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Dentsu Design TalkNo.95

「アンチ・デザインシンキング」―輸入した考え方に踊らされないための方法論―(前編)

2017/06/09

坂井直樹さんは1980年代から、さまざまなヒット商品、そしてデザインを生み出してきたコンセプター。単にうわべだけをデザインするのではなく、商品の哲学、世界観、その全てを戦略的に体系付けて、クライアントも含めたチーム全体をモチベートしてきました。「コンセプト」という言葉をメジャーにした先駆者でもあります。また、電通の倉成英俊さんがリーダーを務める電通総研 B チームは、私的活動/趣味/大学の専攻/前職などを通じて、一芸に秀でた40人の社員を束ねたシンクタンク。2014 年7月の発足以降、独自のリサーチを通じて開発した新しいコンセプトを 『Forbes』 などで発表し、2年で50以上のプロジェクトをコンサルティングしてきた集団です。今回、その両者が話すのは「コンセプトを輸入するな! 他人のコンセプトを簡単に引用するな!」というアンチコンセプト流用。つまり「アンチ・デザインシンキング」です。つい陥りがちな、知識先行型のメソッドを解体し、柔らかくアタマをもみほぐすセッションです。

2人写真(前編)
(左から)ウォーターデザイン 坂井直樹氏、電通 倉成英俊氏

コンセプターとはどんな仕事なのか?

倉成:皆さんご存じの通り、坂井さんは元祖「コンセプター」という肩書で一世を風靡(ふうび)されました。コンセプトを軸に、どんなふうにお仕事をされてきたか、まずは話していただけますか。

坂井:最近「何屋さんですか」と聞かれると、「実態はクリエーティブの代理店ではないでしょうか」という言い方をしています。もっと具体的に言うと、大企業のデザインセンターが僕のお客さんで、そこが求めるものは何でもつくりますよ、ということです。しかも、そこが求めるものは時代が移り変わるごとに、どんどん変化していくんですよ。

倉成:どう変化していくんですか?

坂井:1980年代から90年代に求められたのは、プロダクトデザインでした。しかし95年にインターネットが一般に登場して、その後にiPhoneがさまざまなハードウエアを吸収してプロダクトの形は求められなくなってしまいました。つまり「もの」の時代が終わったんです。そこで当時は、大学でキャリアエンパワーメントやインサイトの構築法などを教えていました。

最近は、企業に対してクリエーティブなチームをつくるためのアドバイスをする機会が多いです。あとは、僕が面白いと思う人材を企業に紹介する仕事もしています。さらに、デザインリサーチといって、外資系メーカーに日本人のデザイン観をまとめた資料を提供するようなこともありますね。

今一番売れているのは、グロースハックに関連する業務です。ウェブサイトを改修して集客率を2~3割高めて、利益を1~2割増やすような仕事をしている会社のエージェント業務や、ベンチャー企業のためのプロトタイプ開発のコンサルティングですね。若いクリエーターの育成を依頼されることもあります。

お客さんが僕に求めるのは、沈滞したクリエーティブを刺激したり、チームのモチベーションを引き上げること、それからイノベーションだと思います。

坂井氏 前編

倉成:さすが業務範囲がメチャクチャですね〜。坂井さんの肩書である「コンセプター」の由来について少しお話しいただけますか。

坂井:実は「コンセプター」という肩書は、僕がつくった名称ではないんです。昔、スターダストプロモーションの細野義朗社長から、僕をテレビに出演させたいので、どんな仕事をしているのか、聞かれたんです。その時に「コンセプトワークをやっています」と答えたら、「長いから、コンセプターにしよう」と。

これまでコンセプトを提供してきた商品は、仏壇から自動車までさまざまです。過去に4台の自動車開発に関わっていますが、もし僕がデザイナーという肩書だったら、絶対に開発に関わることはできなかったと思います。「コンセプター」という曖昧な領域にいるからこそ、コンセプトは僕の担当で、デザインは御社のデザインセンターの担当でというすみ分けができたのです。

例えば、僕が考えた日産自動車「Be-1」のコンセプト「デザインを退化させよう」は、それまで四角い車しかなかった世界の自動車市場に丸いフォルムが出てくるきっかけになりました。オリンパスのオートカメラ「O-product(オープロダクト)」は、黒いプラスチックしかなかったカメラの世界にアルミニウムを採用して、銀色のデザインのカメラを市場に投入しました。このように「0から1を生む」ことがコンセプターの仕事です。

日産自動車「Be-1」
日産自動車「Be-1」
オリンパス「O-product」
オリンパス「O-product」

倉成:お会いした時に、我田引水のために「コンセプター」を名乗られたのではないと知って「信頼できる方だな」と思いました。

坂井:それはありがたい。我田引水だったら、ただの詐欺師になりますからね。

倉成:ただ、そういう「偽もの」も多いじゃないですか。僕らの世代や若い子にも、肩書に「コンセプター」と書いているやつがいるんですよ。

坂井:そういう人は、たくさん見ています(笑)。

倉成:坂井さんは、元祖だからいいんです。どうしても「コンセプター」と名乗りたいのであれば、坂井さんに弟子入りして実績を上げて「のれん分けしてください」と言うべきだと思うのです。

何もなしに肩書に「コンセプター」と書いて稼ごうとするのは、倫理に反していると思います。それに、クリエーティブで勝負するのであれば、他人のふんどしではなく、はみ出してもいいから、自分でつくった肩書を名乗る方がいいですよね。

坂井:確かに、僕はツールも手法も全部、自分でつくってきました。ただし、それは僕がどこかの企業に入社した経験が一度もないため、その会社のフォーマットを活用するチャンスがなかったからだとも思うのです。もし大企業に入っていたら、そこの手法を使ったかもしれません。

「情報×情報」でイノベーションが生まれる

倉成:やはり、僕はコンセプトや概念を扱う仕事をするなら、「手法やツールは自分でつくろうぜ」と言いたいですね。

僕らは「目標の実現にはこの人が必要だ」「この人と仕事がしてみたい」と思う人を社内外から引き入れて、チームで仕事をしています。僕らみたいに広告の基礎とプロダクト、空間デザインの経験を持つ人間は、かなり少ないんです。そこで、総合プロデュース的な仕事を徐々に依頼されるようになりました。

「APEC JAPAN 2010」首脳会議の総合プロデュースや2011年以降の「東京モーターショー」の再復活戦略、世界最大の経済の国際会議「IMF/世界銀行総会」のジャパンプレゼンテーション、「佐賀県有田焼創業400年事業」の産業復活プロジェクトなどです。プロジェクトを実施する背景をしっかり握った上で、社内外の人材やクライアントのリソースを組み合わせて、プロジェクトのゴールを達成することが仕事です。

僭越ですが、手法こそ違いますが、カテゴリーは坂井さんとすごく近いのではないかと思っています。僕らはクリエーティブのシンクタンクではなく、インスパイアタンクだと言っています。

倉成氏 前編

坂井:どんなメンバーがいるのですか。

倉成:8人のメンバーでスタートしたBチームは、現在40人になりました。例えば世界的DJやショートショート小説家など、それぞれバックグラウンドが違います。全員がリサーチをしなくても1次情報をくれる情報通で、一緒にいるとインスパイアされます。

電通に入社した時にイノベーションは「情報×情報」で生まれると習いました。その後仕事をする中で本当にその通りだなと思い、異なるジャンルの情報収集が得意なチームを立ち上げました。さらに集めた情報からコンセプトメークして、クライアントはもちろん社会に提供しています。

今、特に重宝されているのが、アイデアを生むオリジナルメソッドです。たとえば、「10ジャンル同時ブレスト」。Bチームのメンバーから10人選んでもらい、10ジャンルで一気にブレストし、超短時間で多視点のアイデアを生みます。超効率的です。ほかにも、クライアントの未来の商品が出てくるSF小説をみんなで書く「ショートショート発想法」、1人のためのプロダクトを生むところからはじめる「Prototype for One」など、今30個のオリジナルメソッドで、新しい何かを生みたい!という方々のお手伝いをしています。メンバーそれぞれの才能やクリエーティビティーを世の中のために発揮していくことが、Bチームが掲げるビジョンです。その情報収集の会議を「ポテンシャル採集」と呼んでいますが、そこに坂井さんは7カ月連続で来てくれているんですよね。

坂井:1回行けなくて、皆勤賞を逃したのが残念です。

倉成:どのメンバーよりも皆勤賞に近いですよ。坂井さんが、自分の好きな人たちと一緒に、まるで革命を起こすように仕事をしている姿に、すごくシンパシーを感じます。

Bチームも、それぞれが自分の好きなステージに立って、新たな仕事に取り組んで、成果を上げているのを見ると、すごくうれしい。「好きこそものの上手なれ」が、いかに効率がいいかということがよく分かります。

※後編に続く
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企画プロデュース:電通ライブ クリエーティブユニット第2クリエーティブルーム 金原亜紀