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イベント消費のありかたはSNSのシェアでどう変わるか?

『シェアしたがる心理』のシェアしたくなる話 №2

  • 飯田 豊
  • 天野 彬

2018/03/27

イベント消費のありかたはSNSのシェアでどう変わるか?

昨年10月に天野彬著『シェアしたがる心理―SNSの情報環境を読み解く7つの視点―』(発行:宣伝会議)を発表いたしました。

それに合わせて、書籍で展開した議論を深掘りするべく、さまざまなバックグラウンドを持つゲストをお呼びしての対談を連載しています。

第2回は立命館大学産業社会学部准教授の飯田豊先生と電通メディアイノベーションラボの天野彬で、より社会学的な視点から私たちの「シェア」にまつわる可能性と問題点にアプローチしていきたいと思います。

SNS時代、フェスやハロウィーンはどう姿を変えたか

天野:今回の対談では、私たちが生きる「シェアなくしては成り立たない社会」の在り方を考察していきます。シェアという情報行動はインターネット、そしてSNSが普及して一般化してきましたが、もちろんそれ以前の情報環境においても実は生活者は「シェア」を続けてきたようにも思います。

そんな歴史的なパースペクティブから、ポスト・インターネットの世界へと足を踏み入れつつある現代の私たちの地平について、共に検討を加えていきます!

書籍やセミナーの場では、「誰もがシェアしたくなる瞬間を探して生きている」という表現で現代スマホユーザーの特性を言い表すこともあるのですが、飯田先生はまずこうした現状をどのように捉えていますか?

飯田:天野さんの『シェアしたがる心理』、興味深く拝読しました。僕は昨年9月、研究仲間と共に『現代メディア・イベント論 ―パブリック・ビューイングからゲーム実況まで』(勁草書房)という本を出版しました。僕たちの本はどちらかといえば、日常生活の時間の流れから相対的に切断された次元に成立する出来事(イベント)に焦点を当てていますが、現在の情報環境あるいは情報行動に関して、少なからず天野さんと問題意識を共有しているように感じました。

天野さんは情報伝播のタイプを、「マス型」「インフルエンサー型」そしてジャン・ボードリヤールの概念を援用した「シミュラークル型」(シミュラークル:私たちの情報のシェアによって生まれる、本物らしいがそうではない共同的な仮想)の三つに分類されていますね。このカテゴライズに従うならば、僕たちは「マス型」の文化現象に視座を置き、それが「インフルエンサー型」や「シミュラークル型」の情報伝播とどのように影響し合っているかに注目してきた、と言い換えることができると思います。

例えば、音楽社会学者の永井純一さんは、ミレニアル世代のSNS利用が音楽フェスの在り方にいかに大きな影響を与えているかを論じ、若いフェス愛好家たちの間で、写真や動画によるビジュアルコミュニケーションが活性化していることに触れています。天野さんに倣えば、シミュラークル型といえるでしょう。また、音楽フェスと同様、ビデオゲーム自体も「マス型」の文化産業ですが、ゲーム実況はいわば、「インフルエンサー型」のシェア文化のひとつですね。

天野:確かにそのような文化産業との相性はとてもいいですね。前者はより参加体験が大切ということでシミュラークル型に近い拡散がなされ、後者はインフルエンサー的に情報が広がっていくという整理も納得できます。

飯田:天野さんは『シェアしたがる心理』の冒頭で、近年のハロウィーンについて分析され、本書の中で繰り返し参照されています。「パサージュ(商業空間のにぎやかな通り)とSNS双方での見せびらかしのゲームが成立する稀有な舞台装置」という表現は、実に的確だと思います。実のところハロウィーンは、僕も『現代メディア・イベント論』の中で扱いたかったものの、うまく取り上げることができなかった現象です。

こうした「祭り」と日常的な「盛り」を地続きの現象と捉え、都市やマスメディアがどのように「誰もがシェアしたくなる瞬間」の補給源になっているかを考えることに興味があります。

天野:やはり、誰もが発信者になる情報環境が整ったことで、「イベント」の持つ意味が変わりつつあるということですね。挙げていただいたフェスもハロウィーンも、その場で楽しむだけでは体験は完結せず、シェアするまでがそのイベントの持つ効用の範ちゅうになっているという傾向は強まっていると感じます。

「同期性」をキーワードにマスとSNSの差を読み解く

天野:先ほど「『マス型』の文化現象に視座を置き、それが『インフルエンサー型』や『シミュラークル型』の情報伝播とどのように影響し合っているかに注目してきた」とコメントいただきましたが、今その問題を考えるに当たっては、どういった分析視点が求められるのでしょうか? あるいは飯田先生が注目されている文化現象やトレンドなどはありますか?

飯田:天野さんの本の中では、動画フィルターをプロモーションに活用した事例のひとつとして、Snapchatがアメリカのスーパーボウルに合わせて実施した「ゲータレードシャワー」(優勝したチームの選手がヘッドコーチの背後に忍び寄り、ウォーターサーバー内のゲータレードを頭から浴びせる)という慣習をモチーフに、Snapchatユーザーもアプリを使えばそのアニメーションが擬似的に楽しめるという施策が紹介されていました。分析視点という意味では、このようなシェア体験を通じて、この“国民的イベント”の意味合い自体がどのように変わるのか、という点の方に僕自身は興味を持っています。

オリンピックやワールドカップのような国際的なスポーツイベント、あるいは伝統的な国家儀礼や宗教儀礼なども、ソーシャルメディアによって、マスメディアとは異なる媒介の仕方、その受容経験が共有されるということがあり得るでしょう。マスメディアとは異なる同時性と言い換えてもいいかもしれません。

天野:例えばオリンピックでいくと、2012年のロンドンはソーシャルメディアを本格的に活用し始めた最初の大会といわれていますよね。16年のリオ、そして20年の東京とどんどんその方向性での進歩も止まらないと思うんです。

やはりその主眼は、会場にいない人々をどう巻き込むか?ということではないでしょうか。それは、スポーツイベントとしての規模や経済性が大きくなり続けていることによるひとつの要請でもあるはずです。

もちろん、生中継で同じ時間にひとつの場面を見て盛り上がるという同期性もありますが、そのような文字通りの「タイミング」だけでなく、体験のシンクロを認識的にもたらす仕組みというものがここでの論点になってくると考えます。

そしてそれは、近年の情報テクノロジーによってさまざまなかたちで整えられつつあるように思います。Snapchatのゲータレードシャワーは、スーパーボウルというイベントを新しいかたちで同期的に消費する機会を提供したものだと捉えられるのではないでしょうか。

そのとき、先ほど挙げていただいた「マスメディアとは異なる同時性」のキーワードがより重要なものになりますね! 情報テクノロジーと時間(体験)の関連性は本質的なテーマで、ベルナール・スティグレール(哲学者、ポンピドゥーセンター芸術監督)など数多くの論者が情報テクノロジーによって変化する私たちの時間性というものを議論しています。

飯田:スティグレールが「プログラム産業」という言葉を用いて明らかにしようとしていることは、メディア・イベント研究の問題設定と近いような気がしています。ワールドカップは世界中で数億、数十億人によって視聴されるわけですが、この大規模な時間的一致によって、視聴者の集団的意識と無意識が過度に同期化され、人々の経験の特異性が均質化されてしまう、とスティグレールは言います。

それに対して、美術批評家のジョナサン・クレーリーが『24/7-眠らない社会』で論じたように、インターネットやモバイルメディアの普及に伴い、コミュニケーションが個人の興味関心に最適化されている中では、こうした議論の構図が有効性を失っているという批判もできるのですが、しかし先に挙げたような事例を思い起こせば、両者は連続的に捉えられますよね。

天野:両者の主張は、現代の情報環境を考える上で非常に本質的な二極を示してくれますね。その際、飯田先生もおっしゃる通り、両者の対立性よりも連続性がいかにテクノロジーによってもたらされているのかに注目する必要があると感じます。繰り返しになりますが、Snapchatのゲータレードシャワーの事例は、ビッグイベントにおける時間的一致の中で、コミュニケーションは個々人のネットワークや関心に最適化された形で展開されたという意味でとても興味深いです。

前半の最後に考えたいのですが、先ほどのコメントにあった「経験の特異性の均質化」によって、逆説的に体験が広く開かれるということもあるように思っています。シミュラークルのような文化現象も、著書の中で仮説的に触れたように、一人一人は全く別の場所で異なる体験をしたのに、それがハッシュタグをもとにパッケージ化された体験として整理され、新しい同期性をもたらす点に面白さを感じます。それを表現した映像作品もネット上に公開されていますね(Instravel - A Photogenic Mass Tourism Experience )。

SNSにおける「シェア」は、単なる情報の拡散や媒介にとどまるものではなく、私たちの認識の変化や深化をもたらしてくれる――そんな奥行きに着目したいと考えています。インスタグラムなどのプラットフォームでは、それが国境を超えるビジュアルコミュニケーションとして作用することも、実は現代的な可能性に他ならないと肯定的に捉えたいです。

飯田:天野さんは本の中で、東浩紀さんの『ゲンロン0 観光客の哲学』を参照しながら、「シミュラークルは国境を超えたビジュアルコミュニケーションを促進し、観光客の行き来を増やしながら、分断されつつある世界をつなぎとめることにいくばくか寄与するかもしれない」と書かれていますが、僕も同感です。


次回も、飯田氏・天野氏の対談をお届けします。