SNS時代のニュースの価値を探る。『メディアリテラシー 吟味思考を育む』刊行連載No.1
Z世代のSNS活用と「アルゴリズム・リテラシー」
2022/03/16
2021年12月に坂本旬/山脇岳志編著による『メディアリテラシー 吟味思考(クリティカルシンキング)を育む』(時事通信社)が刊行されました。
メディア教育に携わる大学研究者やジャーナリスト、教育関係者の第一線のメンバーが執筆にあたり、現時点での「メディアリテラシー」の決定版といえる一冊になりました。
スマートニュース メディア研究所と共同リサーチプロジェクトを進めていたご縁もあり、天野も「第2章 若年層のSNS利用とコミュニケーション特性」を寄稿しました。
今回を含む2回の連載で、本書の編者でもあるスマートニュース メディア研究所の山脇岳志研究所長と共に、本書で展開した議論の一部をダイジェストで紹介しつつ、書籍にはおさめられていない後日談などを記事として発信します。
第1回では、若年層のSNS活用にフォーカス。特にそのニュース受容のありかたについて触れつつ、「アルゴリズム・リテラシー」の重要性が高まっていることを指摘します。
1.なぜSNSが重要なのか――ミレニアル世代とZ世代
若者を指す世代論としてよく言及されるものに、ミレニアル世代とZ世代があります。諸説ありますが、ここでは前者は1980年~1996年生まれ、後者は1997年~2015年生まれとします。
テクノロジーとの関係で整理すると、ミレニアル世代は情報テクノロジーとともに育ってきた世代で、Z世代は生まれた時から情報テクノロジーがあった世代となります。
筆者は1986年生まれのミレニアル世代に属しますが、高校時代からフィーチャーフォン(ガラケー)を持ち始め、いちばん最初のSNSは大学時代にクラスのみんなでつながったmixiでした。
それに対して、Z世代の多くははじめに持ったモバイルデバイスがそもそもスマートフォンであるという“スマホネイティブ”で、日々の情報発信・受信もスマホ中心。友達との交遊関係においてもSNSが当たり前のように介在していました。
そのため、Z世代にとっては発信できる何かを持っていること、「キャラ立ち」していること、自分なりのスタンスを持っていることが重要な意味を持ちます。一人一人の個性を重視するというリスペクトの文化が社会的に根付いてきたことも、それを後押ししているでしょう。
そして、それは企業やメディアであっても同様です。表裏がなく、顔が見えること――すなわち「透明性がある」ことが、Z世代と接する上での重要な資質となっています。リアルであると言い換えることもできます。実際に、それらとは真逆の「いかにも仕事でやっています」感が伝わるSNSの運用は、多くの場合好意的に受け入れてはもらえません。
またZ世代においては、リアルとバーチャルも等価な位置づけであることから、「SNSでどんなアクティビティを行うのか」が、自分自身が何者であるのかを規定します。マサチューセッツ工科大学で情報テクノロジーと人々の心理の関係を研究するシェリー・タークルは、「我シェアする、ゆえに我あり(I Share, therefore I am.)」という箴言(しんげん)を残しています。
Instagramでどんなおしゃれな写真や充実した生活のシーンをシェアするのか、TikTokでどれだけキャラ立ちしてフォロワー数を稼げるのか、Twitterで拡散されるだけの何かを発信できるのか……など。ミレニアル世代にもそうした志向性はありますが、Z世代はさらに強い動機付けをそこに持っていると考えられます。
筆者が提唱した「ググるからタグるへ」という標語にあらわれているように、情報を得る場としてはもちろん、より実存的な理由も含まれていると考えられるのです。
2. タイムラインからアルゴリズムへ
筆者は、『SNS変遷史』などの著書やさまざまな場でのインタビューなどで、各SNSの特性を比較・解説しています。端的に整理すると、Twitterは「みんなが何しているかを見に広場へ行く」ことで、Instagramは「その人の家/部屋に遊びに行く」ことに近い。
つまり、同じSNSのシェアといっても、世論の反応を見るのか、その人の世界観を見るのか、力点が異なるというわけです。
最近の自分の使い方にも立脚しますが、Twitterのアプリを開いた時、タイムラインを上から下に眺めていくことに加えて、トレンドタブをチェックすることが以前よりも増えているように思います。つまり、みんなの投稿を順々にチェックしていくというよりは、その投稿の総体から抽出されたポイントや、全体的な傾向をチェックするようになっているわけです。
すなわち、このように日々話題になっていることを発見するプロセスに、機械(アーキテクチャ)の力、アルゴリズムの力が抜きがたく作用していることがわかります。
最近では、TikTokの「おすすめ」で流れてくる投稿を見て、ニュースを知るという若い人々も増えています。TikTokの「おすすめ」は、自分がフォローした人々の投稿が流れてくるわけではなく、機械がいま話題になっている投稿やそのユーザーが好みそうなコンテンツを選別して届けてくれるという仕組みです。
ここから、私たちの情報行動において、機械の重要性、アルゴリズムの重要性がどんどん高まってきているという論点が抽出されます。さらに踏み込むならば、タイムラインからアルゴリズムへ、というシフトに着目することができるでしょう。
3.「おすすめ」に抵抗感のない若年層のニュース接触
法政大学大学院メディア環境設計研究所『アフターソーシャルメディア』(2020年、日経BP)の調査によれば、
- (A)ニュースには意識して自分から接している
- (B)ニュースはたまたま気づいたものだけで十分だ
という2項目のうち、(B)の受動的接触で良いと考えるのは10~20代が多く、30代以降は(A)の能動的接触を重視するようになるといいます。
また、「自分が知りたいことだけを知っておけばいい」に対する回答比率も、10~20代は4割程度と高く、60代の回答率は2割程度と約半分になるようです。
では、この「ニュースはたまたま気づいたものだけで十分だ」はどのように解釈されるべきでしょう。
10~20代の若者には探究心がない――というわけではなく、筆者の仮説は、そもそもの「たまたま気づいたもの」のレベルが向上しており、その「気づき」に確かな効用感が存在するがゆえではないかというものです。
その「たまたま気づいたもの」のレベルを底上げしているものこそ、ここまで述べてきたようなアルゴリズムによる選別=「おすすめ」に他なりません。
ここで、おすすめに抵抗感がなくなっているということを深く考察するにあたって、「中動態」というキーワードを導入したいと思います。能動態、受動態は多くの人が知るところだと思いますが、中動態はその列に位置する第三の態です。
哲学者の國分功一郎氏(東京大学大学院総合文化研究科准教授)によれば、私たちは一般的に能動態vs.受動態という対比で捉えているものの、実は受動態は中動態から派生してきたものにすぎません。能動態の対義語は中動態だったのです。では、両者はどう異なるのでしょうか。
能動態は何かを働きかけること、受動態は何かを働きかけられることを指します。國分氏の指摘では、能動態と受動態は「行為」と「行為する主体そのもの」を切り離せるようなありかたを指します。つまり、主語がその過程の外にある。
それに対して中動態は、「行為する主体」が「その行為の過程」に含まれるような形式である――すなわち、主語がその過程の内にあると國分氏は説きます。
この考え方からすると、私たちの行動履歴が機械にとっての学習データとなり、アルゴリズムを精緻化し、「おすすめ」として戻ってくるという再帰的な情報との出合い方を指し示すには、中動態という術語を活用するのが最も適していることが分かります。
さらなる論点として、中動態には「主体-選択-責任」図式を中和するという現代的な意義があるという指摘が続きます。
私たちは、自分の能動か誰かからの受動のみで構成される世界を生きているわけではないし、その見方は人間の意志なるものを狭く捉えすぎてしまうという弊害をもたらすでしょう。また、情報の取捨選択が難しい現代だからこそ、生活者はそれを緩和したいというニーズを強く持っているはずです。
特に若年層がアルゴリズムに基づいた「おすすめ」を頼りにするのは、情報過多でファストな現代の情報環境への順応法として功利性が高いからだと考えられます。
4.アルゴリズムリテラシーの必要性
ここまで述べてきたように、私たちをとりまく情報環境の利便性は高まっています。
しかし、私が寄稿した考察では、一歩引いた視点からの問題提起も行っています。それは、こうした傾向の中長期的な影響はどのように見積もるべきかということです。
主張のポイントは、機械は最適化することが得意な半面で、その最適化がどういう意味を持つのか、また中長期的にそれが最適なことなのかどうかは、私たちユーザーが考え判断するしかないということでした。
「おすすめ」は確かに生活者のタイムパフォーマンスを向上させますが、そのパフォーマンス(成果)をどのスパンで捉えるかによって評価は変わるはずです。「コスパの良いもの」を買っても、長い目で見ればそうでもなかったという経験則があるように。
良い情報を見極めるという一人一人のメディアリテラシー的な実践(能動態)も大切であると同時に、それだけでなく、普段は意識しづらい情報環境そのもの(中動態)にも目を向ける視座が欠かせないと感じます。
そのためにも、いまニュースを差配するアーキテクチャの背後にある不可視なアルゴリズムをどうとらまえるのか――いうなれば「アルゴリズム・リテラシー」こそがますます肝要になってくるのです。