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場所をつくりたくなる、プレイス・ブランディング!No.3

瀬戸内は、世界に誇る日本最大のプレイス・ブランディングだ!

2018/07/09

瀬戸内プレイス・ブランディング

いま行きたい場所、瀬戸内

第1回2回を通して、プレイス・ブランディングの考え方と実践についてお話ししました。第3回は、近年、プレイスの単位として日本最大級の瀬戸内地方の盛り上がりをプレイス・ブランディングの枠組みで解説していきます。

皆さんの中でも旅行先の候補として瀬戸内を挙げる人は多いのではないでしょうか? 今では、瀬戸内といえば、「アート」「サイクリング」「小さな島々」「のどかな海景色」「レモン」など、さまざまなイメージが広がると思います。

しかし、2012年の調査では、「よく分からない」という反応が多く見られました。なぜ、この数年で多くの人が行きたい場所として瀬戸内を挙げるようになったのでしょうか? その背景には三つの大きな活動がありました。

瀬戸内の魅力創造の活動①~そこにしかないアートがある島

そのひとつが、ベネッセによる直島での取り組みです。当時社長になったばかりの福武總一郎氏が、本社のある岡山に戻ったときに、人間の本当の幸せとは何かと考えるようになったことから、「よく生きる」を考える場所として直島を捉えるようになりました。

その後、ホテルと美術館が融合した「ベネッセハウス」が建てられ、その2年後の1994年から、そこでしか体験できないアートである「サイトスペシフィック・ワーク」がつくられるようになりました。このとき、今や瀬戸内の新しいシンボルである草間彌生の「南瓜」が生まれたのです。

こうした活動がベースとなり、香川県が連携することで、2010年以降、瀬戸内国際芸術祭が開催されるたびに、アートのある島の数も広がり、アートが点在する内海へと発展していきました。

瀬戸内の魅力創造の活動②~サイクリングの聖地

アートの取り組みは主に、瀬戸内の東側(岡山・香川間)で行われましたが、西側(広島・愛媛間)でもユニークな取り組みが始まります。きっかけは、地元のサイクリストたちが、1999年に開通した「しまなみ海道」をサイクリングロードにしようとする活動でした。

さまざまな調整を経て実現したものの、当初、利用者は伸び悩んでいました。ちょうどそのとき、台湾の自転車メーカー「ジャイアント」が日本でサイクリングロードを探していました。しまなみ海道や尾道を自転車で走ると、自然の風景や歴史を感じる街並みの変化を楽しむことができることから、他のサイクリングロードでは味わえない魅力に気付きました。

こうして、ジャイアントは、しまなみ海道に深く関わるようになり、イベントの支援や出店、そしてさまざまな情報発信によって、瀬戸内のサイクリング文化が世界へと広がっていきました。

亀老山から望む来島海峡大橋
亀老山から望む来島海峡大橋

瀬戸内の魅力創造の活動③~7県連携による瀬戸内のブランド化

アートやサイクリングといった体験コンテンツが生まれていく中で、今度は瀬戸内に面する七つの県(香川・愛媛・徳島・岡山・広島・兵庫・山口)が一緒になって瀬戸内を一つのブランドとして盛り上げようという動きが始まりました。

2013年に、瀬戸内ブランド推進連合という組織がつくられ、民間企業が参画することによって、統一化されたコンセプトのもと、レモンをはじめとする多くの瀬戸内ブランド商品が生まれていきました。

さらに、これまでバラバラだった情報発信活動も統合化されることで、瀬戸内のイメージが内外に広がっていきました。近年においては、観光のためのマーケティング組織「せとうちDMO(Destination Marketing Organaization)」が設立され、観光事業を支援する融資制度によって、クルーズ事業などの新たな体験コンテンツが生み出されています。

瀬戸内におけるプレイス・ブランディングとは?

プレイス・ブランディング・サイクル

十数年にわたる壮大な瀬戸内のブランディングについて駆け足で振り返ってきましたが、ここで「プレイス・ブランディング・サイクル」に沿って分析してみましょう。 

単位の設定ですが、始めから「瀬戸内」という広域の単位が対象になっていたわけではありません。直島やしまなみ海道といった場所を意味付けすることからスタートしています。

やがて香川県が瀬戸内国際芸術祭を実施し、その後、沿岸の7県が連携することによって「瀬戸内」という広域単位が意識されるようになっていきました。

「瀬戸内」の意味についても、けっして表層的ではなく、「東京にはない生き方」や「独特な内海文化」など、深いレベルで瀬戸内ならではの意味や価値が探索され、だんだんと共有されるようになっていきます。

またアクターもさまざまです。内外の民間企業から行政、市民など多様な主体によって、交わりの舞台がつくられていきました。特に、ベネッセやジャイアントのように、ブランドの体現の場として瀬戸内を捉えようとする企業や、瀬戸内というブランドを用いて商品開発をする企業、さらに瀬戸内における事業に融資しようとする地元銀行など、さまざまな形で民間企業が関わっていきます。

複雑に絡み合う交わりの舞台の中から、瀬戸内の意味が詰まった多様なコンテンツが継続的に生み出されていきました。それらがバラバラでなく面として情報発信されることで、巨大で多層的な「意味の空間」として「瀬戸内」が浮かび上がっていったのです。

このように、皆さんが行きたいと思う瀬戸内の背景には、さまざまなアクターたちの出会いによって紡がれた壮大な物語が秘められていたのです。

もっと詳しく、瀬戸内のケースをお知りになりたい方は、本書「プレイス・ブランディング ~地域から“場所”のブランディングへ~」(有斐閣)を読んで頂ければ幸いです

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