なぜか元気な会社のヒミツseason2No.18
山形庄内発、地域のサステナブルな未来づくりとは?
2022/05/27
「オリジナリティ」を持つ“元気な会社”のヒミツを、電通「カンパニーデザイン」チームが探りにゆく本連載。第18回は、庄内という地で、山形県そのもののブランド価値を高めるべく、さまざまな取り組みを続けるスタートアップ企業ヤマガタデザインを紹介します。
インタビューの冒頭、「なぜか元気な会社のヒミツ」というシリーズタイトルで、いろいろなお話を伺いたいという取材意図を山中大介社長に伝えると、人懐っこい笑顔でこんな答えが返ってきた。「このタイトル、気に入っているんですよ。会社というものは、元気であることが一番だと思うから。僕の場合は、99%『カラ元気』なんですが(笑)」
東京の大学から、東京の大手不動産会社に就職。たまたま訪れた鶴岡サイエンスパークでの出会いから、それまで縁もゆかりもなかった山形県で、バイオ産業分野のベンチャー会社へ転職。それから2カ月後、わずか10万円の資本金でヤマガタデザインを創業。およそ8年をかけて、150人ほどの従業員を抱える会社にまで成長させた。この経歴だけで、一本の映画が作れそうなエピソードだ。
Iターン起業家が、地域に向き合い事業を次々と仕掛けていく。「ヤマガタ(山形)をデザインする」というのは、どんな試みなのか。山中社長に、直接、話を伺った。
文責:宮崎 暢(電通BXCC)
「街づくり」の本質は、課題解決のための事業をデザインすること
ヤマガタデザインの社業を端的に表すとすれば、それは庄内という地にベースキャンプ(社屋)を置いた「街づくり」だ。でも、山中社長は「街づくり」という言葉に抵抗があったという。「ディベロッパーに勤めていたこともあるのですが、街づくりって、うさんくさい言葉じゃないですか。ショッピングセンターを建設することも、カフェでコミュニティデザインすることも、海のゴミ拾いも、すべて街づくりだし、街づくりとさえいっておけば、政治家でも大企業でも個人でも、誰でも自分たちのやっていることを正当化できてしまう。それでも、いま自分たちを表す言葉として『街づくり会社』とあえて使っているんですが、それは自分たちなりの『街づくり』の定義がある程度できてきたからなんです」
山中社長は続ける。「僕たちの会社の仕事は『地域や社会の課題を解決するために、あらゆる事業をデザインすること』なんです。それにより、未来に対して希望が持てるような社会を実現する、ということが街づくり」。ヤマガタデザインの事業の柱は、観光・教育・農業・人材の4つだという。わずか8年でこれだけの事業を手掛けるとは、どのような道のりだったのだろうか。
Iターン起業家が、地域で事業をどう仕掛けたのか?
庄内エリアに8年住んでいるが、どこまで行っても自分の故郷ではない、と山中社長は言う。「リゾートでどこに行きたいか、老後をどこで過ごしたいか?と問われれば、沖縄とかも魅力的だよねと当たり前に思う。でも、そうしたよそ者だからこそ、山形や庄内の魅力を客観的に見ることができる、というのがいいことだと思うんです」
スイデンテラスのような大きな事業を仕掛けるには、資金面でも、事業面でも賛同してくれるパートナーが必要なはず。地縁に頼れないIターンの起業家だった山中社長が、どうやってそれを実現したのだろうか?「土地を取得する際の資金面では、地元の銀行や地元の企業からの協力を仰ぎました」当時は東京の大企業からの出資はゼロ、出資者はすべて地元の企業だったという。
都会の大企業は地方創生を事業課題としてあげるものの、いざお金を出すとなるとリスクを考えて躊躇(ちゅうちょ)しがち。結果、地域の街づくりは行政頼みになる。「でも、行政工事しかしない地域って、魅力がない。だから僕たちは、地域の人たちに向けて、僕らの考える『街づくり』を民間主導でやっていこう、という旗振りをしたんです」
まず3%の賛同者を見つけ、コトを起こす
思いに賛同してくれる仲間は、どうやって集まったのだろうか?「地域で応援してくれる、コアになる方をいかに探すかというところが勝負です。これは僕の持論なのですが、日本では、新しいことをやろうと声をかけたとき、その新しいことを想像できる力(0→1を成しえる力)のある人は人口の3%しかいない。だから地域の方の全員から理解されなくても、その3%の人をまず見つけようと思いました。僕らは行政ではないですから、民意を問うというプロセスは不要ですからね」
残りの97%は、無関心な人たち。でも、決して反対の立場にいるわけではない。そう、山中社長は言う。まずは、3%の人たちと具体的なコトを起こす。すると、残りの97%の方々の意識も徐々に変わっていく。「4つの分野で事業を立ち上げてきた庄内での8年間で最も変わったのは、賛同してくれる方の割合が増えたことです。本当にタフな道のりでしたが」。山中社長は笑いながら振り返る。
コンセプトに描いた未来への希望を、仕組みとともにデザインする
社名にもなっている「デザイン」というワードは、フォルムや建築物といった狭義なものではない。こうやって庄内を、山形を、元気にしていきませんか?という「未来図(コンセプト)」と、それを具現化する「仕組み」のことだ。「現にヤマガタデザインには、いわゆるデザイナーという職種の人は一人もいませんからね」
事業の要となるコンセプトデザインは、山中社長が必ず手掛ける。「コンセプトを立てたら、実行は社内チームに任せます。でも事業は生き物なので、コンセプトにフィードバックして磨き上げていく。いわば、常に社会実験をしている感じです」
会社でありながら、社会実験を次々と仕掛ける。実験とはいうが、会社の収益とのバランスはどうとっているのだろう。「まず、事業の価値とは、社会をよくしているか、ということに尽きます。金もうけが目的化すると、事業はどんどん面白くなくなります。とはいえお金が回らないと事業は継続できません。理想を掲げ、お金もうけをし、コンセプトとオペレーションとの整合性をとり続けることが大切です」
ヤマガタから全国へ
地方創生が叫ばれて久しいが、多くの地域が抱えているのは、担い手不足やノウハウ不足といった課題だ。「たとえば庄内のような地域は、典型的な課題先進地域の一つであり、大企業が両手を挙げて事業に参入する地域ではない。でもそうした場所だからこそ、私たちがワクワクするコンセプトと採算性、持続性のあるさまざまな事業を成立できれば、多くの人たちに希望を与えられる」
人材事業で手掛ける、地元企業の求人を紹介するwebサイト「ショウナイズカン」は、昨年から全国各地への横展開を始めている。仕組みそのものをデザインすることで、ほかの地方都市へノウハウを提供し展開できる、と山中社長は言う。「ほかの地方でリーダーシップをとっている企業に『未来をつくるためのツール』を渡してあげたい」そう、山中社長は語る。
「庄内というエリアだけでもまだまだ道半ばで、ここまで来るのに8年かかりました。仮に僕が47人いて、全都道府県に飛んでいったとしても道半ばの状態にもっていくまでに8年かかるわけですよね?各地域のリーダー企業に私たちのノウハウと武器を渡すことが最も効率的ですよ」
多くの企業がいま、グローバル化を押し進めている。その一方で、誰からの「ありがとう」のために自分は頑張っているのか、よく分からない社会になりつつある、と山中社長は言う。「結果として、総無責任状態、当事者不在社会になってしまうのだと思うんです」。地方都市で活動する立場からみた、社会全体の閉そく感の風景だ。「その意味からも、働く場所を自由にするというのは、都会の大企業にとって優秀な人を引き付けるためにも、これから先、絶対に必要なことだと思います」
人間らしく暮らし、ワクワクする仕事ができる、これからの地域をつくる
「人間的な暮らしとエキサイティングな仕事の両立ができる社会は、地方都市でこそ実現できるんじゃないかと思っています」。そう話す山中社長に、地方も都会も先行きが見えない中、これからの暮らし方と働き方についての考えを最後に聞いてみた。
「地方都市の環境のよさ、空気と水のきれいさを体験したらもう二度と東京で働きたいとは思いません(笑)。ただ、地方だとワクワクする仕事がなかったりする。それを掘り起こすことにこそ、価値があると思うんです」
ヤマガタデザインという会社の「デザインスタイル」には、ローカルの持つ潜在的な可能性が感じられる。インタビューの中で山中社長が冗談めかして話していたことだが、もしも本当に山中社長が47人いてくれたなら、日本のすべての都道府県が明るくなれそうだ。
ヤマガタデザインのホームページは、こちら。
「オリジナリティ」を持つ“元気な会社”のヒミツを、電通「カンパニーデザイン」チームが探りにゆく連載のシーズン2。第18回は、庄内という地で、山形県そのもののブランド価値を高めるべく、さまざまな取り組みを続けるスタートアップ企業ヤマガタデザインを紹介しました。
season1の連載は、こちら。
「カンパニーデザイン」プロジェクトサイトは、こちら。
【編集後記】
インタビューの前に、多くのメディアで取り上げられているヤマガタデザインの記事に目を通した。その中で一番、気になったのは山中社長がたびたび口にする「たまたまのご縁」というものだ。
自然災害やコロナを経験する中で、人との「ご縁」の大切さを、改めて感じた方も多いと思う。筆者自身、「カネの切れ目が、縁の切れ目」みたいな感覚で、これまで仕事をしてこなかったか、と問われたら、100%そんなことはない!と、胸を張れる自信はない。でも、これまでの人生を振り返ってみるにつけ、思い起こされるのは「たまたまのご縁」ばかりだ。
山中社長は言う。「人生は、『運』と『縁』以上には広がらないし、そもそも計画どおりになんか、いかないものだと思うんです。でも、どの方向に行きたいか、ということだけは自身で決められる。あとは、その方向に向かって、ころころと転がりながら、『運』によって転がされながら、そこにある『縁』を拾っていけばいいんだと思います」。終始、やわらかな口調で未来への展望を語る山中社長の笑顔が、とても印象的だった。