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PR資産としての企業ミュージアムのこれからNo.5

印刷博物館が伝える印刷産業のコアコンピタンス

2022/07/07

PR資産としてのミュージアム 連載ビジュアル

企業ミュージアムは、「ミュージアム」というアカデミックな領域と「企業」というビジネス領域の両方にまたがるバッファーゾーンにある。そして運営を担う企業の広報、ブランディング、宣伝、人事などと多様に連携する組織である。本連載では、企業が手掛けるさまざまなミュージアムをPRのプロフェッショナルが紹介し、その役割や機能、可能性について紹介していく。


印刷は人類の進歩や発展を支えた情報コミュニケーションである。今回は、凸版印刷が運営する印刷博物館を紹介。「印刷文化学」として印刷が持つ社会的意義や幅広い役割、さらには印刷産業のコアコンピタンスについて論じていきたい。

取材と文:木村和貴(電通PRコンサルティング)

印刷とは何か――印刷文化学としての印刷

印刷と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。多くの人は、PCで作成したドキュメントをプリンターで紙へ出力すること、などが浮かんだのではないだろうか。それは間違っていないが、印刷を手段として捉えた一つの例に過ぎず、印刷が持っている意義や役割は想像以上に広くて深い。それは、印刷文化学として人類の歴史や進歩とともに知ることができる。印刷文化学について体感できる場所が、凸版印刷が運営する「印刷博物館」である。ここを訪れることで、「印刷とは何か?」という問いへの回答が変わることになるだろう。

印刷博物館エントランス(画像提供:印刷博物館)
印刷博物館エントランス(画像提供:印刷博物館)

文化財の収蔵・保全、そして歴史の探究を担う印刷博物館

印刷博物館は、凸版印刷の100周年事業の一環として2000年に東京都文京区・トッパン小石川本社ビルに設立された。所蔵資料は7万点を超え、印刷文化に関連する資料の収蔵や保全、そして印刷と社会との関わりについて歴史を振り返り、探究している。総床面積は4,149㎡で、展示室のほかライブラリー、ミュージアムショップ、印刷工房が併設されている。入場料は一般400円、学生200円、高校生100円、中学生以下は無料だ。学芸員は現在8人在籍しており、来館者数は1日平均100人程度、開館後20年の来館者数は延べ約64万人となっている(2020年時点)。

2001年には皇后陛下(現上皇后陛下)がノルウェー国王妃陛下と共に訪れている。また、2002年には日本展示学会賞作品賞の受賞や、2012年には朝日新聞「be」ランキング「大人が楽しめる企業博物館」で1位にランクインするなど、ミュージアムとしての重要性や魅力が評価されている。20周年となる2020年には展示内容のリニューアルを行い、テーマ展示から時代順の展示へと変更することで、印刷文化について歴史の流れとともに理解しやすくなっている。

人類の進歩を支えた印刷

印刷博物館に入ると、常設展の前にプロローグとして人類のビジュアルコミュニケーションの変遷が展示されている。約2万年前の洞窟壁画はコミュニケーションの原点といえる。壁画から象形文字、そして文字が生まれ、写本から印刷、そしてデジタルへとコミュニケーション技術が進化していく。

印刷博物館のロゴ(画像提供:印刷博物館)
印刷博物館のロゴ(画像提供:印刷博物館)

ちなみに、印刷博物館のロゴは「見る」の意を持つ古代中国の表意文字。印刷とは「見る」行為を伴うもの、すなわちビジュアルコミュニケーションの一部であるところからこの文字が採用された。

人類のビジュアルコミュニケーションの変遷は、以下のプロローグから始まる。常設展は三つのゾーンで構成されており、「印刷の日本史」「印刷の世界史」「印刷×技術」というテーマで構成されている。

ミュージアムのプロローグの様子(写真提供:印刷博物館)
ミュージアムのプロローグの様子(写真提供:印刷博物館)

世界最古の現存印刷物「百万塔陀羅尼」

一つ目のゾーン「印刷の日本史」では、印刷の始まりとして奈良時代までさかのぼる。印刷された年代が明確なもので世界最古の現存する印刷物とされている「百万塔陀羅尼(ひゃくまんとうだらに)」が展示されており、764~770年に称徳天皇の発願によって印刷されたものである。

百万塔陀羅尼(画像提供:印刷博物館)
百万塔陀羅尼(画像提供:印刷博物館)

天皇によって始められた印刷は、当初寺院を中心に行われていたが、近世にかけて武士や一般庶民へと担い手が広がり、印刷地も上方から地方へ、内容も宗教や思想書から読み物など多岐にわたるようになった。そして近代以降は政治や経済、社会において欠かせないものとなり、消費社会を支える役割を拡大しながら現在に至る。日本の印刷の歴史が長いこと、そして文化や社会に対する影響の大きさを理解することができる。

ルネサンス三大発明の一つ「活版印刷術」

二つ目のゾーン「印刷の世界史」では、世界の印刷の歴史とともに、宗教改革、フランス革命、産業革命、世界大戦など、世界史上の転換点において、印刷がどのような影響を与えたかを知ることができる。ここで欠かせないのが、15世紀にドイツで西洋式活版印刷を発明したグーテンベルクだ。

中世ヨーロッパでは、書籍は写本(本を書き写す方法)によって増やしていたため数が少なく、非常に貴重で高価なものであった。もっと早くたくさん作る方法がないかと考えたグーテンベルクが、文字が1字1字ばらばらになった金属の活字を使うことを考え、活版印刷機を発明した。グーテンベルクが発明した活版印刷術は、羅針盤・火薬と並んでルネサンスの三大発明の一つとされている。印刷本として歴史的価値が高いグーテンベルクの「42行聖書」(原葉)も実物が展示されている。

グーテンベルク 「42行聖書」(原葉)(画像提供:印刷博物館)
グーテンベルク「42行聖書」(原葉)(画像提供:印刷博物館)

活版印刷術は瞬く間に広がり、これまでと比較にならない数の書物を生み出し、コミュニケーションの在り方そのものを変えた。情報伝達可能な範囲が爆発的に広がったのだ。そこから、科学や研究の促進やニュースメディアによる政治や社会的な情報伝達、商業利用や戦争でのプロパガンダなどさまざまな領域で大きな影響を与えていく。世界でみても、印刷技術の発明は人類を飛躍的に進歩させたことが分かる。

印刷技術は常に進化し続け、デジタルへ

三つ目のゾーン「印刷×技術」では、視点を変えて技術の側面にフォーカスしている。日本史、世界史において印刷が大きく影響を与えたことがここまでのゾーンで分かるが、それを実現した印刷の技術革新について触れることができる。印刷方法として凸版、凹版、平版、孔版の四つの版式や、印刷機の種類、色の再現、そしてデジタル印刷などを紹介している。

「印刷の日本史」の中でも紹介されているが、印刷の技術は、偽造を防ぐ紙幣の印刷でも使われ、セキュリティー技術によって資本主義を支えてもいたのだ。ちなみに1900年ごろ、エルヘート凸版法という当時最先端の印刷技術を用いてスタートアップとして誕生したのが、印刷博物館を運営する現在の凸版印刷だ。

三つのゾーンからなる常設展の先には、「印刷工房」がある。ここでは、印刷機の展示や書体の紹介に加えて、活版印刷を実際に体験することができる。

印刷工房(写真提供:印刷博物館)
印刷工房(写真提供:印刷博物館)

企業ミュージアムとしての意義

企業ミュージアムという視点では、どのような意義や役割があるのだろうか。印刷博物館の学芸員で凸版印刷の社員でもある式洋子さんに話を伺った。「印刷博物館は凸版印刷という企業を直接宣伝するような展示はなく、印刷産業全体を古今東西の歴史とともに紹介しています。産業のリーディングカンパニーとして、100周年事業を契機に印刷という産業がこれまでの歴史の中で担ってきた役割や貢献を伝えるという意義の下、印刷博物館が設立されました」

日本には産業としての印刷全体を伝えるような印刷博物館がなかったので、CSR活動として設立に至ったとのこと。「実は印刷に関連する博物館は世界各国で存在していて、例えばドイツにあるグーテンベルク博物館は、ユネスコ無形文化遺産への登録も目指しています。2018年には国際印刷博物館協会(IAPM: International Association of Printing Museum)という国際コンソーシアムも立ち上がりました。世界各国の印刷博物館が加盟するこのコンソーシアムは、印刷博物館も設立メンバーとなっており、グローバルレベルで情報コミュニケーションにおける印刷産業の意義発信についてディスカッションをしています」

海外では行政が運営するミュージアムが多い中、企業が運営していることはメリットも多いという。「例えば論文を発表したり、独立した博物館として情報発信をしたりしても、興味を持った人からしか見てもらえず、届く人が限定されてしまうかもしれません。一方で、企業が関わり、企業側が興味の入り口となったりきっかけとなったりすることで、より多くの人と接点をつくりやすいと思っています。また、経済面や環境面でも企業が運営している点は博物館として恵まれていると感じます」

逆に、印刷博物館は企業にとってどのようなメリットがあるのだろうか。「印刷博物館は、いろいろな方に来ていただけています。大学や専門学校の教授が学生を連れてきて見学をしたり、他の印刷会社や出版社などの関連業界の方、デザイン関連の学生、文化に興味関心のある一般の方など幅広いです。他にも得意先の方を招待したり、凸版印刷はじめ関連業界の新入社員の研修に活用されたりしています。教育という意味では、近隣の小学校と連携して地域貢献をしたり、大学への出前授業なども行ったりもしています。凸版印刷は事業分野の広さからステークホルダーも幅広いので、いろいろな方に印刷に興味を持ってもらえることは良いことだと思っています」

印刷博物館は、館内での展示だけではなく、国内外の美術館、博物館などに展示品を貸し出し、展示協力をすることもある。また、東京大学、女子美術大学短期大学部など、教育機関の要請を受け、調査研究にも協力するほか、「日本印刷文化史」などの出版を通し、印刷文化学の構築を目指している。

「日本印刷文化史」(写真提供:印刷博物館)
「日本印刷文化史」(写真提供:印刷博物館)

歴史が示す印刷産業のコアコンピタンス

式さんへのインタビューからも、印刷博物館はあくまで企業の宣伝ではなく印刷産業全体の役割を伝えることを大事にしていることが分かる。一方的に言いたいことを宣伝するために言うのではなく、公益性や社会的意義として伝えるのは、相手と良好な関係を構築するPR(パブリックリレーションズ)的なアプローチである。印刷博物館が企業ミュージアムとしてどのように企業へ作用しているかについて、産業理解の中身からも考えてみたい。

印刷博物館を運営する凸版印刷に注目をすると、ICタグや半導体、ディスプレー、建装材、コンテンツやマーケティング、DX等、事業領域が多岐にわたり、印刷という言葉で連想できる範囲を超えていると感じるだろう。しかし、印刷博物館が伝える印刷産業の役割を理解することで、それらが印刷という技術の延長線上にあるものだと分かる。印刷博物館のプロローグや常設展の歴史をたどると、印刷は人類の進歩や発展を支えた情報コミュニケーションであり、印刷技術の進化はそれを実現したイノベーションであることが分かる。

印刷産業が担っていた「コミュニケーション」はいつの時代も普遍であり、その手段である「技術」はこれまでも常に進化してきた。コミュニケーションと技術革新は印刷産業が持つコアコンピタンスともいえるだろう。先ほどの事業はどれもこのコアコンピタンスの延長線上にあり、一見すると共通点が見えづらく幅広く見える事業も、歴史を振り返ることで共通する原点が見えてくる。

企業ミュージアムという形で印刷産業を理解することは、産業が持つコアコンピタンスへの理解でもあり、産業をリードする凸版印刷への理解や信頼を高めることにもつながっているのだろう。事業領域の広さから多くのステークホルダーが存在する凸版印刷にとって、印刷博物館はさまざまなステークホルダーとの関係性を強くするPR資産として意義のある場になっている。


【編集後記】

ルネサンスの三大発明によって、人類は「陸」(火薬)と「海」(羅針盤)と「空」(活版印刷)を意のままに操れるようになった。しかしながら、文明の利器は必ずしも人類を幸せにはしない。その苦い教訓は、印刷という発明の力で未来へと語り継がれていく。知の宝庫ともいうべき印刷博物館の館内で、柄にもなく深遠なことを考えてしまった。

古今東西、人は「時代の空気」というものに敏感だ。なぜなら「空気」というものは、見ることも触ることもできないから。だからこそ人は、文字を作った、絵を描いた。そしてそれをメディアに刻み込むことで、多くの人に伝えようと思った。技術も、その思いに応えた。結果として、多くの人と情報を共有するに至った。古(いにしえ)の人からすれば、まさに夢のような理想社会だ。しかしながら、活版印刷に端を発するあふれるほどの「情報」に、我々が今とまどいを覚えていることも事実だ。

もちろん、この理屈が的を射たものなのかどうかは一人ひとりの読者に委ねたい。大切なことは、コミュニケーションの、あるいはPRの本質というものに、時には立ち止まって目を向けてみることではないだろうか。印刷博物館の一つひとつの展示物には、そんなメッセージが刻まれているように感じた。

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