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為末大の「緩急自在」No.9

アスリートブレーンズ為末大の「緩急自在」vol.9

2021/02/25

為末大さんに「いま、気になっていること」について、フリーに語っていただく連載インタビューコラム。唯一、設定したテーマは「自律とは何か、寛容さとは何か」。謎の「聞き手」からのムチャ振りに為末さんが、あれこれ「気になること」を語ってくれます。さてさて。今回は、どんな話が飛び出すことやら……。乞う、ご期待。

インタビューに応える為末さん

──前回に続いて「さびしさとは、何か?」というテーマで伺おうと思います。前回のお話の最後でカジノなどを例に「自分がとった行動で、何かが反応すること」に対する一種の依存症のような話が出たと思うのですが、今回、冒頭で伺いたいのは、人はさびしさを「紛らわしているのか」それとも「コントロールしているのか」ということです。

為末:またまた難しい質問から入りますね。アスリートでいうと、もちろん成績や結果も大事なんですが「世間の反応がダイレクトに来る」ということが最も心躍る瞬間なんです。言うなれば「さびしさ」の対極にいられる瞬間、ですよね。その高揚感を味わっているうちに、段々、世間に自分が泳がされているような感覚になってくる。そうなると、人って不思議なもので、世間、いわゆる俗世から離れたい、という欲求が出て来るんですよね。せっかく「さびしさ」から解放されたというのに、です。

──ひとつの「境地」ですね。

為末:そうなんです。さびしさから解放されるために、なにかに没頭する。たしかにその何かは、さびしさから解き放ってくれる。でも、その何かに今度は依存していく。ここが人間の厄介なところです。酒でも、恋愛でも、仕事でも、ギャンブルでも、もちろんスポーツも、です。

──よく、分かります。

為末:そうなると、いったん俗世から離れたくなるんです。さびしさから逃れるためにしがみついていた俗世から。例えば現役時代、海外に遠征したりすると、2〜3週間でものすごくいい気分になるんです。なにかから解き放たれた、という感覚。これって「さびしさ」とニアリーイコールだと思うのですが、とてもポジティブな気持ちになれるんです。 

──深いお話ですね。

インタビュtーに応える為末さん

為末:要するに「さびしさ」とどう付き合うか、ということだと思うんですよ。人はさびしさから逃れたいがために、何かにしがみつく。しがみつくと、今度はその対象に依存して縛られてしまう。

──それは、一流アスリートならずとも、われわれでも同じですよね。例えば、入社以来、猛烈に働いてきたというのに、あるとき突然、左遷を言い渡されてしまう、とか。そのときの「喪失感」たるや、言葉にはできません。

為末:アスリートでいうと、現役を引退するときの「喪失感」は、半端ないです。人生の95%を失ってしまった、くらいの感覚です。さびしい、なんてものではありません。頭の中が真っ白になるというか、心に穴があいたというか、膝から崩れ落ちるような感覚。なにしろ人生のほとんどすべてを捧げてきたものが、取り上げられてしまうのですから。 

──その「喪失感」は、どうやって克服されたんですか?

為末:僕の場合は、とにかく本を読み漁りました。本を読んで、知識を深めていくと、目にするものすべてが新鮮に映る。ヒマつぶしといえばヒマつぶしなんですが、知識とか教養とかって、さびしさに耐えるため、さびしさを乗り越えていくために絶対に必要なものだと思うんです。 

──なるほど。

為末:そうすることで、自分が今までやってきたことの意味であるとか、これから何をしていくべきなのか、といった道筋も見えてくる。 

(聞き手:ウェブ電通報編集部)


アスリートブレーンズ プロデュースチーム白石より

現役引退後の耐えがたい喪失感を読書(知識や教養)で克服した、というエピソードに現在の為末さんが形成される萌芽を感じます。アスリートを「さびしさ」という軸で捉えると、通常、一般人では感じ得ない振れ幅で「さびしさ」を、しかも比較的若くして感じる宿命。この課題をひもとくことはアスリートの“セカンドキャリア問題”はもちろん、「さびしさ」によって生じている社会課題の解決にも資する示唆を得られる感触があります。アスリートブレーンズとしても、チャレンジしたい領域です。

アスリートブレーンズプロデュースチーム 電通/日比昭道(3CRP)・白石幸平(事業共創局)

為末大さんを中心に展開している「アスリートブレーンズ」。
アスリートが培ったナレッジで、世の中(企業・社会)の課題解決につなげるチームの詳細については、こちら

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