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PR資産としての企業ミュージアムのこれからNo.6

「経営の神様」の経営観や人生観に触れることができるミュージアム

2022/08/04

シリーズタイトル

企業ミュージアムは、「ミュージアム」というアカデミックな領域と「企業」というビジネス領域の両方にまたがるバッファーゾーンにある。そして運営を担う企業の広報、ブランディング、宣伝、人事などと多様に連携する組織である。本連載では、企業が手掛けるさまざまなミュージアムをPRのプロフェッショナルが紹介し、その役割や機能、可能性について紹介していく。


大阪府門真(かどま)市にあるパナソニックミュージアムでは、「経営の神様」といわれた松下幸之助の生涯が追体験できる。経営を航海として捉え、その舵(かじ)取りを担ってきた幸之助の魂がこのミュージアムには生きている。本稿では、幸之助の企業経営、人生哲学がどのようにこのパナソニックミュージアムから発信されているかを考察したい。

取材と文:粟飯原広基(電通PRコンサルティング)

広く開かれた学びの場

大阪市街中心部の淀屋橋駅から京阪電車に乗り20分弱、「西三荘駅」で降りる。そこから徒歩すぐのところにパナソニックミュージアムがある。パナソニックミュージアムは、2018(平成30)年3月7日、パナソニック(旧松下電器産業)の創業100周年を記念してリニューアルオープンした。1968(昭和43)年の創業50周年で開設した松下電器歴史館の新装となる。創業者である松下幸之助氏の言葉や歴代の製品を通して、その熱き思い、パナソニックの“心”を未来に伝承し続けたいという思いから、広く開かれた豊かな学びの場として開設し、誰でも無料で入館できる。幸之助の経営観・人生観に触れることができる「松下幸之助歴史館」と、ものづくりのDNAを伝える場「ものづくりイズム館」、そして市民に憩いを与える公園施設「さくら広場」で構成されている。

パナソニックミュージアム正面・松下幸之助氏銅像(写真提供:パナソニック ホールディングス)
パナソニックミュージアム正面・松下幸之助氏銅像(写真提供:パナソニック ホールディングス)

駅から最も近い「松下幸之助歴史館」は1933(昭和8)年に竣工された松下電器の第三次本店があったまさにその場所にある。当時の第三次本店の趣を忠実に再現したのが、このミュージアムの象徴となる建物だ。入館するとまず目にするのが幸之助氏本人の筆字による“道”のパネル。幸之助の言葉がゲストをあたたかく迎えてくれる。

エントランスの壁に取り付けられた“道”のパネル(筆者撮影)
エントランスの壁に取り付けられた“道”のパネル(筆者撮影)

展示室内にはこの“道”以外にも、要所要所に幸之助(以下敬称略)の言葉が残されている。「物をつくる前に人をつくる」「成功するまで続ける」といった言葉が書かれたカードは自由に持ち帰ることができ、全て集めると30枚の名言集となる。

館内は「1章・礎/2章・創業/3章・命知/4章・苦境/5章・飛躍/6章・打開/7章・経世」の7章の展示構成からなる。幸之助の94年の生涯を“道”としてたどりながら、パネルや映像資料、当時の製品実物展示などが並べられている。幾多の苦難を乗り越える中に幸之助が見いだした「生き方」や「考え方」を時系列に巡りながら深く学ぶことができる施設だ。

また創業時の作業場を再現した「創業の家」では、当時使用されていた釜や足踏み機、型押し機なども見ることができる。ものづくりの原点である100年前の職場だ。オートメーション化で工場から人が消えていく現在においては、そこで働く人々が日々どんな会話をしながら手や足を動かし、失敗に学び改善を重ね、職人としてのこだわりを見いだしていったのか、当時の働く姿に思いをはせるのも面白いだろう。

創業時の借家を再現(写真提供:パナソニック ホールディングス)
創業時の借家を再現(写真提供:パナソニック ホールディングス)

くらし文化を創造し続けた家電製品を展示

隣の建物となる「ものづくりイズム館」は創業以来、新しいくらし文化を創造し続けてきた歴代の家電製品約550点を一堂に展示している。白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫の「三種の神器」をはじめ、テクニクスブランドで一世を風靡(ふうび)したオーディオ機器などのエポックメーキングとなった家電製品は同じ時代を生きてきた筆者としては非常に懐かしい。

創業から1980年代までの広告などを集めたコーナーも来館者から好評を博しているようだ。また工業デザインを学ぶ学生が熱心に見学するなど学びの場にもなっている。まさにものづくりに情熱を注いできた幾多の先人の熱き思いに触れ、次の100年につなげる施設として機能しているといえよう。案内パンフレットは日本語および英語、中国語で配布されており、館内で展示している映像資料についても日本語、英語のほか一部は中国語に対応している。

数々の製品が並ぶ収蔵庫(写真提供:パナソニック ホールディングス)
数々の製品が並ぶ収蔵庫(写真提供:パナソニック ホールディングス)

「社員啓発」の場として設立

歴史文化コミュニケーション室パナソニックミュージアム館長の高濱久弥氏に活動について詳しく説明をいただいた。松下幸之助は1918(大正7)年の創業以来、店員養成所(1934年)、松下電器研修所(1964年)を開設するなど特に人材教育に力を注いできた歴史がある。そして1968(昭和43)年には50周年事業として現パナソニックミュージアムの前身となる「松下電器歴史館」を開館した。コンセプトは社業発展に寄与すべく、社史を理解し誇りを感じ先人の偉業をしのぶ、全従業員にとっての「心のふるさと」であり、「自修自得の場」としている。

パナソニックミュージアム館長の高濱久弥氏(筆者撮影)
パナソニックミュージアム館長の高濱久弥氏(筆者撮影)

さらに1976(昭和51)年、社史室という部署を設置し同歴史館を傘下に包含し、高濱館長が所属する歴史文化コミュニケーション室の原型が整った。歴史文化コミュニケーション室の役割は、社史に関する資料の保存管理、社史の編纂、創業者事業観の探究と創業者精神の社内外への周知の3つである。その上でミュージアムの目的は、「松下電器歴史館」から引き継ぐ「社員啓発」がある。

地域・社会と事業にも貢献

ミュージアムは、「社員啓発」に加え、「地域・社会貢献」「事業貢献」も担っている。企業市民として地元や社会に開かれた場としての独自性の高い企画展、ワークショップ、にぎわい創出イベントでパナソニックファン化を図ってきた。修学旅行をはじめ学校の課外学習で利用されるケースも多い。「事業貢献」においては国内外のビジネスパートナーを迎え入れることで信頼感を醸成している。海外から(※コロナ禍以前)は全体の4分の1ほどだという。

「ものづくりイズム館」エントランス。幸之助の哲学の、まさに「入口」だ。(写真提供:パナソニック ホールディングス)
「ものづくりイズム館」エントランス。幸之助の哲学の、まさに「入口」だ。(写真提供:パナソニック ホールディングス)

コロナ禍でオンラインの情報発信へシフト

開業当初は、社内外への広報PR活動や地域と連動したイベントなども積極的に展開していたが、2020年春からの新型コロナウイルス感染症の感染拡大によって年間27万人あった来館者が5万人に減り環境が激変した。その対策としてまずオンライン活用を強化した。次世代層をターゲットに外部著名人との番組配信を年4回配信、PHP研究所が発行する書籍を題材にした自己啓発コンテンツを年6回配信のほか、社員自らが企画展をライブ発信するなど2021年度のインターネット総PV数は約160万PV、動画再生数は93万回に達している。Facebook、Instagramなどのソーシャルメディアを積極的に活用し、常に情報発信を続けフォロワーを拡大している。

インターナル広報も強化

さらに2021年度から、パナソニックミュージアムでは重点ステークホルダーを従業員とした「社員啓発」、いわゆるインターナル広報に力を注ぐことに決定した。これは2022年4月にパナソニックがホールディングス化されるというグループ体制の大きな変革があったためである。事業会社ごとに“専鋭化”を加速させるためにも創業者の理念に立ち返り、強い松下らしさを作り出すことが重要だと考えられたことによる。

現在の経営基本方針は多言語に翻訳され世界中の同社従業員に届けられている。経営基本方針の理解を深める上で「パナソニックミュージアム」のような歴史を学べる施設は日本と中国の2カ所にしかないため、その代わりになるようなデジタルコンテンツをミュージアムではオンライン上で提供している。従業員が自社の理念が分かっていないのに世の中に自分達たちの活動を伝え、貢献していくことはできない。人材教育に力を注いできたパナソニックならではの歴史を継承しているのはさすがだ。

「経営の神様」松下幸之助とは

松下幸之助について触れておく。大阪府門真市とその周辺市にはものづくり企業が多く集積している。明治時代後半から昭和初期にかけてこの地域では交通路が整備され、工業化が進んだ。特に松下幸之助が創業した「松下電器」の本店と工場が1933年に同地に移転してから関連する工場が増加し“ものづくりの街”として大きく変化した。

電灯さえ普及していなかった明治の終わりに電気の世界に身をささげ、現在のIoT時代を目前にした昭和の終わり(平成元年)にその生涯を閉じた幸之助の人生は、日本の高度経済成長時代、昭和を象徴するサクセスストーリーと言えよう。9歳で大阪の火鉢屋の丁稚(でっち)から始まり、幾多の困難を克服し自らの“道”を歩み続けた。社会の繁栄を追い求める強い精神と庶民性を併せ持つ人間的な魅力。経営者として成功を収めてきた幸之助をちまたでは「経営の神様」と呼ぶようになった。その生き様は今でも、国内外の多くの人の心を動かす。

こうした自らの経営活動と同時に、戦後すぐの1946(昭和21)年に創設したPHP研究所によって倫理教育や出版活動を通じて、幸之助は、「人間とは何か」という根源的なテーマにも向き合った。1968(昭和43)年の発刊以来、累計550万部を超え、いまなお読み継がれる驚異のロングセラー「道をひらく」は、松下幸之助が自分の体験と人生に対する深い洞察をもとにつづった短編随想集である。ミュージアムショップにも多くのPHPの書籍とともに限定オリジナルカバーで販売(税別870円)されている。

両館にあるミュージアムショップでは、ここでしか買えない懐かしい「ナショナル坊や」のキャラクターグッズをはじめ、オリジナル商品やPHPの書籍などが買える。

「ものづくりイズム館」内のミュージアムショップ(写真提供:パナソニック ホールディングス)
「ものづくりイズム館」内のミュージアムショップ(写真提供:パナソニック ホールディングス)

市民の憩いの場として開放されている「さくら広場」にも、心を打たれる。1万6200平方メートルの敷地には春になると190本のソメイヨシノが満開になる。

さくら広場(写真提供:パナソニック ホールディングス)
さくら広場(写真提供:パナソニック ホールディングス)

最後に・・・

実は「西三荘」駅に降りたのは約35年ぶりであった。35年前は、松下電器に勤める友人と会うためであったが、駅周辺は工場に勤務する人たちであふれていた。時間帯にもよるがその頃に比べると町の様相が変わり随分と整頓された静かなところになっていると感じた。ミュージアムの屋根にモニュメントとして「船の舵輪(だりん)」が置かれている。松下幸之助が本社機能として「舵(かじ)」を取る意味から当時わざわざ神戸で購入し、取り付けさせたモノらしい。

屋根にある「舵輪」(写真提供:パナソニック ホールディングス)
屋根にある「舵輪」(写真提供:パナソニック ホールディングス)

パナソニックのウェブサイトには、「社会、経済、産業...……あらゆる面で大きな転換期にある今日、“社会の発展のお役に立つ”企業であり続けるために、パナソニックグループは今後も経営理念に立脚し、新しい未来を切り拓いてまいります」と記載されている。海図のない海を航行する船のようにどのように舵を切って新しい未来を切り開いていくのか、ミュージアムには松下幸之助の魂が生き続けている。

パナソニックミュージアム公式WEBサイトは、こちら


【編集後記】(ウェブ電通報編集部より)

パナソニックミュージアムのテーマは、ずばり「道」だ。

「道」と言われると、徳川家康の遺訓や、高村光太郎の一節を思い浮かべる人は多いと思う。あるいは、北原白秋の童謡かもしれない。ドライブ好きという方にとっては、「道の駅」というネーミングがなじみ深いのではないか。その「道(みち)」を「道(どう)」と読ませるところに、日本人ならではの人生観や価値観が垣間見えると思うのだが、いかがだろうか。柔道、剣道、武士道、華道、茶道などの「道(どう)」だ。

「道(どう)」とは、「道筋」や「道程」といったプロセスを示すものではない。どこどこへ行くのであれば、この「ルート」を選ぶのが賢い。時間もかからないし、費用的にもお得だ。そうした情報ばかりにさらされていると、なんだか心が貧しくなっていくような気がする。

パナソニックミュージアムが示す「道」とは、「道(みち)」ではなく「道(どう)」のことではないか、と思う。伝えたいことは、松下幸之助氏がこのような道のりを経て、日本の社会が進むべき道筋を示し、成功者としての道を歩み切ったのですよ、ということではない。あなたの心には、どのような道がありますか?その道は、あなたの本心を裏切るものではありませんよね?そんなメッセージを、日本が世界に誇る「経営の神様」から投げかけられているような気持ちになった。

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