loading...

SNS史、その20年のターニングポイントはどこか~『SNS変遷史』出版記念連載No.6

SNSに“向かない人”こそ、SNS史を知るべし!

2020/08/07

SNSの変化の歴史を多角的に描いた書籍『SNS変遷史「いいね!」でつながる社会のゆくえ』。出版記念連載の最終回は、編集者・木下衛氏が、制作意図を伝えます。

デジタルネイティブ、あるいはSNSオールド・ボーイ

私は1992年(平成4年)生まれ、いわゆる「(ネオ)デジタルネイティブ」といわれる世代です。

かつて「ウェブ2.0」なる言葉がありました。すべての人が情報をフラットに発信し、それが集合知となることで、社会がより良く発展していく、という考えだと解釈しています。

思い返せば、確かに私は小学生時分からネットに親しんでいました。膨大なリストが載る書評サイト、マニアックなジャンルを扱う映画サイト、ゲーム攻略まとめサイト…。「濃い」サイトを周回しては、情報を集めていた。ええ、暇だったんでしょうね。Wikipediaなんて暇つぶしに最適なツールで、リンクを飛んではボーッと眺めるだけで何時間も過ぎていく。

田舎に生まれた私にとって、ネットはまさに情報の恵み!ありがとう「ウェブ2.0」、ありがとう「見ず知らずのオタクなおじさん/おばさんたち」ってなものでした。

さて、そんな私は当然のように、大学生にもなるとSNSを活用するように…ならなかった。いや私も、モノは試しといろいろとアカウントは作ってみたんですが、たとえばTwitter─日本人が特に好むと言われる─の面白さがいまひとつ分からなかった。

飽き性なために、日常使いが基本のSNSになじめなかったから。普段から会っている知り合い以外、フォローしていなかったから。そういうこともあるんでしょうが、最大の理由は「特に140文字でつぶやきたいことがなかった」からだと思います。

たとえば、私が「(西村)ひろゆきさんは、Twitterのことをツイッターじゃなくて、“トゥイッター”って発音するんだよ!」とつぶやいたとします。タイムラインに流れてきたこのつぶやきを見た人は、どう思うでしょう。はっきり言って「それがどうした?」です。これが100万リツイートされたら愉快・痛快でしょうが、残念ながら現実は甘くない。間違いなく、スルー。

そして、このレベル以上でつぶやきたいことは、学生の私にはなかった。こうして、私とTwitterとの距離は離れていきました。

シェアしない私は…実は存在すら危うい!?

しかし、そんな私が社会人になり、出版社に勤めてみると、「若いんだし、いろいろSNSとかやってるんでしょう?」「Twitter使って、バズらせてよ」といった、先輩上司たちの無邪気な期待が待っていました。

「“個人の時代”である今、編集者個々人がフォロワーを集め、それをビジネスに生かすのは、もはや常識である」という、現代出版業界の“正しい”圧力も感じました。

私はいったい何をしてきたのだろうか…。
現代っ子、失格。
もはや、自分は、完全に、ロートルになりました…。

巷間、言われていることの正しさと、自分のSNS活用の実態とのギャップに悩みに悩み、幾年月。私はどこで道を誤ったのか。慢心?それとも環境の違い?

そんな中、天野彬さんの名著『シェアしたがる心理〜SNSの情報環境を読み解く7つの視点〜』(宣伝会議)を読んで、衝撃のフレーズに出合います。

「我シェアする、ゆえに我あり」

これは心理学者のシェリー・タークルが、現代のSNS環境を評して発言したフレーズとのこと。ユーザーの承認欲求とシェアの原動力を端的に表現しています。

えっ、てことは、SNSを活用できていない私は、…既に存在すらしていない!?

SNSはなぜ活用されているのか、どう活用されているのか?

これはエラいことになった。「みんなもすなるSNSといふものを、私もしてみむとてするなり」とならねばと焦る。

そのためにも、「SNSがなぜウケて、なぜここまで多くの人々が楽しんでいるのか」を探らねばならない、と決意しました。

もはや、世代や性別で安易にくくれるような時代ではありません。サービスによって差はあるとはいえ、かつて「ネットギーク」ばかりがウェブを利用していた時代とは異なり、今や誰もがSNSに親しみ、楽しんでいます。こうなった背景には明らかに、私が20代にして「ネット・ロートル化」するに至った、コミュニケーションや社会の変容が潜んでいるに違いない。

そこで、Instagramを中心に、各SNSの設計思想からユーザーマインドまで、見事に言語化し、解説されていた天野彬氏に、わずか15年足らずで急速に普及した「SNSの変遷」を概観してもらうことで、「ネット・コミュニケーション」の“これまで”と“これから”をお教えいただこうと考えました。

それはきっと、私だけでなく、きっとたくさんいるであろう「いつからか、SNSについていけなくなったな~」という感慨を抱き、SNSとの距離感に居心地の悪さを覚える読者のニーズにも応えることになる。

こうして完成した本が、『SNS変遷史「いいね!」でつながる社会のゆくえ』です。

SNS変遷史

オンライン上に浮かぶSNSという「ビオトープ(生態系)」

この本は、Facebook、Twitter、InstagramといったメジャーなSNSを中心に、その前史から語っています。天野氏による見事なストーリーテリングで解説されており、編集した立場上、手前みそではありますが、これほどコンパクトに、歴史というある種の物語を楽しみながら、SNSを知ることができる本はおそらく他にないでしょう。

考えてみれば、営利企業によるサービスとして、SNSは不思議な存在です。

  1. ネットワーク外部性が強い(多くのユーザーを集めた人気サービスが、より人気になる)
  2. にもかかわらず、MySpace、mixiが衰退したように、盛衰が起こる。
  3. 「接客」的なサービスとは異なり、プラットフォームを提供するだけのサービスであって、完全に他力(ユーザー任せ)であるにもかかわらず、ユーザーを満足させる。

SNS・オブ・ワンダー。こうした疑問について、詳しくは本書を読んでいただきたいですが、一つだけ大事なキーワードを述べるなら、それは「メディア・ビオトープ(生態系)」でしょう。本書はSNSの前史(2ちゃんねるやブログなど)から語っていると述べましたが、その意味もここにあります。例えば…

  • 「2ちゃんねる」から誕生したミームは、今日のTwitter上で使われてはいないか。
  • ブログの「トラックバック」機能やソーシャルブックマークは、拡散の意味でハッシュタグに近い効果をもたらしていなかったか。
  • ニコニコ動画の「踊ってみた」とTikTokのダンス動画には、類似性がないか。

無数のメディアが複合的に絡み合う中で、あたかも生態系のように総体が生まれている状態を、「メディア・ビオトープ」というらしい。そして各SNSもオンライン上のビオトープに組み込まれたひとつです。

人類が猿から突然変化したわけではなく、生態系の中で徐々に進化していったように、SNSも前史を含めたソーシャル・メディアのビオトープの中で進化してきたといえます。そこには歴史的な連続性があり、突発的に流行したように見えるInstagramやTikTokにも、長く射程を取れば「メディア・ビオトープ」というバックグラウンドがあるのです。

私たちは、いや応なくSNS社会に生きていく

本書では、他にもリアルタイム性に偏重していくSNSにおける課題、承認欲求の暴走や炎上の問題、SNSによって人間関係が開かれていく可能性など、SNSの「これから」についても言及しています。テクノロジーの進歩とともに、SNSもさらなる変遷をたどるに違いありません。

ただ、それは昨日と今日でまるきり様相が異なるような、急激な変化ではないでしょう。例えば、これまでストック型からフロー型へ、テキストからビジュアルへ、一見するとあまりにも速くコミュニケーションの在りようが変わっていっているように感じられますが、そこには確実に連続性があるのです。本書を編集する過程で、そのことを強く感じました。

思えばかつての私は、SNSでのコミュニケーションを1対1(せいぜい数人)的な双方向性のイメージで捉えていました。けれど、対面での会話とは違い、どこか無機質な感触もあります。いわば「Alexa!」「はい、なんでしょう?」「今日の天気は?」「…すみません、聞き取れませんでした」というような。そこで、Alexaに対し、「ごめんごめん、オレの活舌が悪かった(笑)」と言おうが、「なんだよ~、ちゃんと聞いて聞いて!」と言おうが、反応ナッシング。同じように「タイムライン上」のことでは、つぶやきを「シカトされた」とも言えない。当然のこととして流れていきます。だから、特別に伝えたいこともないな~と思ってしまっていたのかもしれません。そうした感覚は間違いではないけれど、SNSの使用目的はもっと多様に広がっています。

とはいえ、「このSNSが最近流行!」なんて世間で言われていたとしても、結局のところ実態は人と人とのコミュニケ―ションです。となれば、SNSを使いこなせていない私も、対面なら普通に人とコミュニケーションは取れている(…はず)。なら、元気を出していこう!

「JC・JK流行語大賞」的な、「女子高生に大人気!」的な、「Facebook使ってるとか、おっさんだけだよね~」的な、そんな状況に心を痛められている方。「最近のSNSにはついていけないな~」と哀愁を漂わせている方。大丈夫です!まずは本書をご覧ください。

本を作るに当たり、著者の天野氏と編集者である私との間で共有していたことがありました。それは、「SNSという存在を、ただ悪しざまには描かない」ことです。新しいテクノロジーやサービスは、とかく非難されがちだし、問題を指摘するのはたやすいですが、それだけでは本にする意味がありません。

私たちは、「もはやオンラインとオフラインの境目はない」という言葉にカビが生え始めているくらい、SNSが当たり前となった社会に生きています。そこでは、誰しもがいや応なくSNSから影響を受けながら生きることになる。そんな中で、その背後にあるビオトープがどんなものであるかを知ることは、すなわち今後の社会の進化を展望することにつながると思います。

ぜひ本書をご覧ください。

SNS変遷史
イースト新書、328ページ、920円+税 ISBN978-4-7816-5118-7