CARTAと電通のデジタル航路No.1
うまくいっているときに、変える勇気。
CARTA宇佐美会長に聞くインターネットビジネスの心得
2020/05/26
国内電通グループのDX(デジタルトランスフォーメーション)を加速させると期待されているのが、2019年に誕生した新会社CARTA HOLDINGS(以下、CARTA)です。同社の会長には、広告事業からメディア運営まで幅広く手掛けるVOYAGE GROUP創業者・CEOの宇佐美進典氏が就任しました。
本連載では、新たに国内電通グループに加わったCARTAってどんな会社?宇佐美さんってどんな人?という疑問に答えるべく、宇佐美氏にインタビュー。文字通り日本のインターネット史と共に会社を成長させてきた宇佐美氏のビジネス思考に迫っていきます。
学生結婚から就職、転職。
2度にわたる起業。
サイバーエージェントの取締役就任とMBO。
そしてマザーズ、東証1部への上場。
社名(VOYAGE=航海)をはじめ、グループの営みを海洋冒険に例える希代の起業家・宇佐美氏は、デジタル系ベンチャーの “船長”としてどんな舵取りをしてきたのでしょうか。
<目次>
▼人生に敷かれた「レール」を降りて見えた光景
▼最初の起業は失敗。「熱量のあるチーム」でなければビジネスは成功しないと知った
▼「うまくいっているのに、なんで変えるんですか?」
人生に敷かれた「レール」を降りて見えた光景
―宇佐美会長のこれまでの歩みを時系列で伺っていきます。まず出発点として学生時代のお話から聞きたいのですが、大学時代に持っていた将来へのビジョンはどんなものでしたか?
宇佐美:1992年に大学入学したのですが、まだバブルの残り香がある時代で、入学時には「これから楽しい大学生活が送れる」としか考えていませんでしたね。高校時代も、どちらかというと青春を謳歌する系の、リア充的な高校生活を送っていた気がします(笑)。どこにでもいる普通の学生で、将来の仕事のイメージは正直持っていませんでした。
でも、大学1年生の時に学生結婚をし、子どもができたことがきっかけで、自分の人生をどういうふうに生きていくのか考えるようになりました。それまでなんとなく思っていた人生とは、「大学に入り、良い会社に入って、仕事を頑張る」という、敷かれたレールの上をいかにまっすぐ走っていくかというものでした。それが、学生結婚を経て、目の前にレールがなくなった気がして、自分で進む道を切り開いていくしかないと決心したんです。
―1年生だと、同級生はまだ将来のことを考えるような時期ではないかもしれません。そんな中で宇佐美さんは、どう生きていくかということを真剣に考えることになった。
宇佐美:はい。そこからはアルバイトや子育てをしながらの大学生活です。子どもを自転車で保育園に送ってから授業に出ていました。そして90年代前半というのは日本のインターネットの黎明期で、大学にコンピュータールームがあってインターネットができたんです。私の周りでも、ウェブ制作事業を学生ベンチャーとして立ち上げるような人が出てきました。私はその時点では、興味はありつつも、今の自分ではできないなと思っていましたが。
―ただ、起業という道があるということは、頭には入ったということですね。
宇佐美:はい。まだ漠然とですが、自分で会社をつくって生きていく道を考えるようになり、会計の勉強をしたりしていました。それで就職活動の際に、浅はかですけど、コンサルティング会社に行けば起業に結びつくような、経営に近い経験ができると考え、トーマツ コンサルティング(現デロイト トーマツ コンサルティング)に入社しました。
―トーマツに入社されて、「ちゃんとした企業に就職できた、これでもうレールに戻れた」みたいなことは考えなかったのでしょうか。
宇佐美:「戻れた」というよりも、「戻ってしまった」という感じですね。入社してしばらくたったあるとき「レールから外れて、ジャングルの中で生きていく道を選んだはずなのに、気づいたらレールの上にいる」という自分に気づいて「おかしい」と(笑)。そこで、今度ははっきりと自分の意志でレールから降りて、道なき道に入っていこうと思い、転職を決めました。トーマツには結局2年間勤めました。
―2年で転職することになり、周囲の反応は?
宇佐美:転職先はまだ3~4年目のベンチャーだったので、元の会社の人たちからは止められました。でも妻は「いいんじゃないの、あなたがやりたければ」と。学生結婚にしても、転職にしてもそうなのですが、道なき道に入るのってすごく怖いじゃないですか?何があるか分からないし。でも、思い切ってジャングルに入ってみると、意外と水もあるし、食べ物も取れるんです。外から見るほどのリスクはないし、得られるものがたくさんあるなというのが実感です。
―転職先は、コンサルの経験を生かせるような仕事だったのでしょうか。
宇佐美:いえ、業務的には全く関係ありません(笑)。トーマツでは大手金融機関の業務改善プロジェクトやシステム化プロジェクトにコンサルタントとして関わっていたのですが、転職先は小さなソフトウエア会社で、そこに在籍していた友人から「うちに来てマーケティング関係のことをやってほしい」と言われていたんです。
今でいうAdobe Acrobatみたいなソフトウェアを開発している会社で、入社初日に社長から「わが社はこういうソフトで世の中を変えたいんだ。このソフトではあんなこともこんなこともできる」と熱く語られました。私が「それで、このソフトは誰が使うんですか?」と聞いたら、「それを考えるのは君の仕事だ」と。完全にプロダクトアウトの思考で「誰に、どう売るのか」が欠けたまま走っていたんですね。
結局その会社には1年いたのですが、そのソフトウェアのコア機能の一つが海外企業からライセンスを受けていて、その交渉のために、ラスベガスで行われるコムデックスという展示会に行ったのがその後の起業のきっかけになりました。コムデックスでは当時のアメリカのインターネット企業がいくつも出展していて、「アメリカではインターネットは来ているぞ」と目の当たりにしたんです。
最初の起業は失敗。「熱量のあるチーム」でなければビジネスは成功しないと知った
―アメリカが先駆けて、インターネットビジネスを生み始めたタイミングだったのですね。
宇佐美:一方で、自社のソフトウエアは売れなかったのですが、技術的にはXMLというマークアップ言語を使っていたので、XMLをもう少しインターネットのビジネス寄りに活用できないか考えるようになりました。それを最初の起業につなげたのですが、XMLを使った求人情報検索エンジンのビジネスです。
―90年代当時と今では起業家を取り巻く環境は全く違うと思いますが、起業時の目標はどんなものでしたか。
宇佐美:実は会社を将来的にどうするかは考えていませんでしたね。最初に起業した1998年頃は、IPOという言葉もまだ一般的でなかったですし。また、当時はいわゆる独立系のベンチャーキャピタルがほぼなくて、金融系しかいない状況で、実績のない状態では資金調達が難しかったんです。そこで、思い切って国に助成金を申請しました。求人情報検索エンジンの事業化に向けて、ベンチャー経営者何人かに声をかけてコンソーシアムをつくり、「こういう新しい技術分野におけるサービスをつくります」と申請したところ、1億円くらいの助成金が下りました。
しかしそこからが大変でした。もともとコンソーシアムという形を取っていたので、構成する各企業がそれぞれ「ここはうちが得意だから担当します」という感じで、なんとなくみんなで一緒にやろうという空気だったんです。それが、実際に1億円という助成金が出てくると、「うちの会社でここまでやるからいくら欲しい」とか「この権利はうちが持っているから」みたいなことになってきて。ビジネスを成功させるためにどうすればいいかではなく、目の前のお金と権利をそれぞれが取り合うようになってしまいました。検索エンジンの開発自体は完成までこぎつけたものの、サービスをリリースすることはありませんでした。
―最初の起業では、サービスの事業化までは至らなかったと。
宇佐美:物だけつくっておしまいみたいな。この経験があったので、次に自分が起業するときは、みんなで一つのゴールに向かって、どうすればそのゴールが実現するのかをみんなが考え、熱狂の中でビジネスをつくっていく、そんな熱量の高い「チーム」をつくろうと考えるようになりました。その後、友人と一緒に立ち上げることになった会社がアクシブドットコム、後のVOYAGE GROUPです。
―最初の起業で、一つのゴールをみんなで目指すチームにできなかったことが、宇佐美さんのその後の経営に反映されているのですね。2度目の起業時に意識したことはありますか。
宇佐美:当たり前ですが、一人でビジネスはできないので、自分にない経験や能力を持っている人たちとチームをつくること。また、インターネットのマーケティング領域にフォーカスをしてビジネスをしていくこと。そして今度は明確な目標として上場を目指そうということを、最初にはっきりと決めましたね。
「うまくいっているのに、なんで変えるんですか?」
―多くのスタートアップは、何か一つのテクノロジーやアイデアを軸に、1事業に集中するケースが多いと思います。宇佐美さんの場合、これから伸びる領域を見つけて、そこに旗を立てるような起業の仕方だったのでしょうか。
宇佐美:そうですね。正直、いまだにそうですが、事業の中身にはそこまでこだわりはないんです。ただ、やるからには「すごいこと」をやりたいじゃないですか。世界を変えるようなすごいことをやりたくて、その上で興味のある分野や伸びそうな分野というのを調べていきます。そして当時は「インターネットを使ったマーケティング領域がこれから伸びる」と。
それが1999年だったのですが、これからインターネットを使う人が増えて、物の売り買いが発生していくとしたら…例えばアメリカの開拓時代に、ゴールドラッシュで人がどんどん集まってきたところで、鉱山労働者にジーンズなどを売って成功したリーバイスみたいなイメージですね。インターネットが現代のゴールドラッシュだとして、人が集まってきたとき、何がこの時代のリーバイスなんだろうと考えたら、マーケティングだろうという結論に至りました。
―確かに、今のVOYAGE GROUPの事業も広くマーケティング関連が中心になっています。最初に立ち上げられたのは懸賞サイト「MyID」ですね。懸賞サイトをやろうと決めた経緯は?
宇佐美:実は、懸賞サイトをやろうと思ってつくったわけではないんです。そもそもやろうとしていたのは、「一つのIDであらゆるサービスを使える」というアイデア。今、FacebookやGoogleのIDを持っていれば、いろんな他社のサービスにもサインインして使えるじゃないですか。それと同じように、「一つのIDをつくると、それでいろんな企業のサービスが使えるようになったら、いちいちたくさんのアカウントをつくって管理せずに済むし、便利じゃないか」というコンセプトでした。だからサービス名も「MyID」なんです。
でも、「御社のサービスをMyIDでも使えるようにしてください」とお願いしても、相手の会社にしてみれば使う必要性がありませんよね。今でいうAPIの考え方もなかったし。これが仮にMyIDユーザーが100万人いれば、先方にも使うメリットが出てきますから、まずMyID単体で魅力のあるものにしなきゃいけない。
そこで、MyIDに付随するコンテンツとして、懸賞サイトを企画しました。そこに行けばお得なインターネットキャンペーン情報や懸賞情報があるよというものです。それでユーザーが増えれば、将来的には他社サービスに連携できる便利なものとして広げていけるだろうと。
―ちなみにこの時代のインターネットのサービスは、どういうものが主流だったのでしょうか。まだ音声や動画のようなリッチなコンテンツは乗せられなかったと思います。
宇佐美:テキストサイトなんかが流行していましたが、当時は普通の人がパソコンを買って何を最初にやるかというと、あまりやることがなかったんです(笑)。そんな中で懸賞サイトだったら、ユーザーがURLを貼って「応募したらデジカメもらえるらしいぞ」みたいに他の人に分かりやすく伝えられるので、比較的使われやすいだろうと。
―なるほど。その時代からインターネット関連産業は急速に進化していきますが、宇佐美さんは常に時代に先んじて、積極的に事業のピボットをしたり、幅広く新規事業の立ち上げを行ってきたのがユニークな点だと思います。多くのスタートアップが一つの事業にこだわる中、それが可能だったのはなぜですか?
宇佐美:理由は先ほども話しましたが、「やるからには世界を変えるようなすごいことをやりたい」という思いがまず中心にあって、これを逆に言うと、その事業で世の中を良い方向に変えられるという実感を持てるのであれば、事業の中身は「なんでもいい」わけです。
そしてテクノロジーの最先端だったインターネットは、まさに世の中を変えるようなことが次々と起こりやすい領域でした。日本でもアメリカでも、世の中を変えるようなサービスをつくり、会社を大きくしていく人たちが同世代にたくさんいたことが、いつも刺激になっていましたね。
―その後、会社が成長していく中で、2001年にサイバーエージェントの連結子会社になり、宇佐美さんがサイバーエージェントの取締役に就任することになりました。この経緯は?
宇佐美:より良いサービスを実現するために、他社と組むことは常に模索していたんです。大手ポータルサイトをはじめ、複数の会社から「一緒にならないか」というお声がけを頂いて検討していたのですが、どれも最終的には完全吸収というスキームだったので、チームで話し合って、すべてお断りしたんです。それらの会社のいちメディアとして自分たちが取り込まれる形だったので。
一方で、懸賞サイトの収益源は、やはり広告なので、ネット事業系の広告会社としてのサイバーエージェントは取引先の一つだったのですが、実はサイバーエージェントとは企業文化的に近いものがあったんです。特に強く感じていたのが、「広告」というより「インターネット」が好きな人がたくさんいる会社だということ。「インターネットで新しい産業をつくっていくんだ」という、根っこの部分にある志に共感しました。
われわれからすると、自分たちの手でサービスを大きくしていきたいという思いを実現できて、かつお互いの事業の連携も強く、さらに価値観も合う会社は、サイバーエージェントであろうと。
―とはいえ、子会社化からしばらくはサイバーエージェント本体に宇佐美さんが直接関わることはなく、MyIDの事業に注力し続けていたんですよね。
宇佐美:はい。でも2002年ごろから競合の懸賞サイトもたくさん出てきて、広告枠をいかに安く売るかという競争が始まったんですね。その様子を見ていて、私としては「懸賞サイトはそろそろ潮時だろう」と感じたんです。2004年にサイトのコンセプトも名前もガラッと変えて、ショッピングでポイントが貯まる価格比較サイト「ECナビ」になりました。翌年、社名もECナビに変更しています。
当時は競合が出てきたとはいえ、懸賞サイトの中ではトップを争う売り上げがあったので、社内からは「成功しているのに、なんで変えるんですか?」という反対の声もありました。しかし、私自身ビジネスを続ける中で、「インターネット業界のビジネスサイクルは3~4年だ」と実感していました。ドッグイヤーというように、普通のビジネスと比べてインターネットビジネスは10倍くらいのスピード感で進むので、成長も速いけど、下がるときは急激に下がります。
―人間の心理として、どうしても変化を好まないというのはあると思います。宇佐美さんはその点、常に早い段階で「次の手」を打ち続けてきましたよね。
宇佐美:一つの山しか見えていないと「この山がもっとずっと続くんじゃないか」と考えてしまいがちなんですよね。そこで社員たちには「上がり調子の時に次の一手を考えてそっちに舵を切っていかないと、会社に未来はない。下がってから次の一手を考えるのはつらいよ」と徹底的に説明し、納得してもらったんです。この姿勢があったので、社員たちもどんどん新しい事業のアイデアを考えてくれるようになっていきましたね。
<※次回はサイバーエージェントでのお話、VOYAGE GROUPの特徴である事業部制の話、そしてMBOから株式上場までのお話を伺います。>