくて、エレメントをどう置くかを考えて描く。例えばディスプレーとボタンがなきゃいけないとしたら、それは本来どこにあると一番いいんだろうかとか、機能的な配置を考えます。美しさの根幹は、そのような空間構造にあって、ファンクショナルな構造が最適化されていると美しいものに持ち込みやすい。

そうやって既存のものを理解した上で、そこから離れられるにはどうしたらいいとか、この機能を抜いちゃったらどうなるかとか、そんなことも考えます。

ロボットをつくる意味

2000年ぐらいかな、歩くロボットがはやり始めた頃ですけど、もっと静かな、知的な存在としてデザインしたロボットもありじゃないかなと、人の動きに反応して体をひねって見るというだけのロボット「Cyclops」をつくってみました。結構評判よくて、日本科学未来館に展示されたり、オーストリアのアルスエレクトロニカセンターというミュージアムのパーマネントコレクションになったり、愛知万博の中部千年共生村に展示されたりしました。すでにわれわれの労働の代替としてのロボットは存在するけど、ロボットがもっと身近になる未来を考えると、まるで考えているみたい、つまり頭脳を持っているみたいとか、生き物みたいという見え方もすごく大事なんじゃないかと思って、そう見えるエレメントって何だろうと。

他にも、研究者と一緒に新しいビジョンを伝えるためのロボットをつくっています。ロボットの構造から考えると何か未来が見えてくるんじゃないかなと考えた。それらはアートピースに近くて、問題を投げ掛けるためのものでもあります。

仕事の半分ぐらいは一個しかないものをつくっています。量産品と半々ですね。ただ、技術者として常に新しいテクノロジーとの関わり方を考えてつくっている部分もあるので、そこは純粋なアートと若干違うかもしれない。

Cyclops 写真=清水行雄
Cyclops 写真=清水行雄

デザイナーという仕事

僕は、デザイナーというのは人と人工物、ないしは人工環境との関係を設計する人間だと思っていて、それはエンジニアであってもアーティストであっても構わないんだけど、全部一遍に考えられるハイブリッドな人間である必要があるんですね。

例えば、コンダクター=指揮者は、全楽器に精通してなきゃいけない。統合家としてのプロフェッショナリティーですね。専門の演奏者にはかなわないとしても、だからといって、「太鼓のことしか知りません」ではコンダクターになれないじゃないですか。

テクノロジーとかアート的なものとか全部統合して「デザイン」と僕は呼ぶから、機能、つくり方、人々の印象、使い方、さまざまなフェーズをぐるぐる自分の中で意識的に切り替えて回しながら、ちょっとずついいものにしていきます。

アートの創作プロセスと技術者の答えの出し方というのは、全く違うわけです。前者は主観中心で内面中心で最終的に共感されるものですけど、後者は客観中心で実験検証中心でなるべく自分の主観を排して正確な答えを出す。その二つのやり方は一遍にはやれないんです。混ぜちゃうと、機能も追求できないし、妥協点しかなくなっちゃう。だから、妥協しないで、それぞれにとがらせていって、たまたま出合える場所を探す。すごく格好よくて、ファンクション的にも最高の場所が見つかるかどうか、ですね。

万年筆を使った楕円のスケッチ
万年筆を使った楕円のスケッチ

手と紙と脳

僕の中では、大学時代に漫画を描いていたというのはすごく大きくて。漫画って、あらゆるものを描くじゃないですか。ストーリーも、キャラクターも、そこに登場するコーヒーカップも街も、みんな描く。その感覚が、僕のデザインの中のベースになっていますね。

また、人工物の中には円筒がすごく多くて、丸とか楕円とかが上手に描けないとアイデアに結び付かないから、自然にサラサラと描ける必要がある。例えば複雑に回転体がからみ合うリンクのような構造を考えたときに、よどみなくそれが描けてしまうことは、アイデアメーキングの基盤になります。

手と紙と脳とでループがあって、それは思考回路の一部みたいな感触はあります。構造とか、仕組みとか、レイアウトとか、3次元空間を操るためには、それを2次元に定着させるメモが必要で、デザイン作業全体に関わってくる。

そういう意味では、昔自分がやりたかったことをやっている実感はありますね。ただ、当時は野球漫画を描いていたけど、今はメカしか描いていない(笑)。