2020年は日本社会が変わるスタートになるだろう
~世界最高のブレードジャンパー、マルクス・レーム選手に聞いた、大会への期待
2019/09/10
東京2020パラリンピック競技大会には、史上最多となる4400人の選手が参加予定。8月26日から9月6日までの12日間にわたり、22競技540種目で白熱した戦いが繰り広げられます。開幕まで1年となり、関心が高まる中、大会連覇を成し遂げた走り幅跳びの世界的スター、マルクス・レーム選手が来日。日本の印象や東京2020パラリンピックへの抱負を語りました。
―来日は何回目になりますか。今回の来日の目的は。
日本を訪れたのは、今回で5回目です。2016年、リオデジャネイロのオリンピック・パラリンピック大会前に放送されたNHKスペシャル「ミラクルボディー」という番組の収録の際には2週間ほど東京に滞在しました。
2018年には、群馬県で開催されたジャパンパラ陸上競技大会に出場して8メートル47を記録、それまでの自身の世界レコード(8メートル40)を3年ぶりに更新することができました。
今回の来日の目的は、東京2020パラリンピックのプロモーションであり、1年後に迫った大会に対する人々の関心を大いに高めたいと思っています。カウントダウンイベントに参加し、さまざまなインタビューも受けています。われわれは大会を素晴らしいものにしたいと考えていますので、皆さんにもぜひスタジアムに来ていただきたいです。
―東京の街や日本の印象はいかがですか。
日本には大変良い印象を持っています。日本の食文化は素晴らしく、街を歩けば人々からワクワクした感じが伝わってきます。ドイツに帰国する際には、また必ず日本に来たいと思っています。
街のバリアフリーについては、目の不自由な人に対して点字ブロックやサインなどが整備されています。車椅子でもいろいろなところに気軽に行けるようになっていると感じました。ただ、ホテルの設備や導線など、細かなところで気になることはあります。2020年までにはそうした課題が解決されることを期待しています。
―レーム選手がジュニア世界大会で優勝したのは2009年でしたが、その頃から現在までを振り返って、パラリンピックをめぐる環境に変化はありましたか。
大きな分岐点となったのは、2012年のロンドン大会だったと思います。パラリンピックの知名度が一気に上がって人々の関心度も高いレベルになり、それが現在も続いているように見えます。それは単に認知度がアップしてきたということだけではなく、社会全体にパラリンピックの価値について理解しようという雰囲気が醸成されているように感じています。
言うまでもなく、障がい者も社会の一部なのです。そのことをもっとオープンに語る必要があると思いますし、障がいがあるというのは決してマイナスのことではありません。背が高い人もいれば、低い人もいます。車椅子に乗る人もいれば、私のように義足を付けている人もいます。そうした違いは、単にひとつの特徴であると考えるべきです。
障がい者であっても、自分が何かを成し遂げたいと思えば必ず成し遂げることができる、公正な機会が与えられるというパラリンピックの精神を広く伝えたい。それによって、障がいを持った人々が社会の主流を構成する一員となるようにしていきたいのです。そのことを東京2020パラリンピック競技大会でも広く伝えたいと思っています。
―東京2020大会でのアスリートとしての目標を教えてください。また、日本のスポーツファンにメッセージをお願いします。
幸運にも、ロンドンとリオデジャネイロ、2大会連続で走り幅跳びの金メダルを獲得することができました。東京2020パラリンピックでは、ぜひとも三つ目の金メダルを手にしたいと考えており、そのためにベストを尽くすことを約束します。具体的には、現在自分自身が持っている世界記録に限りなく近づける、あるいは、それを超える記録を出したいですね。
私は日本が大好きで、ジャパンパラ陸上競技大会にも2回ほど参加しています。日本のパラリンピックファンは、競技をスタジアムで観戦するだけではなく、アスリートと対話をしてみたいという気持ちが強いような印象を受けました。
われわれアスリートにとって、東京2020年パラリンピックに対する皆さんの関心や期待が高まっていることはこの上なくうれしいことです。多くの人々が「2012年のロンドン大会がパラリンピックの歴史上最高の大会だった」と認識していますが、日本の皆さんとパラリンピックのアスリートたちが一つになった雰囲気の中で東京2020大会を開催できれば、ロンドンを超える素晴らしい大会となる可能性が大いにあります。
東京の街も変化し、アクセシビリティーも向上しています。障がいのある人たちにも街へどんどん出てほしいですし、自らを誇りに思ってほしい。東京2020大会によって、日本はあらゆる人々を受け入れる場所となるでしょうし、日本社会が変わっていくスタートになることを期待しています。