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「推し活」時代に進化するアイドルの価値No.1

2020/08/12

メディアの進化とSNS時代のアイドル

本連載のテーマはアイドルです。

筆者が好きだからという理由(だけ)ではもちろんなく、SNSやそこでのコミュニケーションについてのリサーチやオピニオンを発信する立場から、アイドルというテーマを通じてメディアやコミュニケーション、さらにはエンターテインメントの在り方を考えていくことで、それぞれの現在地と未来とをユニークに描くことができるのではないかと思っているからです。

そのための切り口を3点にまとめてみました。それぞれ連載内で触れることになります。

①世の中・生活者から見たアイドル(社会の視点)
今、私たちにとってアイドルとは何でしょうか。個別のアイドルの好き嫌いといった一人一人の嗜好の問題を超えた視座において、アイドルそのものがこの社会においてどのように受容され、どんなところに私たちは価値を感じているのでしょうか。

②広告プロモーターから見たアイドル(マーケティングの視点)
アイドルはファン、そして一般の人々の注目を集め、さらには人を動かす力を持っています。そして、人が動くところには商流も生まれます。昨今では、事業会社のマーケティング活動でもアイドルと協業することが増えています。そのとき、アイドル、生活者、広告主、それぞれにメリットがある“三方良し”が実現されるコミュニケーションの設計のあり方とはどんなものでしょうか。

③メディアから見たアイドル(エンターテインメント事業の視点)
メディアにとって、アイドルは番組やそれに付随するコンテンツ企画をつくっていくための重要なパートナーとなります。さらにSNSの時代には、一人一人のアイドルが発信力を持っているということ自体も欠かせない視点です。エンターテインメント分野における「アイドル」の今は、これまでと比較してどのように変わってきているのでしょうか。

今回は、本連載の後半につながるような議論の下地を上記①の社会的な視点から考察することを目指します。いくつかのメディア研究をひもときながら、現代的なアイドルのかたちの在り方についてのキーワードを提起したいと思います(参考資料は文末をご覧ください)。

メディアの進化とアイドルの誕生

アイドルとは、メディアを通じて私たちの前に現れるものである、と本稿では定義します。もちろん、「クラスのアイドル」といった対面的な関係性でも使われる一般的な言葉ですが、それも上記を前提にした比喩表現だと考えられます。

“メディアを通じて現れる”という、その「距離」が重要である。私たちとアイドルとの関係性を分析する上で、そう仮定するならば、私たちはまずメディアの進化を考える必要があることに気づきます。

いくつかのアイドル研究/アイドル論の流れでは、映画からテレビへというメディア環境の進展が、アイドルの誕生に決定的な意味合いを持ったと語られています。かつての「銀幕のスター」という言葉の通り、一般の人々は映画作品を通じてスターを仰ぎ見るような関係性にありました。しかしテレビの時代に移行するにしたがって、その距離は近接してきたといえるでしょう。

スターは映画会社に所属しており、映画の外に出されなかったからこそ、テレビ側が視聴者を引き付けるアイコンを必要としたという実利的な背景もあったようです。スターに代わる時代のアイコンが要請される中で、テレビで活躍する「タレント」というポジションが確立され、その中の一部が突出的に進化して「アイドル」というポジションを獲得していきました。

このような商慣習的な面の他に、スターとタレントの立ち位置の違いは、メディア理論的にアプローチしても読み解くことができます。

スターは、既に完成されたフィルム=映画の中に登場する人物として、私たちの前に現れます。それは「過去」のものです。この隔たりこそが、私たちとは異なるステージにいる人であるという威光(プレステージ)をもたらしています。

対照的に、今起こっていることを広く伝えるという使命を持つテレビは、現在性の強いメディアであると対置できます。ライブ性、生放送性と言い換えることもできるでしょう。そこに要請される形象こそが、スターではなくタレントであり、映画のスターは観客と同期しないこと、つまり時差をともなって(遅れを持って)いることに価値があるのに対して、タレントは「同期」していることに価値があるといえます。そして、威光よりも親しみ、重く含蓄のあるせりふよりも軽やかで分かりやすいコメントこそが求められるのです。

もちろんテレビにもドラマなどの例外はあります。ドラマは、既に完成されたものを放送するという意味では「過去」に属するものです。ただし、メディア研究家のマクルーハンが「新しいメディアが生まれると、古いメディアはその新しいメディアのコンテンツになる」と述べた通り、ドラマは映画的なものなのです。また、テレビでは生放送でドラマを放送したことがある点も付記しておきます(その反対に「生放送の映画」は原理的にあり得ません)。

このようなメディア的な進化の中で、「アイドル」が歌番組の中から生まれていきます(テレビというメディアにとって、歌番組は黎明期からキラーコンテンツでした)。

日本のアイドルの始祖は(諸説ありますが)、1971年の南沙織さんのデビューに見ることができるようです。そして80年代のいわゆるアイドル黄金時代を迎え、さらには松田聖子さんや小泉今日子さん(キョンキョン)のような時代を代表するアイコンがテレビをにぎわせるようになりました。

先ほどスターは過去、タレントは現在と位置付けました。ではアイドルはどうかといえば、ここではそれを「未来(的)」であると述べておきたいと思います。未来ではなく未来(的)と述べたのは、現在に足場がありながらも未来の方に向かう構えがあることを示しているためであり、現在よりもこれから先により大きな価値が期待されることを含意しているからです。

アイドルとは往々にして若いものです。もちろんそれは年齢的な若さだけではありません。これからの成長の可能性や将来の飛躍への期待のようなものを、多くの人がそこに見て取るような、つまりスターのように完成していないことが、価値になっています。だからこそ未来(的)と表現されるのです。

日本のアイドル史において非常に重要な転機として数えられるのが、85年のおニャン子クラブです。派生グループの成立、さらにはメンバーの卒業やソロ活動といった、今アイドルと聞いて私たちが思い浮かべる仕組みがこのあたりから実装されていったことに気づきます。ここに見られる特性は、アイドルの非完成性に他なりません。完成しきらず変化し続けることに価値が宿ります。

実際に、AKB48をはじめ、さまざまなアイドルグループにおいても、卒業ソングは一つの山場を構成していて、ライブのハイライトに位置づけられることも多くあります。さらにはAKB48などの「オーディション」「人気投票/選挙」や「サプライズ人事」のようなものも、何が起こるか分からないというハプニング性をファンに共有する未来志向の仕掛けに他ならないのです。

SNSのつながりがアイドルとファンを前進させる

未来は原理的に不確かなものだからこそ、そこにコミットする意志が問われます。「オーディション」「人気投票/選挙」や「選抜バトル」のような現代的な仕組みも手伝って、私たちはアイドルの未来に主体的に関わって応援する─それを通じてアイドルの未来に貢献することを体験するようになりました。

いつの時代にもアイドルは「憧れ」を提供してきましたが、上記のような仕掛けによって、現代は「共感」の色合いがより濃くなってきたのは間違いないでしょう。私たちは、誰かが壁にぶつかり、そこで悩み苦しみながらも乗り越えようとするポジティブな力に、自分を重ねて共感するからです。

また、現代のアイドルはSNSを駆使して、ステージの外でもファンとつながり合うことに積極的です。それもまた親しみに起因する共感の度合いを深めることに寄与しています。

実際に、ラストアイドル (テレビ朝日系列で放送されていたオーディション番組から誕生したアイドルグループで、2017年12月デビュー)のメンバーの方と話す機会がありましたが、「ステージも、握手会も、そしてSNS上でのコミュニケーションも、ファンとつながる場として重要。ファンとのコミュニケーションの中では、特に(選抜のバトルに)負けたときの反応がとても熱かった」という発言を印象深く覚えています。

一方、現在のメディアもまた、アイドルと同様に、共感を軸に動くようになってきています。

メディア研究の文脈では、メディアのメタファーとして「窓」が想定されます。遠く離れた世界の出来事を、目の前に映し出して知らせてくれるスクリーン(ないしは紙面なども含めた平面媒体)としての窓。それは、メディアが情報を伝達する装置であることを意味します。

しかしながら、現代のメディアは「窓」から「鏡」へとシフトしているのだという議論があります。鏡であるということは、つまりオーディエンス=私たち自身を映しているということを意味します。実は、私たちが見たいと思うものを見ていること、私たちがそうありたいと願うシーンがそこに映し出されていること、その投影の原理こそが、生活者からの強い共感を生む構造になっていると見立てることができるでしょう。それがファンコミュニティーの熱狂につながっているのです。

なぜ今、マーケティング活動においてアイドルの重要性は高まっているのか

SNSを通じてアイドルのファン同士がつながり合い、熱量が高まっていくプロセスが生まれ、またSNSを通じてその応援の盛り上がりが可視化されてさらに盛り上がっていく、という循環がさまざまな場で起こっています。詳細は連載第2回に譲りますが、SNSではそのようなバズが頻繁に起こっていることをデータでも確認することができます。

また、現在は自分が応援したい人を「推す」と表現し、さらには「推し活」「推しごと」のような言い方で、若年層の消費における重要なアクティビティーになっていることも要注目のポイントです。本論で述べてきたアイドルの未来(的)なる性質を踏まえて言うのであれば、消費というより「投資」に近いものです。いまそのようなかたちで、アイドルとファンコミュニティーの結びつきは非常に強いものになっているのです。

さらには、アイドルは未来(的)であるというキーワードでいえば、この先行きが見通せない時代において、アイドルを推すことの価値は視野を前に向き直させてくれることにもあるように思います。

そのようなアイドルの持つ社会的な効果を踏まえることで、いわゆるタイアップだけにとどまらない、さまざまなコミュニケーション施策の可能性が思案できるように思います。アイドルとそのファンコミュニティーへのアクセスが、ブランドやメディアの抱える課題にとってのソリューションにつながっていく時代が到来しているのです。

※本記事の執筆においては、アイドルについての先行研究として、以下の文献を参照しました。
・境真良氏『アイドル国富論: 聖子・明菜の時代からAKB・ももクロ時代までを解く』(2014年、東洋経済新報社)
・西兼志氏『アイドル/メディア論講義』(2017年、東京大学出版会)
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