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アートで価値をつなぐ「美術回路」プロジェクトNo.4

アート・市民・行政の対話。ミュンスター彫刻プロジェクトに学ぶ、地域とアートの関係

2018/02/14

こんにちは。アートに関するプロジェクト「美術回路」を担当している電通の東成樹です。美術回路は社内外横断組織で、メンバーにはコレクターや研究者、さらにアーティストもいます。2017年3月7日には「アートで仕事をつくる」をテーマに講演会を開催し、社内外から200人が参加しました。

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業種や職種に関わらず大勢が参加し、アートへの関心の高さがうかがえた(撮影:横浜スーパー・ファクトリー)

日本のアート・マーケットはもっと大きくなる余地があります。私たちのミッションは、アートにまつわるさまざまな人々をつないで、「回路」をつくること。日本の作品が国内外から批評され、価値が上がって美術館やコレクターの手に渡っていく、という循環を生み出すことで、アートの価値を上げていくお手伝いをしたいと考えています。

お問い合わせ:美術回路  kairo@dentsu.co.jp

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2017年は、10年に1度の芸術祭の年でした。2年に1度のベネチアビエンナーレ(イタリア)、5年に1度のドクメンタ(ドイツ)、そして10年に1度のミュンスター彫刻プロジェクト(ドイツ)が重なっていました。

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日本でも地域芸術祭が盛んで、歴史ある世界の芸術祭から学べることはたくさんあります。そこで私はプレスとしてミュンスター彫刻プロジェクトとドクメンタを2回ずつ訪れ、地域の可能性を生かした芸術祭とは何かを探ってきました。行政と協力した芸術祭において、アートの独立性は保たれるのか? キュレーターと行政・スポンサーとの関係は? 地元民の理解は得られているのか?

これらの問題意識をもとに、ミュンスター彫刻プロジェクトの運営チームの代表、イムケ・イッゼン氏をはじめ3人の運営者に話を聞きました。

記事の前半では、この10年に1度の芸術祭の代表的な作品を紹介。後半では、運営者のインタビューをお届けします。
 

始まりは、抽象彫刻への市民の抗議

まずは、ミュンスター彫刻プロジェクトの成り立ちを紹介します。

ミュンスター市は73年、ジョージ・リッキー氏の作品「Three Rotary Squares」の購入を13万ドイツマルク(1346万4100円※総務省統計局[以下同]による73年のレート:1マルク=103.57円で換算)で計画しましたが、「一体、何だこれは?」と市民から厳しいコメントが殺到しました。ミュンスターは伝統的にカトリック教会の影響力が大きく、保守的な土地柄で、当時は現代彫刻への理解が進んでいませんでした。

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ジョージ・リッキー“Three Rotary Squares”(75年)

市民の反応を見たミュンスター市は作品購入を中止。代わりに現地の州立地方銀行が購入し、市に寄贈しました。それでも市民は銀行に抗議をしたそうです。

抗議を見たウェストファーレン州立美術館のキュレーター、クラウス・ブスマン氏は現代アートへの無理解を嘆き、市民に現代彫刻の魅力を伝えなければと考えました。そこで、当時ニューヨークにいたカスパー・ケーニヒ氏(ミュンスター彫刻プロジェクトの、現在のアーティスティック・ディレクター)に声をかけました。当時、キュレーターのハラルド・ゼーマン氏のもとで「ドクメンタ5」(72年)に関わるなど現代アート界で活躍していたケーニヒ氏は、ミュンスターが属するノルトライン・ウェストファーレン州生まれでもありました。氏は当時の最先端アーティスト10人をミュンスターに呼び集め、現代彫刻の展覧会を開催。これが第1回のミュンスター彫刻プロジェクトで、多くの市民が現代彫刻の魅力に触れました。

参考:カスパー・ケーニヒ インタビュー(2017年、ART iT)
 

公共とアートの関係を問う

ミュンスター彫刻プロジェクトのテーマは、アートと公共空間の関係を問うこと。40年前の第1回から変わっていません。そこでは、アートチーム、市民、行政が対話し、共同して作品を実現させていくことが必要です。

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赤い丸が作品のあった場所(引用:LWL-Museum für Kunst und Kultur, Skulptur Projekte Archiv

今年のミュンスター彫刻プロジェクトでは、上図のように市内に35人の作家による作品が展示されました。自転車で移動できる距離で、全て見るにはまる2日ほどかかります。公共空間との関わりを意識しながら、作品を紹介します。

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ミュンスター彫刻プロジェクトの看板と筆者

まず紹介するのは、アイシェ・エルクメン氏の“On Water”(17年)です。これは水面下にコンテナを橋のように設置することで、川を歩いて渡れる作品です。

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アイシェ・エルクメン“On Water”(17年)

彼女が興味を持ったのは、都市開発においてどのように土地が区切られるかということ。その区画の間を物理的にも、精神的にも乗り越えるには、どのようにすればよいのか。

そこで彼女は川を隔てて分かれていた住宅地と港とを、水面下の橋でつないだのでした。一方の端は私有地なので、彫刻プロジェクトの運営チームは、土地の使用について確認しました。また、人が川へと落ちないようにセーフガードもたてました。

作品を実現するために運営チームは2年半前から準備を始め、最後の半年は2週間に一度のペースで市と打ち合わせを行いました。作家と市民、そして市が協力して作品をつくり上げていることが分かります。

次に紹介するのは、ジェレミー・デラー氏の“Speak to the Earth and It Will Tell You”(17年)です。ミュンスターのクラインガルテン(市民庭園)54カ所に本を配り、07年から10年間、庭園にまつわる日記を書いてもらいました。今年、そのうちの約30以上の日記が庭園内の小屋で展示されました。

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ジェレミー・デラー“Speak to the Earth and It Will Tell You”(17年)

日記には、草花の生育や温度・天候のほか、市民の日々の暮らしがつづられています。市民庭園というこの地の特性を生かし、10年という月日を経て市民とつくった、ミュンスター彫刻プロジェクトでしかできない作品です。

ピエール・ユイグ氏のインスタレーション“After ALife Ahead” (17年)は、取り壊し予定の屋内スケートリンクを使った作品です。中にがん細胞を培養する機器(写真右)が設置され、細胞の数に応じて天井の窓が開閉します。

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ピエール・ユイグ“After ALife Ahead”(17年)

取り壊しが決まりミュンスターの中で消えゆく場所ともいえるこのスケートリンクは、窓の開閉により雨が吹き込み、蜂が出入りします。

まるで人間の手の届かないところで、独自のシステムで生態系が成り立っているようです。私は、がん細胞が生命の終わりを、蜂が生を表していて、人間が途絶えた後の世界を表現しているのではと考えました。地域において消えゆく建物という位置付けと、作品の世界観とが重なった作品です。

ミュンスター彫刻プロジェクトの招待作家の中には、2人の日本人も選ばれていました。

荒川医(えい)氏のインスタレーション“Harsh Citation, Harsh Pastoral, Harsh Münster”(17年)は、LEDスクリーンによる絵と、音楽を体験する作品でした。

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荒川医“Harsh Citation, Harsh Pastoral, Harsh Münster”(17年)
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田中功起“Provisional Studies: Workshop #7 How to Live Together and Sharing the Unknown”(17年)の展示風景

また、田中功起氏の作品“Provisional Studies: Workshop #7 How to Live Together and Sharing the Unknown”(17年)は、ミュンスターに住むお互いを知らない市民8人と「他者との共生」をテーマにワークショップをしたもの。展示場では、四つの部屋でワークショップの映像が流れていました。

疑問に思ったのは、これが形ある彫刻作品ではないということ。オープニングで田中さんにお会いできたので質問してみると、このように彫刻に限らない作品は、この芸術祭において以前からあったのだそうです。公共におけるアートがテーマなので、他者との共生という作品のテーマがマッチしていました。

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展示場外の風景。ワークショップの一会場の写真が掲示されている
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ワークショップの日程。作品は、こちらからも見ることができます

この作品は、名誉なことに芸術祭の中心であるLWL美術館に買い上げられました。芸術祭後に美術館、キュレーターと市が話し合い、残す価値があると思うものに限って恒久展示作品として市が買います。日本人の作品が、この歴史ある市に展示され続けることをうれしく思います。

公共の場で見せる難しさ

最後に紹介した荒川さん、田中さんの作品は、会期中に盗難に遭っています。荒川さんの作品はデジタルパネルが、田中さんの作品は機器が盗まれました。

(日本ではあまりニュースになっていなかったようです。速報を出したのは、海外のアートメディアでした)

盗難に遭った作品は、後で再設置されました。この事実は、公共空間で作品を展示することの難しさを投げかけます。閉じられた空間で作品を守る美術館に対して、野外空間は誰が来るか分かりません。天候に左右され、盗まれたり落書きされたり、壊されることも受け止めねばなりません。

野外にある醍醐味は、そこに足を運ぶまでの体験です。雨が降ってきたり、「地図上では作品があるなのに」とうろうろして、頭上にある作品に気付いたり。湖の端から端まで移動してやっと作品に出合い、遠くまで自転車をこいだかいがあるなと思ったり。作品を、自然や住宅地の間に見ることが野外作品を見る面白みです。

では、野外彫刻を成り立たせるために運営チームは何をしているのでしょうか。行政や市民と、どのようにプロジェクトを実現させたのか聞きました。

40年間、変わらないテーマ

ミュンスター彫刻プロジェクトメンバーに予算、テーマ、作品の選定方法、成功指標について質問しました。

今回話を伺ったのは、マネージング・ディレクターのイムケ・イッゼン氏、プレスオフィサーのジャナ・デューダ氏、マーケティング・コミュニケーション担当のウッラ・ゲーアハルト氏です。

ミュンスター彫刻プロジェクトの組織は「市(行政)」「美術館」「彫刻プロジェクトチーム」の三つから構成されています。「彫刻プロジェクトチーム」は、キュレーターチーム(3名のキュレーターと3名のアシスタント)、プロジェクトチーム(作品を実現に導くチーム)、プレスチーム(広報・マーケティング)の三つからなります。マネージング・ディレクターのイッゼン氏は、作品設置に関する責任者です。

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マネージング・ディレクターのイムケ・イッゼン氏
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プレスオフィサーのジャナ・デューダ氏
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マーケティング・コミュニケーション担当のウッラ・ゲーアハルト氏

まず、ゲーアハルト氏にプロジェクトのテーマについて聞きました。

「テーマは、40年前の第1回から変わらず『アートと公共空間の関係』です。作品は売るためではなく見せるためにあり、基本的に展示期間が終われば撤去されます」(マーケティング・コミュニケーション担当:ゲーアハルト氏)

本プロジェクトではミュンスター市内に作品が点在しており、この展示スタイルはテーマ「アートと公共空間の関係」を表しています。プロジェクト第1回のドナルド・ジャッド氏の作品は現在も残っています。作品の上からの湖の眺めが素晴らしく、湖の反対側から見ても作品は周りの自然に溶け込んでいました。作品と、展示される場所との関係が重要であるということがよく分かります。

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ドナルド・ジャッド「Untitled」(77年)

そもそも、ミュンスターはどのような市なのでしょうか?

「教会の力が強く、そのおかげで昔から主要な都市でした。教会、大学、農業の三つがあるおかげでずっと生活水準が高く、産業に依存していないからこそ豊かであり続けたといえるでしょう」(プレスオフィサー:デューダ氏)

今回から、隣の都市マールでも彫刻プロジェクトを共同で行うことになりました。伝統に依拠し続けているミュンスターと、マールの違いとは?

「マールは戦後、鉱物を採掘して復興しました。しかし、今は採掘産業が衰退しています。戦後の復興の道のりも対照的でした。市が破壊された後、伝統を重んじるミュンスターでは家を補修し、昔の町並みを取り戻しました。一方でマールは、いくつかの村を合併させてできました。現在、彫刻美術館がある場所を中心に新たな都市をつくったのです」(デューダ氏)

町並みを保つなど、ミュンスターは地域の見え方を歴史的に大切にしていることが分かりました。ならば、ここに作品を置くときにも歴史・環境と呼応したものが求められます。

次に、作品が実現するまでの道のりを教えてもらいました。

「まずキュレーター3人が、それぞれに持つネットワークから作家を招待します。作家はミュンスターを訪れ、こんな作品がつくりたいという提案書を提出。キュレーターと打ち合わせを行います。設置場所の許可がとれるのか、作家同士で場所がかぶらないかなどをチームで確認します。

建設する権利が得られるかの確認に3〜6カ月間かかります。それが私有地の場合、さらなる許可取りが必要です。また、第2次世界大戦でたくさんの爆弾が落とされたので、不発弾にも気を付けなければなりません。許可が得られたら今度は制作作業に移り、期限内に完成させる必要があります」(マネージング・ディレクター:イッゼン氏)

イッゼン氏率いるプロジェクトチームが行政、作家とのやりとりを根気よく続け、作家の制作を支えていることが分かります。例えば初めに紹介した水の上を歩くアイシェ・エルクメン氏の作品は、許可取りから実施、安全対策まで大変な行程だったそうです。野外彫刻ならではの話です。

では、プロジェクトの成功指標は何でしょうか?

「もしもアーティスティック・ディレクターのカスパー・ケーニヒに聞いたら『成功指標はない』と答えるでしょうね。彼にとって一番大事なことは、アートの自立性です。時に有名でない作家を選ぶのも、アートのためです」(イッゼン氏)

「プレスとしては、どれだけ国際的にメディアに取り上げられるかが重要です。賛否両論で構いません。その観点から今年は国際的認知が高く、成功したと思います」(デューダ氏)

最後に、予算はどうなっているのでしょうか。

「このプロジェクトは、ブスマン氏が77年から始め、最初は予算も5万マルク(572万1000円※77年のレート:1マルク=114.42円で換算)以下でしたが、第1回からドナルド・ジャッド氏やリチャード・セラ氏、ヨゼフ・ボイス氏など世界的な作家が参加していました。第3回の97年には、予算も600万マルク(8億6094万円※97年のレート:1マルク=143.49円で換算)以上になり、100人以上の作家が招待されました」(イッゼン氏)

現在のプロジェクトの収入はどうなのでしょう。企業が協賛するメリットは?

「入場料をとっていないので、チケット収入はありません。今回の予算は、総額800万ユーロです。予算の内訳は、ミュンスター市が150万ユーロ、ウェストファーレン州立美術館が100万ユーロ、文化財団が100万ユーロ、銀行・保険会社が450万ユーロです。この他、機材提供や電気の供給を受けており、作家ごとにもスポンサーがいます。

もちろん、お金の代わりにこれこれをしてくれ、と言う団体は限られています。とりわけアートに限っては、スポンサーというのは相手へ貢献することですよね」(イッゼン氏)

話を伺った結果、スポンサー企業も、アートを手段ではなく目的として見ており、アートのために動く心意気があることが分かりました。

アートのために動く

ミュンスター彫刻プロジェクトで大切なのは、ディレクターをはじめとしたチームがアートを市民に知ってもらおうと固い意志を持ち続けていることだと思います。

現在はこのプロジェクトによって多くの観光客が訪れていますが、プロジェクトはアートを地域創生あるいは観光収入の手段とは考えていません。アートの自立性を大切にし、ミュンスターという地でしか表現できないテーマを設定し、作品の選定を続けています。スポンサーも、アートの支援・地元への還元を目的に協賛費を出しています。

アートがあるから、芸術祭を開いたからといって人が来るというわけではありません。大切なのはアートを観光のための単なる手段と考えず、その土地らしいテーマを定めて作品選定を続けることです。そうすれば市の人も喜んで参加し始め、質のよい作品が集まってきます。

このプロジェクトが40年間継続している鍵は、アートに敬意を払い、アートのために動いていることだと思いました。